artscapeレビュー
松田修「オオカミ 少年 ビデオ」
2009年10月01日号
会期:2009/08/20~2009/09/19
無人島プロダクション[東京都]
今春、東京藝大の大学院を修了した新進気鋭のアーティスト、松田修の初個展。というと、いかにも小賢い理論派の美術家によるクールな作品を連想してしまいがちだけれど、松田の魅力はその対極にある。彼の作品は、何よりもまず、徹底的に下品である。その潔さが心地よい。といはえ、エロとグロと暗い笑いが渾然一体となった作風が、多くの鑑賞者の目を背けさせてしまいがちなのは事実だ。けれども、それらはたんにお下劣なネタを披露するだけのアートではなく、むしろ万人にとって興味があるエロをとおして、鑑賞者の無意識に働きかけるための戦術なのだ。中年サラリーマンの頭から抜け落ちた髪が鼻孔の鼻毛と通じ合うドローイングに見られるように、松田が掘り起こそうとしているのは、「私」と「もの」がそれぞれ異なりながらも、どこかで通底する次元だが、それは凡庸な日常生活の影に隠れているため、ほとんど知覚することはない。しかし、松田本人を被写体とした静止画像をつなぎあわせた断続的な映像を見ると、滑らかな時間性に穿たれた裂け目からその根源的な地平がありありと浮かび上がってくるのがわかる。「おれ」と「おまえ」が果てしなく循環する円環的な原型。その系譜を辿るとすれば、現代美術の伝統より、むしろギャグ漫画の帝王である赤塚不二夫にたどり着く。おしりから昆布が出てきて慌てふためくおっさんに、バカボンのパパは昆布の先端を結んで輪にしてしまい、「また食べなさい!! 口から食べるとおしりから出てくるのだ 出たらまた食べてまた出たら食べるのだ いつまで食べてもキリがないのだ!!」と喝破するが、松田修と赤塚不二夫はおそらく同じ地平を見通しているにちがいない(バカボンについては『文藝別冊 赤塚不二夫』の19頁を参照)。
2009/08/24(月)(福住廉)