artscapeレビュー

2018年11月15日号のレビュー/プレビュー

映画「世界で一番ゴッホを描いた男」

会期:2018/10/20~上映中

新宿シネマカリテほか[東京都]

ゴッホやミレーらの有名絵画を印刷ではなく、手描きで再現した複製名画。日本ではあまり見かけなくなったが、パリやアムステルダムなど大きな美術館のある街ではしばしば土産物屋などで売っている。その複製画制作で世界の約6割のシェアを占めるのが、中国・深圳市の郊外にある大芬(ダーフェン)村だ。ここはかつて300人ほどの小村だったが、深圳市が経済特区に指定されると、香港に集中していた複製画工房が次々と物価の安い大芬村に移動。現在では画工だけで1万人を超え、年間数百万点もの油絵が輸出され、売り上げは6,500万ドルを超えるという(2015)。

この「大芬油画村」で20年間ゴッホを描き続けてきたのが、主人公の趙小勇(チャオ・シャオヨン)だ。彼は狭い工房のなかで、家族やアシスタントと寝食をともにしながら毎日何十点ものゴッホを「生産」するうちに、次第に「本物」のゴッホを見たいという欲望が募り、とうとうアムステルダムのファン・ゴッホ美術館とパリ郊外にあるゴッホの墓を訪問する夢が実現。しかしそこで、自分の描いた複製画が高級画廊ではなく土産物屋で売られていたこと、卸値の8倍以上の値がつけられていたことに落胆するが、なにより衝撃を受けたのは「本物」のゴッホとの出会いだった。パンドラの箱を開けてしまった、というと大げさだが、帰国後彼は自分の絵を描き始める……。

芸術のアウラ、画家と職人、オリジナルとコピー、手描きと大量生産、模写と贋作の違い、東西の価値観の違い、著作権の問題など、この映画は実に多くの問いを突きつけてくる。それは複製画というものがきわめて価値の高い「芸術」と、価値がないばかりか犯罪ですらある「贋作」との境界線上に位置しているからであり、それを国家公認の下に大量生産するというギャップに由来するだろう。複製画制作は西洋の目から見ればキッチュに映るかもしれないが(その消費者の大半は西洋人だが)、中国政府からすれば「名画の民主化」に貢献するというという大義がつくらしい。

ところで、この映画が撮られる数年前に、W・W・Y・ウォングが大芬村について書いた『ゴッホ・オンデマンド』という本が出版された(日本語版は青土社から)。クリスチャン・ヤンコフスキーが画工を使って作品をつくった(というと聞こえが悪いので「コラボレーション」になっている)とか、人気名画だけでなく、ゲルハルト・リヒターや河原温の複製画を制作する画工も登場したとか(「SEPT.10 2001」と描かれた「日付絵画」が何点もある!)興味津々の内容だが、その表紙を飾るのがゴッホの複製画を掲げた趙小勇であり、その写真を撮ったのがこの映画を監督した余海波(ユイ・ハイボー)なのだ。

2018/11/10(村田真)

水越武「MY SENSE OF WONDER」

会期:2018/11/06~2018/12/01

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

水越武はいうまでもなく日本の自然写真、山岳写真の第一人者であり、『槍・穂高』(1975)以来多くの写真集を刊行し、記録性と表現性とを合体させた新たな領域を切り拓いてきた。1988年末に北海道弟子屈町の屈斜路湖畔に移住し、自然と一体化した生活を営みながら写真家として活動している。彼の写真は山岳、原生林、氷河などのテーマ性をしっかりと確立し、一枚一枚の写真を厳密に選んで組み上げていくものだ。ところが、今回東京・築地のコミュニケーションギャラリーふげん社で開催された「MY SENSE OF WONDER」には、時期的にも主題的にもかなり幅の広い写真が集められていた。50年近い写真家としての経験を積み重ねるなかで、観客(読者)との写真を通じたコミュニケーションをより強く意識するようになり、エモーショナルな共感を呼び起こすような写真も積極的に取り入れるようになったということのようだ。

とはいえ彼の写真と、アマチュア写真家たちが趣味的に撮影する、いわゆる「ネイチャー・フォト」とのあいだには越えがたい距離がある。今回の展示は「人間の生活圏」で撮影された「水の音」(前期、20点)と、人間界から隔絶した自然を対象にした「光の音」(後期、20点)の2部構成で展示されていた。第1部と第2部の写真にそれほどの違いは感じられない。だがそこに一貫しているものこそ、まさに彼独自の「MY SENSE OF WONDER」なのではないかと思う。では、その「SENSE OF WONDER」とは何なのか。彼自身のコメントを引用すれば「それは自然への好奇心であり、自然の中で森羅万象に出会って驚き、感動し、それに加えて畏敬の念を持って不思議だと思う心である」ということになる。言っていることは単純と言えば単純だが、「好奇心」「驚き」「感動」「畏敬の念」を、つねに新鮮なエッジを保って発揮し続けることはそれほど簡単ではないはずだ。屈斜路湖畔の「森の生活」で鍛え上げた彼の「SENSE OF WONDER」は、いまや多様な被写体に対して融通無碍にその波動を広げつつあるのではないだろうか。

2018/11/10(土)(飯沢耕太郎)

藝大コレクション展2018

会期:2018/10/02~2018/11/11

東京藝術大学大学美術館[東京都]

