artscapeレビュー

2018年11月15日号のレビュー/プレビュー

改組 新 第5回 日展

会期:2018/11/02~2018/11/25

国立新美術館 [東京都]

タイトルの「日展」にたどり着くまでに「改組」「新」「第5回」と障害物が邪魔をする。あるいは勲章のつもりか。改めてチラシを見直したら、赤地にでかく白抜きで「日展」とあり、その下に「111」「since 1907」とあった。1907年に始まり111回目という意味だ。いっそアニュアル展として「日展2018」とかにしたほうが「ナウ」くね?

いつものように日本画から見る。まず驚いたのは、フルーツやプリンから流れる汁で泳ぐスクール水着の子供たちを描いた三浦弘の《ハッピーモーメント》と、プールで泳ぐ女性たちと揺らめく水面をとらえた井上律子の《READY TO GO》。2点は似ているわけではないけれど、どちらも色が明るくポップで、どちらも幸田千衣の「泳ぐ人」を思い出したのだ。この主題、この色彩、このスタイル、ぜひ「洋画」に転向してほしい。というか、早く「日展」から足を洗ってインディペンデントで活躍してほしい。田島奈須美の《月の妖精「ナンナ」》も色鮮やかでポップでマンガチックで、とても日本画とは思えない。というか、日本画である必然性が感じられない。早く「洋画」に転向してほしい。

変わったところでは、池田亮太の《空き地》はほとんど真っ黒。よくよく観察すると家のかたちが現れ、民家に囲まれた空き地らしきものが見えてくるが、パッと見真っ黒。よくこんなの出したなあ、というか、よくこれで入選したなあ、日展も変わったもんだと感心する。最後に、伊砂正幸の《green day》。画面を4×5に20分割し、各小画面に緑を基調に魚や鳥やドアノブや人間の足などを描いている。これもよく入選したなあ。はっきりいって、洋画部門にこんな冒険作は1点もなかった。果たして「洋画」が立ち腐れているのか、それとも「日本画」が解体し始めているのか。

2018/11/02(村田真)

植本一子『フェルメール』

発行所:ナナロク社Blue Sheep

発行日:2018/10/05

植本一子は一般的には写真家というよりは『かなわない』(2016)、『降伏の記録』(2017)などのエッセイ集の作者として認知されている。僕自身もそんなふうに思っていた。だが新作の『フェルメール』を手にして、彼女がとてもいい写真家であることをあらためて認識した。

植本は編集者の「草刈さん」と「村井さん」、デザイナーの「山野さん」とともに、世界中に点在するフェルメールの全作品、35点に「会いにいく」旅に出る。2018年3月20日〜26日および同年5月9日〜16日に、オランダ、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館からアメリカ、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館まで、17カ所の美術館を巡り、現存するすべてのフェルメールの作品を撮影した。この撮影旅行が、どんな動機と目的で行なわれたかについての詳しい説明は最後までない。だが、掲載された写真を見て「旅の記録」として綴られた撮影日記を読むと、あえてそのことを詮索する必要もないように思えてくる。

植本は「末期ガンで入退院を繰り返していた」夫を亡くしたばかりで、この仕事が「新しい旅」へのスタートとなった。撮影にあたって、デジタルかフィルムのどちらで撮影するか迷いに迷って、結局フィルムに決める。本書の図版ページには、フェルメールの作品だけでなく、絵を見る観客たちの姿や旅の途中のスナップも挟み込まれ、そのことによって、旅のプロセスが立体的な膨らみを伴って浮かび上がってくる。写真と文章とを行きつ戻りつすることで、読者はあらためてフェルメールの絵の魅力に気づくとともに、ひとりの表現者の再出発に立ち会うことになる。判型は小ぶりだが、写真家としての次の仕事もぜひ見てみたいと思わせる、極上の出来栄えの写真集だった。

2018/11/02(金)(飯沢耕太郎)

天文学と印刷

会期:2018/10/20~2019/01/20

印刷博物館[東京都]

ポスターを見て、40年ほど前に工作舎が出した奇書『全宇宙誌』を思い出した。漆黒の宇宙を背景に古今の図像を散りばめ、中央に「全宇宙誌」と縦書きされた杉浦康平デザインの表紙は、同展ポスターとほとんど同じ。ちなみに同書は本文も黒地に白抜きで文章中にまで星や図像が紛れ込み、読みづらいったらありゃしない。そこがいいんだけどね。ま、とにかくそんなわけで見に行った次第。

コペルニクスを原典とする15世紀の『アルマゲスト概要』から、16世紀の『時禱書』、デューラーの天球図、ヴェサリウス『人体の構造について』、17世紀のティコ・ブラーエ『新天文学の器具』、ケプラー『宇宙の神秘』まで、近世の天文学書が並んでいる。あれ? これって9月に上野の森美術館で開かれた「書物が変えた世界」とずいぶん被ってね? だが、たしかに『アルマゲスト概要』など何冊かは金沢工大から借りた古書だが、こちらは理系稀覯書の紹介より、これらの書物が学者と印刷者の共同出版であることから、天文学の発展に果たした印刷者の役割を再認識しようというのが趣旨だ。もうひとつ、同展では「日本における天文学と印刷」と題して、江戸時代の司馬江漢による『和蘭天説』や渋川春海による『天文分野之図』といった日本の天文学書も展示している。まあこれは蛇足だな。展示空間も暗く、マニエリスムの香りが漂ういい展示だった。

