artscapeレビュー

圓井義典「点-閃光」

2016年07月15日号

会期:2016/06/06~2016/08/10

PGI[東京都]

前回、フォト・ギャラリー・インターナショナルで開催された個展「光をあつめる」(2011)と比較しても、圓井義典が今回展示した「点-閃光」のシリーズ(17点)は、より思弁性、概念性が強まっているように感じる。もともと、考えながら制作活動を展開していくタイプの写真家なのだが、草むらや樹木、水面の反映、あるいは光の反射そのものなどの日常的な事物を撮影した本作では、ホワイトヘッドやロラン・バルトの知覚論や記号論を援用することで、「写真論写真」への傾きがさらに大きくなってきているのだ。
圓井が展覧会に寄せた文章でいう「日々の情景と(私でもある)それが、網膜を介して出たり入ったりしながら重なり合う」状況を、写真というメディムを通じて捕獲することは、むろんこれまでも多くの写真家たちによって試みられてきた。既成の意味の体系によって、そこに写っているモノを解釈されることを避けるために、それらは時にブレたり、ボケたりした光の染みにまで還元され、極端なクローズアップによって全体と細部との関係が曖昧にされる。だが時として、撮影行為の起点であるはずの「私」が、(私でもある)存在として宙づりにされ、被写体も何が写っているのかを特定できないように配慮されることで、緊張感を欠いた、似たような予定調和の画像の繰り返しになってしまうことがある。今回の展示を見る限り、圓井の営みは、そんな「写真論写真」の隘路に落ち込む一歩手前を、さまよっているように思えてならない。
いまさら「私」と被写体(世界)との二項対立を持ち出すつもりはない。だがそのあいだの「関係性」の戯れのみに写真行為を解消してしまう危うさも、よく承知しておくべきだろう。「何を、なぜ撮るのか」という問いかけは、古くて新しいものであり、いまなお有効性を保ち続けているのではないだろうか。

2016/06/22(水)(飯沢耕太郎)

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