artscapeレビュー

大橋可也&ダンサーズ『深淵の明晰』

2009年10月01日号

会期:2009/09/22~2009/09/26

吉祥寺シアター[東京都]

「明晰」三部作と称したシリーズの三作目。今作で「明晰」に大橋が込めた意味合いがようやくわかった。余計なものを排して、形式だけが残った状態。そうした明晰なダンスが明かすのは、舞踏にルーツをもつ作家らしい闇。「暗黒」と呼ぶほど濃密ではない、いわば都会の公園でベンチ下にできる影のような薄闇。壺中天のメンバーたちが暗黒舞踏印のモチーフやキャラをおもちゃのように遊ぶのとはまったく異なる、外見上は舞踏的ではないけれども、リアルすぎてひとが必死に見ないように努めている日常の薄闇。この薄闇を舞台に置くこと。ここしばらく大橋が試みてきたことがそれだったのならば、彼の目論見はただただ純粋に「今日の舞踏を上演すること」にあった、といえるのではないか。薄闇はどこにあらわれる? 大橋は、不意に後ろに気配を感じる、後ろから引っ張られる、後ろにひっくり返る、そんな「背後」から起こる出来事をダンサーに踊らせた。それに徹底したのが見事だった。ダンサーたちは、電車の中や街中で出会うひとが恐ろしく空虚だと感じるときに似て、なにかが抜かれているようでからっぽだった。fooi(舩橋陽、大谷能生、大島輝之、一樂誉志幸)の演奏もよかった。舞台奥に巨大なスクリーンが吊ってあり、舞台裏の廊下のベンチが映るとそこにも舞台から出たダンサーが現われた。映像のなかの身体と舞台のなかの身体。どちらも等しく、軽く薄い。大橋が見つけたこの「今日の舞踏」が、「メンヘル」の闇も「格差社会」の闇も抱え込みしかもそこからさらに突き抜けて、すべてのひとの背後に潜む薄闇を見る者に意識させ、それだけでなく、薄闇の深淵をのぞき込むことが楽しいと思わせることができるか、ようするに、この舞踏にどうひとを誘惑し、魅了し、引き込むことができるか、いまの大橋の課題はほとんどそこにしかない気がする。

2009/09/26(土)(木村覚)

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