2018/11/03(村田真)

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田根剛 未来の記憶

会期:2018/10/19~2018/12/24

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

田根剛という建築家の名前を知っている人は少ないだろう。ぼくも2年前の「ポンピドゥーセンター展」の会場構成で初めて知ったばかり。代表作はエストニア国立博物館というから、おいそれと見に行くわけにもいかない。こういう場合、やはり建築展というのは便利だ。タイトルは「未来の記憶」という逆説的なものだが、これは「場所の記憶を掘り起こすことで建築は生まれる」という彼の信念を表している。英語だと「Archaeology of the Future(未来の考古学)」だが、後ろに「Digging & Building」がつく。こっちのほうが伝わりやすい。田根によれば掘り起こすのは「場所の記憶」だが、そもそも建築を建てようとすれば地面を掘らなければならないし、また、建築を空高く建てるだけでなく、大地を掘って建築を埋めることも考えるべきだろう。つまり男性原理(build)に従うだけでなく、女性原理(dig)を採り込もうということではないか。
会場に入ると、材木やレンガ片など廃材が積み上げられている。ちょっと“もの派”っぽいが、ここでは材質の記憶を強調しているのだろうか。次の大空間は床や壁に何千という画像がびっしりと貼られているのだが、デタラメに並んでいるのではなく、「IMPACT(衝撃はもっとも強い記憶である)」「TRACE(記憶は発掘される)」「COMPLEXITY(複雑性に記憶はない)」「SYMBOL(象徴は記憶の原点である)」といったテーマごとに分類されている。いわば「記憶の博物館」、あるいは「イメージの宇宙誌」。

建築の紹介が始まるのは後半になってから。エストニア国立博物館、新国立競技場、弘前市芸術文化施設、10 kyotoなど、7つの建築プロジェクトの模型や資料が並んでいる。デビュー作にして代表作のエストニア国立博物館は、旧ソ連の軍用滑走路を延長してその下に施設を埋めた構造で、細長く平べったい。もちろんこれは場所の記憶を掘り起こすことで導き出した建築だが、正確にいえばこの設計を通して「場所の記憶を掘り起こす」というコンセプトが固まってきたという。個人的に好きなのは新国立競技場案。これは古墳をイメージしたプランで、植物の生えた楕円形の小高い丘の地下に競技場を埋め込んだもの。地下から過去がせり出してきたというか、未来に過去をぶち込んだというか。マケットを見ると、はっきりいって都市の真んなかに現れた巨大な女陰といった様相なのだ。これはすばらしいプランだが、落ちるはずだ。

2018/11/03(村田真)

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民藝 MINGEI─Another Kind of Art 展

会期:2018/11/02~2019/02/24

21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー1&2[東京都]

これまで私は陶磁器をはじめとする工芸品をさんざん見て、取材し、文章を書き、気に入ったものがあればときどき購入もしてきたが、たいていどこの産地で、誰がつくり、どんな素材や技が使われ、骨董であれば何年代のものなのかといった情報ばかりを追ってしまう癖があった。癖というより、伝え手としての基本姿勢であると思っている。しかし「民藝」という言葉を生み、民藝運動を推進してきた柳宗悦はその姿勢を真っ向から否定する。「知識で物を見るのではなく、直観の力で見ることが何よりも肝要である」と。日本民藝館五代目館長でプロダクトデザイナーの深澤直人は、その精神を忠実に受け継ぎ、本展をディレクションしたのだろう。

展示風景 21_21 DESIGN SIGHT ロビー[撮影:吉村昌也]

もっとも広い会場のギャラリー2では、日本民藝館の所蔵品から選び抜いた146点の工芸品を数点ずつグルーピングし、それらを展示台に載せて展示していたのだが、そこには展覧会に必ずあるはずのキャプションや解説がなかった(キャプションは配布資料にまとめられていた)。その代わり大きく表示されていたのは、深澤による1〜2言コメントである。「シンプルだ!」「ファッショナブルだ。大胆だ。」「デフォルメがいい。かたちが愛らしいんだ。」「『民藝はヤバイ』と思った。」など、いずれも短く端的に、かつ感情的に、その魅力を伝えている。そのコメントを見たときに、ちょっと拍子抜けしてしまった。しかし実はこうしたコメントの方が多くの人々にとってはわかりやすく、共感しやすく、肩の力を抜いて観ることができるのだろう。どこの産地で、何年代につくられたのか……といった情報は二の次でいいのだ。

展示風景 21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー2[撮影:吉村昌也]

また、伝え手として、その魅力を率直にコメントすることは大変勇気がいることではないかとも思う。どこの産地で、何年代につくられたのか……といった情報は、正直、誰にでも書ける。しかし工芸品を見て何を感じ取ったかは、その人の観察力や感受性が大きく問われるため、それを発言することには気恥ずかしさやためらいがややともなうからだ。それにもかかわらず、深澤が恐れることなくやってのけていた点には感服した。もうひとつ感服した点は、何より、その編集力である。2006年に深澤がジャスパー・モリソンとともに開催した展覧会「スーパーノーマル」を彷彿とさせる卓越した編集力で、工芸品を丁寧に見せられると、どれもが魅力的に思えてくるから不思議だ。現代の柳宗悦は、やはり深澤しかいないのだと思う。

公式サイト:http://www.2121designsight.jp/program/mingei/

2018/11/09(杉江あこ)

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2018年11月15日号の
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