2019年10月01日号
次回10月15日更新予定

artscapeレビュー

2019年10月01日号のレビュー/プレビュー

川島小鳥写真展「まだなまえがないものがすき」

会期:2019/07/20~2019/09/09

キヤノンギャラリーS[東京都]

写真展を観た誰もが「Instagramみたい」と思ったのではないだろうか。例えば、壁一面に撒き散らすように展示した中に、アイスクリームパフェやケーキの商品見本のケースを、大きく引き伸ばした写真がある。そのいかにもおいしそうな写真には、「いいね!」がたくさんつきそうだ。猫や女の子や花火の写真も、Instagramにアップされていてもおかしくない。僕はInstagramの写真の特徴は、既視感と肯定感だと思うのだが、それはまさに川島小鳥の写真からあふれ出る感情とも合致している。

とはいえ、Instagramと写真展では写真の見せ方が違ってくる。一点一点が切り離されて、バラバラに目に飛び込んでくるInstagramと違って、写真展では大きさの違う複数の写真が絡み合い、より複雑で広がりのある視覚的経験を伝達することができる。しかも今回の展示では、写真だけでなく谷川俊太郎の詩の言葉がそれに加わる。写真と写真の合間に、谷川の詩の一節が埋め込まれているのだ。以前『おやすみ神たち』(ナナロク社、2014)を共著で出していることからもわかるように、川島の写真と谷川の詩は相性がいい。今回もそのコンビネーションがとてもうまくいっていた。

ただ、谷川がこれまで書いてきた詩のなかには、既視感や肯定感だけにおさまらないものもたくさんある。「本当の事を言おうか/詩人のふりはしているが/私は詩人ではない」(「鳥羽1」1965)、「私はいつも満腹して生きてきて/今もげっぷしている/私はせめて憎しみに価いしたい」(「鳥羽3」同年)。川島には、こんな背筋が寒くなるような詩に対応する感情も、掬い上げることができるようになってほしいものだ。

2019/08/24(土)(飯沢耕太郎)

話しているのは誰? 現代美術に潜む文学

会期:2019/08/28~2019/11/11

国立新美術館 企画展示室1E[東京都]

タイトルを聞いたときは、文学と現代美術との関係を問い直す展覧会ではないかと思った。つまり、プルーストの『失われた時を求めて』やカフカの『変身』のような、具体的な文学作品が下敷きにある現代美術作品を集めた企画だと思ったのだ。ところが展示を見て、それがまったくの誤解であることがわかった。「ここでの文学は、一般に芸術ジャンル上で分類される文学、つまり書物の形態をとる文学作品だけを示すわけではありません」ということだったのだ。

今回展示されたのは、現代美術作家たちが何らかのかたちで「文学的要素」を取り入れて制作した作品である。つまり、その解釈の幅はかなり広い。さらに、北島敬三、小林エリカ、ミヤギフトシ、田村友一郎、豊嶋康子、山城知佳子という出品作家の顔ぶれを見ると、1950年代生まれから80年代生まれまでが含まれており、写真、映像、オブジェ、パフォーマンス、インスタレーションなど、ジャンルも多岐にわたる。かなりバラついた展示になる恐れもあったが、実際には互いの作品がうまく絡み合って、すっきりとした、緊張感のある展示空間が構築されていた。

全体的に写真・映像作品の比率が高い展示になったのも興味深い。「EASTERN EUROPE 1983-1984」、「USSR 1991」、「UNTITLED RECORDS」という3つの写真シリーズを出品している北島敬三はもちろんだが、ほかの出品作家も豊嶋康子を除いては、写真か映像、あるいはその両方を使っている。おそらく写真という具体性と象徴性をあわせ持つ媒体の喚起力が、「文学的要素」を取り込むのに向いているのだろう。個人的には、山城知佳子の映像作品《チンビン・ウェスタン『家族の表象』》(2019)が面白かった。沖縄の現実をオペラや琉歌やロックに乗せて歌い上げる、活気あふれるショート・ムービーである。

2019/08/28(水)(飯沢耕太郎)

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今森光彦展「写真と切り絵の里山物語」

会期:2019/08/28~2019/09/04

松屋銀座 8階イベントスクエア[東京都]

今森光彦は1990年代初頭から、生まれ故郷の滋賀県大津市仰木にアトリエを構え、琵琶湖周辺の里山の自然環境を、四季を通して撮影しはじめた。それらの写真は、1995年に第20回木村伊兵衛写真賞を受賞した写真集『里山物語』(新潮社、1995)にまとまり、人と自然とが共生する身近な環境に着目した新たな自然写真のアプローチとして高い評価を受けた。

