artscapeレビュー
2017年11月01日号のレビュー/プレビュー
大駱駝艦・天賦典式 創立45周年『超人』
会期:2017/10/05~2017/10/08
世田谷パブリックシアター[東京都]
本作は一週間前に上演された『擬人』の続編である。『擬人』は殺気立った音響の中で、ときに「コ・ロ・ス(殺す)!」と叫ぶアンドロイドのごとき「擬人」たちのテンションが印象的だった。『超人』も『擬人』を引き継ぎアンドロイドのごとき一段の群舞から始まる。ショーケースに閉じ込められた人形。そのなかに麿赤兒がいる。もうここには人間らしき存在はいない。アンドロイドだけの世界。そこで、アンドロイドは相撲を取る。その様は意外にも滑稽で、前編のシリアスさに比べるとほのぼのとしている。アンドロイドもまた人生を無為に遊ぶものなのか。ラストシーンは麿がアンドロイドたちが引く乗り物の上に立ち、ポーズを決めて舞台を周回する。「超人」をめぐる白熱のストーリーを期待していたのだが、麿の存在感自体がここでのスペクタクルとなった。物語はあるようで存在せず、その分、キャッチーな活人画が提示される。ダンスというのは不思議な表現で、話が転がってゆき、登場人物がそれによって心の変化を経験するといったこととは無縁でよいのだ。そうした話の次元とは別の次元で、肉体は脈動し、死とともにある生を生きており、ダンスはその肉体のドラマこそ舞台に提示するものなのだ。最終的に「麿赤兒ショー」と化すことに違和感がないのは、その肉体のもつ圧倒的な存在感を見せつけられるからであり、私たち観客はまさにこれを見に来たのだと納得させられてしまうからだ。『超人』には、ここ最近の大駱駝艦らしい「父殺し」のモチーフは影を潜め、それとは正反対の超人=麿の力が輝く舞台になっていた。
公式サイト:http://www.dairakudakan.com/rakudakan/2017/anniversary_45th.html
2017/10/05(木)(木村覚)
大英博物館国際共同プロジェクト 北斎─富士を超えて─
会期:2017/10/06~2017/11/19
あべのハルカス美術館[大阪府]
カテゴリー:美術
本展は葛飾北斎の晩年30年に的を絞った企画展で、あべのハルカス美術館と大英博物館の共同プロジェクトである。先に行なわれた英国展は、同国では70年ぶりの北斎展ということもあり、約15万人を動員するヒットとなった。北斎の展覧会は関西でもしばしば行なわれているが、本展は約200件の作品のうち肉筆画が66件を占めており(海外の美術館の所蔵品を多数含む)、これまでの北斎展と比べても出色の出来栄えである。見所はやはり肉筆画で、特に展覧会末尾に並ぶ《富士越龍図》《李白観瀑図》《雪中虎図》など最晩年の作品は孤高の境地に達し、凄みすら感じられた。また、信州・小布施で描いた作品で、北斎が波の表現の極致とも言われる《濤図》、晩年の北斎を支えた三女・お栄(応為)の作品、浮世絵の原画の校正であろうか、描き直しや朱が入った作品などもあり、非常に見応えがあった。この秋、関西では「国宝」展(京都国立博物館)や「大エルミタージュ美術館展」(兵庫県立美術館)など話題の展覧会が相次いでいるが、本展はけっしてそれらに負けていない。むしろ深みやコクが感じられる点で、それらに勝っていると言えるだろう。
2017/10/05(木)(小吹隆文)
アメリカへ渡った二人 国吉康雄と石垣栄太郎
会期:2017/10/07~2017/12/24
和歌山県立近代美術館[和歌山県]
カテゴリー:美術
20世紀初頭に移民としてアメリカに渡り、同地で画家として活躍した国吉康雄と石垣栄太郎。2人の作風は対照的で、国吉がアンニュイな雰囲気のなかにメッセージを偲ばせるのに対し、石垣は社会問題や政治的な主張を直接画面にぶつけた。両者はキャリアも対照的で、国吉がアメリカを代表する画家としてホイットニー美術館で回顧展を行ない、ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表に選ばれたのに対し、石垣は戦後のマッカーシズム(赤狩り)で米国を追われ、日本で余生を過ごした。ただし国吉も、1950年代の抽象表現主義の流行と共に忘れられた存在となり、米国では近年やっと再評価の気運が高まっている。また国吉は米国で亡くなったが、最後まで市民権を得ることができなかった。本展では作品110数点と資料約50点で2人の画業を展観。黄禍論による日本人移民の排斥、戦争、大恐慌、戦後の赤狩りなど、激動の時代を生きたアーティストの姿を丹念に紹介している。折しもいま、欧米では移民やテロが大きな問題となっており、日本にも戦争の影が忍び寄っている。国吉と石垣の生き様は、われわれにとっても他人事ではないのだ。また、米国での国吉の再評価は、純粋に美的価値だけでなく、美術界からトランプ政権へのカウンター的意味合いがあると聞いた。彼は故人になっても政治に翻弄されているのだなと、暗澹たる気持ちになった。
2017/10/06(金)(小吹隆文)
国産アニメーション誕生100周年記念展示 にっぽんアニメーションことはじめ ~「動く漫画」のパイオニアたち~
会期:2017/09/02~2017/12/03
川崎市市民ミュージアム[神奈川県]
日本で最も古いアニメーション作品は、1917年(大正6年)1月に浅草で公開された「凸坊新畫帖、芋助猪狩の巻(でこぼうしんがちょう、いもすけいのししがりのまき)」と考えられている。この作品は天然色活動写真株式会社(天活)の制作で、作者は漫画家の下川凹天だった。興味深いことに、同じ年のうちに日本活動写真株式会社(日活)では北山清太郎が、小林商会では幸内純一と前川千帆が、それぞれアニメーション作品を制作し公開している。いまから100年前、1917年になにが起きたのだろうか。この展覧会は多彩な史料によって、日本のアニメーション草創期の姿を探ろうという企画だ。
