artscapeレビュー

2017年11月01日号のレビュー/プレビュー

第10回ヒロシマ賞受賞記念 モナ・ハトゥム展

会期:2017/07/29~2017/10/15

広島市現代美術館[広島県]

個人的に第10回ヒロシマ賞の審査に関わったこともあり、広島市現代美術館のモナ・ハトゥムの受賞記念展に足を運んだ。今回は作家の希望により、クセがない方の常設エリアを展示場に選んだらしい(もともと美術館のオープン当初は、こちらが企画展のエリアだったが)。ともあれ、日本初の個展である。何もない身ひとつの状況で、イギリスで暮らすことになったため、最初は身体パフォーマンスから始まり、やがて日用品、紙や髪など、些細なものを素材とする作品制作を行なうようになった軌跡は、ほかの女性作家にも共通するかもしれない。あえて巨大スペクタクル化しない、痛みの作品の系譜をたどれる展覧会だった。

2017/09/06(水)(五十嵐太郎)

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GLOBAL NEW ART タグチ・アートコレクションのエッセンス展

会期:2017/08/25~2017/11/12

ウッドワン美術館[広島県]

学芸員の案内により、ウッドワン美術館の「GLOBAL NEW ART タグチ・アートコレクションのエッセンス」展を見る。アメリカのポップアートに始まり、トーマス・ルフ、オノ・ヨーコ、会田誠の大作「灰色の山」など、テーマごとにさまざまな現代美術を紹介する。大型の絵画が多いように思われた。一方、新館はガレやマイセン磁器などを展示しており、がらっと雰囲気が変わる。

2017/09/06(水)(五十嵐太郎)

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SUPPOSE DESIGN OFFICE

[広島県]

谷尻誠の事務所を見学する。元は店舗だった1階は現在、駐車場になっており、ビルの2階はオフィス、3階はトークイベントを行なう会場にリノベーションしている。所長本人は不在だったが、彼のスピリットが所員や空間の隅々にまで行き渡っていた。

2017/09/06(水)(五十嵐太郎)

ワルシャワの街並み

[ポーランド、ワルシャワ]

初のポーランド入りで、ワルシャワを訪れた。建築的には、以下が印象に残った。第一に、20世紀半ばのモダニズムがよく残っていること。第二に、ドイツに破壊された古建築の再生は半端ない規模で行なわれていたこと。第三に現代的なアイコン建築による高層ビルが、ここにも進出していること。となると、もはや世界規模の現象であり、日本だけがそれを嫌う傾向が突出しているのかもしれない。そして第四に、それでもスターリン様式による巨大な文化科学宮殿が目立つことである。これも一種のアイコン建築なのだ。

写真=上からワルシャワのアイコン的高層ビル、ワルシャワ駅横のショッピングモール、《文化科学宮殿》

2017/09/12(火)(五十嵐太郎)

コンサベーション_ピース ここからむこうへ part A 青野文昭展

会期:2017/09/09~2017/10/15

武蔵野市立吉祥寺美術館[東京都]

青野文昭は震災以前から「修復」をテーマにした造形作品を制作してきたが、震災以後、その素材を被災物にしたことから、現在はポスト311の文脈で語られることが多い。その作品とはコラージュのように異物と異物を組み合わせた造形物。だが接続面がシームレスに処理されているため、とりわけ高い異化効果が発揮されているわけではない。むしろ、あたかもその形態が自然であるかのような佇まいで屹然とした存在感を放つところに青野作品の真骨頂がある。
本展は青野の最新作を見せた個展。同館周辺の吉祥寺の街で採集した自転車や箪笥などを縦横無尽に組み合わせた巨大なインスタレーションを発表した。いま「縦横無尽」と書いたが、これは決して比喩ではない。今回発表されたインスタレーションは、これまでの青野の作品と比べてみても、ひときわ造形の身ぶりが全面的に開示されていたからだ。
2013年、東京のギャラリイKで開催された個展では、津波に流された邸宅の床の模様と座卓を融合した作品だったせいか、全体的に水平方向のイメージが強く打ち出されていた。造形は慎重に抑制されていたと言ってよい。しかし、2015年、同じく東京のギャラリーαMでの個展あたりを契機に作品のイメージは垂直方向に転じる。記念碑に近い構築性が出現し、そこには造形への欲望が渦巻いているように見えた。
そして今回発表された新作は、その造形への欲望が外側にあふれ出ているかのようだった。トラックと箪笥が合体したかと思えば、その箪笥の中から自転車が飛び出ている。積み上げた文庫本の塊は子どものように見えるし、箪笥の中には傘をさした男が立っているようだ。これまで青野はきわめて慎重に物と物を融合させてきたが、今回の新作はむしろ大胆に物と物を合体させ、しかも人のイメージを強く打ち出すことで物と人が一体化したような世界をつくり出しているのである。
事実、このインスタレーションは内側に入り込める構造になっていたが、そこには家族写真や古時計などが残されていたせいか、まるで誰かの家庭の居間のような気配が漂っていた。人を実在させているわけではないにもかかわらず、人の気配を濃厚に立ちこめさせること。物質と物質を融合させながら、そのはざまに人間の痕跡を照らし出すこと。青野の眼と手は明らかに物質の先に人間を弄り出そうとしている。重要なのは、その人間像である。それは、むろん現代人の写実的な反映などではありえない。青野によるキメラ的造形のなかで生きる、あるいはそこから飛び出てくるかのような人間は、純然たる人間などではなく、まさしくキメラ的人間なのだ。それが等身大の自画像のように見えたとき、戦慄が走るのである。

2017/09/13(水)(福住廉)

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