会場に入るといきなり正面の壁に久保克彦の《図案対象》が掲げられている。最近NHKで特集されたのでメインの場所に展示されたのかもしれない。久保はいわゆる戦没画学生の1人で、戦時中に東京美術学校図案科を繰り上げ卒業させられ、学徒出陣で戦死。《図案対象》は出征前に卒業制作として描かれたもの。大小5枚組のうち中央画面に戦闘機や船舶などが描かれているため、戦争画に分類されることもある。だが、厳密に計算された構図を吟味すればわかるように、これらの戦闘機や船舶は画面構成の上で必要な形態として用いられているにすぎず、戦意高揚を目的としたものではない。だいたい戦闘機は墜落中だし、船は転覆しているし。

でも今回のメインはこれではなく、柴田是真の《千種之間天井綴織下図》。計112枚の正方形の画面のなかにさまざまな種類の植物(千種)を円形に描いたもので、これを元に金地の綴錦がつくられ、明治宮殿の天井を飾った。戦時中はこの千種の間でしばしば戦争記録画が展示され、天皇皇后が見て回ったという。その後、戦火によって明治宮殿は焼失。残されたのはこの下図だけだという。最近修復を終えて今回お披露目となったもので、壮観ではあるけれど、しょせん装飾の下図だからね。

そのほか、高橋由一の《鮭》、原田直次郎の《靴屋の親爺》、浅井忠の《収穫》など日本の近代美術史に欠かせない作品もあれば、吉田博の《溶鉱炉》や靉光の《梢のある自画像》など、第2次大戦中という時代背景を抜きに語れない作品もある。おや? っと思ったのは《興福寺十大弟子像心木》。像そのものは失われて心木しか残っておらず、まるでフリオ・ゴンザレスの彫刻みたいにモダンに見えるのだ。

2018/11/11(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00046247.json s 10150952

刻まれた時間──もの語る存在

会期:2018/11/01~2018/11/11

東京藝術大学大学美術館[東京都]

芸大の陳列館や旧平櫛田中邸で開かれる彫刻科のグループ展は、毎年秋の楽しみのひとつ。こんなものどうやって彫るんだ!? という超絶技巧的な驚きから、これのどこが彫刻なんだ!? というコンセプチュアルな疑問まで、彫刻の概念を拡大してくれるからだ。今回も楽しめる作品が何点かあった。今野健太の《テノヒラNo.35》は文字どおり手のひらの石彫の断片を壁に掛けたもの。2本の指が下向きなので人体を思わせ、まるで先史時代の《ヴィレンドルフのヴィーナス》のようだ。田中圭介の《学習机》は、木製の机の端々をギザギザに彫って緑色に塗り、森のようにしたもの。机上の森か。あるいは緑のカビに浸食される机のようでもある。

小谷元彦の《ザルザル—警告と警戒》は、黒いテーブル上に本やリンゴとともに2台のモニターを置き、電話するチンパンジーを映しているのだが、お互いギャーギャーわめいたりあくびしたりするだけで話が通じているようには思えない。これは笑えた。同展にはほかにも竹内紋子がゴリラを彫っていたし、「藝大コレクション展」には沼田一雅による《猿》が出ていた。そもそも芸大の彫刻科の初代教授である高村光雲の代表作にも《老猿》があった。サルは彫刻家の比喩か。ついでにいうと、テーブル上の本やリンゴは知恵の象徴だが、同時期に同じ美術館3階で退任記念展を開いていた深井隆がよく使うモチーフでもある。してみるとこれは先輩へのオマージュだろうか。もうひとつついでにいうと、この深井隆展には、後輩たちが彫ったという着流しの「深井隆像」があって、その元ネタは高村光雲作《西郷隆盛像》にほかならない。

2018/11/11(村田真)

建築×写真 ここのみに在る光

会期:2018/11/10~2019/01/27

東京都写真美術館[東京都]

19世紀半ばに写真術の発明が公表されるされると、建築物はすぐにその重要な主題となった。初期のダゲレオタイプ、カロタイプ、湿版写真などの撮影には長めの露光時間が必要だったので、人間や乗り物など、動くものを定着するのは技術的にむずかしかったからだ。建築物は静止しているので、写真の被写体としてふさわしいものだったのだ。それだけではなく、建築物の外観や内部の構造を細部まで精確に捉えるのに、写真の優れた描写力が有効に働いたということもある。写真はその点では、絵画や版画をはるかに凌駕していたのだ。

東京都写真美術館の収蔵作品を中心とした今回の「建築×写真 ここのみに在る光」展の「第1章」には、写真草創期の19世紀から20世紀初頭にかけてヨーロッパやアメリカの写真家たちが撮影した古典的な名作が並ぶ。さらに「第2章」では、第二次世界大戦後の日本の写真家たちの作品が取り上げられていた。渡辺義雄、石元泰博、村井修、二川幸夫、原直久、北井一夫、奈良原一高、宮本隆司、柴田敏雄、瀧本幹也というその顔ぶれを見ると、彼らの作風の幅がかなり広いことに気がつく。建築物に対する日本の写真家たちの解釈も、モダニズムからポスト・モダニズムまで、リアルな描写から抽象表現まで、大きく揺れ動いてきた。別な見方をすれば、建築写真の表現の変遷を辿り直すと、そこに「もうひとつの写真史」が出現してくるということでもある。例えば、北井一夫が1979〜80年に撮影したドイツ表現派の建築作品のように、被写体と写真家たちの関係のあり方を思いがけない角度から照らし出してくれる建築写真の面白さに、あらためて気づかせてくれたいい展覧会だった。

2018/11/11(日)(飯沢耕太郎)

2018年11月15日号の
artscapeレビュー