展示は3つのセクションで構成されている。セクション1は、4人のパイオニアたちのプロフィールと主要な仕事の紹介。セクション2では、1917年前後のアニメーションに関する記録や証言を時系列に提示し、日本初のアニメーション作品公開への道筋を辿る。セクション3では、海外作品も含め、戦前期の漫画とアニメーション、それらに登場するキャラクターたち──具体的にはディズニーの「ミッキーマウス」や、田河水泡の「のらくろ」など──との交流関係が考察されている。
日本のアニメーションの始まりについては、まだまだ明らかになっていないことが多く、史料が発見されるたび、研究が進むたびに、その歴史は少しずつ改訂されている。たとえば、かつて最も早く封切られた作品は下川凹天「芋川椋三 玄関番の巻」と考えられてきたが、近年になって1917年1月に封切られた下川「芋助猪狩の巻」がそれより早かったことが明らかになっている。また従来、日本アニメーションのパイオニアは、下川、北山、幸内ら3人とされてきたが、小林商会のアニメーション制作において前川が幸内と対等な関係で作品制作にあたっていたとのことで、新たに彼の名前をパイオニアたちの中に加えることにしたという。さらに、初期アニメーション研究の困難は、史料において確認されている作品の多くが失われ、現存していないことにある。そうした研究の現状と困難を、この展覧会ではとても興味深い方法で提示している。すなわち、現時点における最新の情報を提示するために、展示室の壁面を年表に見立て、1916年10月から1918年8月までの日本のアニメーション関連の史料、証言などのコピー、それら史料に対するコメントなどを貼り、ケースに雑誌記事等の文献史料を並べているのだ。この方法ならば、仮に展覧会期間中に新たな史料が発見されたとしても、年表にそれを挿入すればよい。不明点が多いことはアニメーション史に不案内な者にとってはやや不親切かもしれないが、研究としてはとても誠実な方法だ。
ところで、なぜ1917年だったのか。解説によれば、1914年に始まった第一次世界大戦の影響でヨーロッパの映画産業が停滞し、映画会社の海外作品配給に影響したことや、フィルム価格の高騰が経営に影響したこと、新たな集客の試みとして映画会社がアニメーションに注目した可能性が指摘されている。制作にあたったパイオニアたちにとっては、なぜ1917年だったのか。彼らはいずれも画家、漫画家であり、映画制作との関わりはなかった。幸内と前川の関係を除くと、パイオニアたちが日本最初のアニメーション制作にあたって相互に交流した形跡はない。誰が「最初のアニメーション作家」になっても不思議ではなかった。輸入アニメーションはすでに1910年代から公開されており、パイオニアたちは当然これらの作品に触れている。津堅信之氏の研究では北山清太郎が輸入アニメーションを初めて見たのは、自ら制作を始める前年1916年のことだという(『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』臨川書店、2007年)。「年表」にこれら前史を加えると1917年という年の意味がより明確になるかもしれない。
もうひとつの疑問は、これらパイオニアたちの仕事は、その後の日本のアニメーションにどのような影響を与えたのかという点だ。それというのも、北山を除く3人は1年経たずしてアニメーション制作から撤退してしまったからだ。また影響を考える上ではそれが技術なのか、表現なのかという点も考える必要があろう。研究のさらなる進展が待たれる。
なお、川崎市市民ミュージアムが所蔵する下川凹天関連資料を紹介する「『漫画家』下川凹天 その、テンテンたる生涯」展が併催されているほか、未だ発見されていない下川凹天作品を現代のアニメーション作家たちの感性で蘇らせた「下川凹天トリビュートアニメーション」の上映が行われている。[新川徳彦]
2017/10/08(日)(SYNK)
北辻良央「全版画Ⅰ〈1976~1988〉」
会期:2017/10/07~2017/10/28
+Y GALLERY[大阪府]
1970年代から関西を拠点に発表を続けている北辻良央。彼の全版画作品を、今年10月から来年4月に3期に分けて紹介する展覧会が始まった。第1期の今回は1976年から1988年の作品が紹介されている。筆者にとって北辻作品と言えば、1970年代のコンセプチュアルな作品──地図をトレーシングペーパーに忠実に写し取るなど、記憶や反復をテーマにしたもの──や、1980年代以降の物語性が濃厚なオブジェや作品が連想される。しかし1970年代後半の版画作品は一度も見たことがなく、それらへの興味が画廊へと足を向かわせた。では1970年代後半の版画作品とはいかなるものか。それは、ゴッホやゴーギャンなど著名画家の肖像画や、セザンヌの《カルタ遊びをする人々》の模写である。しかし単なる模写ではない。例えばゴッホの肖像画では、画家の自画像を見ながら部分部分を銅板にエッチングし、原画とは逆向きになったイメージを見ながら、今度は部分を統合した肖像画を銅板にエッチングする(原画と同じ向きになる)。そして2点のプリントを並べて展示するのだ。この複雑なプロセスは1970年代前半のコンセプチュアルな作品を想起させ、具象画の引用は1980年代の物語性豊かな作品へとつながる。つまり北辻作品の時代ごとの変遷と接点が明らかになるのだ。今年12月から来年1月にかけて行なわれる第2期では1992~95年の作品が、来年4月の第3期では1999~2018年の作品が取り上げられる予定。そこでもまた新たな発見があるに違いない。ロングスパンの展覧会となるが、今後も欠かさずに出かけて全版画作品を見届けたい。
2017/10/10(火)(小吹隆文)