artscapeレビュー

どうぶつえん vol. 6

2017年06月01日号

会期:2017/05/21

代々木公園[東京都]

ダンスを「舞台芸術」のひとつのジャンルとみなし、確固とした芸術的価値をそのなかに見たいというのならば話は別なのだが、ダンスは「舞台芸術」として劇場の枠に囲い込んでおかなければならないものではない。例えば、駅のコンコースやビルの空き地に場所を見つけて踊るストリートのダンサーたちは、ダンスの舞台はストリートにもあると思っているわけだ。ストリートを舞台と見立てた途端、ダンスは街中に侵入し、街のアレヤコレヤの物事と対立したり、融合したりして、劇場のスポットライトの前ですましているのとは別の相貌をあらわにすることだろう。しばしばストリートを稽古場にしてきたAokidが休日の代々木公園を上演の舞台にしたことは、そう捉えてみれば、自然なチョイスなのかもしれない。ここでは、カップルが、家族が、友人たちがシートの上で寝そべり、あちこちで沖縄の三線やら、ウクレレやら、サルサや合気道やヨガのレッスンが行なわれている。新緑のめざましい、乾いた風の吹く午後、すべての人がリラックスしている。Aokidと仲間たちは、原宿寄りの入場門から出発し、移動を繰り返しながら、ダンスやインスタレーションやパフォーマンスなどの出し物を披露していった。彼らの上演は一括りにしてしまえば、どれもゆるい。このゆるさは、しかし、目に飛び込んでくる、見せようとしていない出し物以外の人々の営みと、柔らかく重なることを可能にしている。キメキメに踊れば、周囲から際立つだろうが、それはこの場に劇場を拵えあげるだけだ。そう考えると、この試みは、人が自由に活動している公園とアーティストの上演活動とをつなぐチャレンジのように映る。とはいえ、このゆるさは、換言すれば、周囲の人々の営みへと観客の視線が遊んでしまうのを許す。自然の美しさも相まって、上演以外の見所となるコンテンツが、公園には無数にあり、どれを見たら良いのかわからなくなる。このことは、芸術を見ているはずが、気づくと自然の景観に魅了されているという、大地の芸術祭など北川フラム系の地域アートを鑑賞する際にしばしば起こる現象に似ている。では、代々木公園の勝ちかといえば、単純にそうではないはずで、上演を見るという目的もなく、ただ移動しているだけでは、代々木公園を鑑賞するという隙も生まれてこなかったろう。とはいえ、観客のなかで地と図の反転が頻繁に生じている環境であるということは、自覚しておいた方が良い。その意味では、代々木公園という空間そのものを鑑賞の対象として積極的に取り上げる出し物があったら面白かったのでは、と思った(しかし、三時間とされていた上演の最後の30分ほどを筆者は未見)。Aokidのほか、三木仙太郎(アート)、関川航平(アート)、鈴木健太(アクト、メディア) 、清水恵美(行為)、飯岡陸(キュレーター)、福留麻里(ダンス)、猫道(詩人、spoken words)が出演・演出した。

2017/05/21(日)(木村覚)

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