2019年10月01日号
次回10月15日更新予定

artscapeレビュー

2019年10月01日号のレビュー/プレビュー

藤幡正樹「E.Q.」

会期:2019/07/06~2019/08/31

東京画廊[東京都]

壁に魚眼レンズで撮ったような映像が映し出される。よく見ると映像の中心にカメラが仕掛けられ、観客を含めた画廊空間全体が映し出されるのだが、その動画イメージの中心にブラックホールのような黒い穴ができたり、楕円形につぶれたり反転したり、動き続けている。奥の部屋には白い枕が置かれていて、近づくといきなり虫みたいなものが湧いてくる。これも正面に据えたカメラが捉えた観客の姿を細胞のように細かく分けて再生したもの。大ざっぱな原理はわかっても、なにをどうすればこういう映像が得られるのかさっぱりわからない。それはぼくの知識の問題だが、ここでは視覚技術がどこから視覚芸術になるのかが問われている。

2019/08/30(金)(村田真)

遠藤薫「重力と虹霓」展

会期:2019/08/30~2019/09/22

資生堂ギャラリー[東京都]

新進アーティストを支援する目的で毎年3作家を紹介する「shiseido art egg」シルーズ、今年の3人目が遠藤だ。第1回、第2回も見たが、頭で考えたり情をくすぐる作品はあっても、目に訴える作品が少ないという不満があった。唯一視覚的に満足したのが遠藤の《Handkerchief》と題された古布のインスタレーションだ。大きいほうのギャラリーに東北や沖縄、東南アジアのボロ布が多数吊るされている。遠藤によればその布の表面をかすかに覆う蚕の糸が重要なのだが、それより、大小の矩形の画面を彩る経年でくすんだ色合いが、優れた抽象表現主義絵画にも見えくるのだ。仕事着や雑巾、パラシュートに使われていた布もあり、その存在感はハンパではない。


会場風景


2019/08/30(金)(村田真)

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小早川秋聲─無限のひろがりと寂けさと─

会期:2019/08/31~2019/09/16

加島美術[東京都]

関東では初めてという回顧展。小早川秋聲(1885-1974)といえば、ぼくは戦争画の《國之楯》と《日本刀》しか知らないし、同展も《國之楯》を中心に展示されているので、これが代表作といっていい。でも戦争画が代表作といわれるのは、画家にとってどうなんだろう。ましてや住職の家に生まれ、敗戦後30年近くも生きた日本画家としては忸怩たるものがあったに違いない。おそらくそうした葛藤が《國之楯》に先取りされているからこそ、代表作といわれるのかもしれないが。

《國之楯》は1人の兵士の遺体が軍服姿のまま横たわり、顔には寄せ書きされた日の丸の旗が掛けられている。背景は漆黒で身体が宙に浮いているようにも見え、頭上には光輪のような輪が掛かり、よく見ると身体の上にも大きく弧が描かれているのがわかる。息子を寝かせて描いたとされ、秋聲の妻は縁起が悪いと嫌がったという。秋聲はこれを陸軍省に依頼されて制作したにもかかわらず、日本兵の死体を描いたため、厭戦気分が広まるのを恐れた軍部から受け取りを拒否されてしまう。そこで彼は身体の上に降り積もっていた桜の花を黒く塗りつぶし、題も当初の《軍神》から《大君の御楯》に変え、さらに戦後《國之楯》に改題し、絵にも手を加えたという。身体の上には桜花の痕跡が残り、うっすら見える円弧は塗りつぶした跡らしい。戦争に協力したことを後悔していた証だろう。

この作品は京都霊山護国神社の所蔵で、鳥取県の日南町美術館に寄託しているため、なかなか見る機会がなかった。今回は同作品を含めて計40点を集めているが、絵の放つオーラといいサイズといい《國之楯》が圧倒的。それ以外の戦前の作品は花鳥風月のほか、渡欧した際のパリのサーカスを描いた《巴里所見》など日本画には珍しい画題もある。満州事変の翌1931年には早くも従軍画家として名乗りを上げ、計45回中国に渡ったというから当初はやる気満々だったのだ。明らかな戦争画としては《日本刀》《軍艦》などがあるが、あからさまに戦闘を描いていない《明けゆく蒙古》《祖国日向之秋》《三日月兜之譽》なども、拡大解釈すれば戦争画の範疇に入るだろう。逆に《國之楯》は見ようによっては「反戦画」と見ることもできる。

2019/09/04(水)(村田真)

新井卓「Imago/イマーゴー」

会期:2019/08/30~2019/10/18

PGI[東京都]

世界最古の写真技法、ダゲレオタイプ(銀板写真)で作品を制作する新井卓は、2016年から「明日の歴史」と題するシリーズに取り組みはじめた。「わたしたちは未来を予測することができるか、という単純な疑問」から発想したというこのシリーズでは、14〜17歳の少年・少女たちをモデルとする。彼らは、真っ直ぐにダゲレオタイプのカメラに視線を向けて立ち尽くしている。ダゲレオタイプで肖像を撮影するには、通常数秒〜十数分の露光時間がかかるのだが、新井はそれを短縮するために数万ワットのストロボ光を彼らに浴びせた。そのことで、彼らの一瞬の表情が金属板の上に定着され、モニュメンタルな「Imago/ イマーゴー」=像として提示されることになる。

新井が撮影したのは、広島在住、あるいは2011年の東日本大震災を福島県で経験している少年・少女たちである。いうまでもなく、彼らに共通しているのは自分、家族、あるいは同じ地域の人々の「被曝」の記憶を受け継いでいるということだ。そのような過去の共通体験が、彼らの現在と未来にどのような影響を及ぼしているのか。新井はそれを検証するために、もうひとつの仕掛けを用意した。彼らの肉声を録音し、その一部を会場で流したのだ。写真の上の裸電球が灯ると、その声が流れるようにセットされている。ダゲレオタイプは、ネガとポジとが一体になっているので、光で照らし出さないとくっきりとしたポジ像としては見えてこない。画像と声が同時に、順を追って目と耳に飛び込んでくるインスタレーションが、とても効果的に働いていた。

ダゲレオタイプは1839年に発明が公表されたので、今年はちょうど180年目の年にあたる。当時のダゲレオタイプが現存しているので、少なくとも180年の寿命は保障されているということだ。そう考えると、新井が展覧会に寄せたコメントに、ダゲレオタイプは「数百年後の未来へむけて彼女/彼たちの姿を運ぶ、最も信頼できる記憶装置となる」と書いていることが説得力を持つ。「数百年後」を待つまでもなく、あと数十年後に自分の姿を見て、声を聞いたときに、彼らがどんな思いにとらわれるのか、それが知りたくなった。

2019/09/06(金)(飯沢耕太郎)

松山賢展─縄文風時代─

会期:2019/08/28~2019/09/09

高島屋新宿店10階美術画廊[東京都]

縄文をモチーフにした絵画と土器の展示。もちろん素直に縄文風の土器を描いたり焼いたりしているわけではない。ウルトラマン風があったりいまどきのタトゥーねーちゃんがいたり、イノシシやツチノコや地球の土偶(?)があったり、今年「土器怪人 土偶怪獣 松山賢展」を開いた新潟県・津南町の風景画があったり。サービス精神旺盛な作者らしく、ヴァラエティに富んでいる。なかには、人のかたちをデフォルメしているうちに飛行機みたいな流線型になり、やがてジェット機、ロケットと進化していく過程を土器化したものもある。縄文のロケット土器。そのうちIT土器とかブラックホール土器なんかもできるんじゃないか。

2019/09/06(金)(村田真)

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