今森はまた、同時期にアトリエの周囲を「オーレリアンの庭」(オーレリアンは蝶の愛好家という意味)として整えて、生活と創作とを融け合わせようと試みるようになる。写真だけでなく、小学生の頃から続けてきたという切り絵作品を本格的に制作しはじめたのもその頃からだ。さらに、2014年からは新たな活動を開始した。里山の一角の荒れ果てた土地を購入し、「環境農家」として再生することに取り組みはじめたのだ。竹藪と格闘し、土中の石を取り除き、樹木を植え、溜池を掘り、少しずつ農業の環境を整えていく。5年をかけて、ようやくその作業にも目処がついてきた。

今回開催された「写真と切り絵の里山物語」展は、その今森の1990年代からの歩みをあらためて辿り直す回顧展である。『里山物語』などの写真集に掲載された代表作、「オーレリアンの庭」とアトリエでの暮らしの展示に続いて、展覧会の最後のパートでは、このところ集中して取り組んでいる「環境農家」への取り組みを、写真と文章で浮かび上がらせている。カラフルな切り絵の大作も多数出品されていて、今森の活動範囲が写真だけでなく、絵本制作など大きく広がりはじめていることがわかる。むろん、写真の仕事はこれから先も彼のメインの活動になっていくだろうが、そこに留まることなく、環境全体を視野に入れ、人間社会と自然との関わりを実践的に考察し、行動に移していくことの比重が上がってくることは間違いないだろう。

なお、展覧会にあわせて新著『光の田園物語 環境農家への道』(クレヴィス)が出版された、まだ、中間報告の段階だが、今後の展開が期待できる内容の写真文集である。

2019/08/28(水)(飯沢耕太郎)

高橋恭司『WOrld’s End』

発行所:Blue Sheep

発行日:2019年8月19日

高橋恭司は1992年に映画監督・アーティストのデレク・ジャーマンのポートレート撮影を依頼され、イギリス南部のダンジェネスを訪れた。ジャーマンは、HIV感染宣告後に移り住んだこの街の近郊にプロスペクト・コテージと称する家を建て、奇妙なオブジェが点在する庭を作り続けていた。この「世界の果て(エッジ)が目の前にある」ように感じられる場所を撮影した写真は、高橋の最初の写真集『The Mad Bloom of Life』(用美社、1994)にもおさめられている。それから27年余りを経て、もう一度それらの写真と「2010年代後半のベルリン、ロンドン、東京郊外」で撮影した写真とあわせて刊行したのが、本作『WOrld’s End』である。写真集刊行にあわせて、東京・赤坂のBooks and Modernと千代田区のnap gallery でも同名の個展が開催された。

いわば、デレク・ジャーマンが死の直前に発した「世界の終わりは来るのか?」という問いかけに対する、高橋の長い時間をかけた回答というべき写真集と写真展である。彼がその問いかけに誠実に対応していることが、掲載された写真から伝わってきた。だが、1992年に撮影された写真と2010年代の写真とが、うまく接続しているのかということについては疑問が残る。家や庭を「見る」ことに集中して、中判カメラで細部にまで目を凝らして撮影している旧作に対して、ぼんやりとした薄膜に包み込まれているような近作は、かなり違った印象を与えるからだ。そこに色濃く漂う死と荒廃の匂いは、強い吸引力を備えているが、以前の解釈とは異なる位相にある。むしろ、2つのシリーズを完全に切り離して見せるほうがよかったのではないだろうか。

2019/08/29(木)(飯沢耕太郎)

中谷ミチコ「白昼のマスク/夜を固める」

会期:2019/08/09~2019/09/01

アートフロントギャラリー[東京都]

中谷はレリーフを用いた作品を制作しているが、一般にレリーフが「浮き彫り」であるのに対し、彼女が使うのは凹凸を反転させた凹型レリーフ。思わず「沈み彫り」といってしまいそうだが、「沈み彫り」は地=背景面が彫った面より高い浮き彫りのことなので、鋳造過程における「雌型」といったほうがわかりやすい。雌型は通常ブロンズなどを流し込んで用を終えるが、彼女は雌型に透明樹脂を流し込んで固めたものを作品とする。だから透明な面をのぞくと奥に人物の顔や動物の姿が見えるが、それは凹凸がひっくり返った状態であり、いわば彫刻の「裏面」なのだ。ここに1つ反転の発想がある。

今回は新作として、内部に人物や草むらが見える黒い立方体の彫刻を出品している。これは「夜を固める」というタイトルのごとく、内部に雌型を配置して黒い半透明の樹脂で固めたもので、闇を立体化した彫刻といってもいい。闇を描いた絵というのはたまにあるが、闇を表した彫刻というのは見たことがないし、考えたこともなかった。そういえばかつて、なぜ光線があるのに闇線はないんだろうと疑問に思ったことがある。光のスポットを当てるように、闇のスポットを当てるとそこだけ暗くなるような、そんな闇線を発明したら、演劇やマジックショーでは重宝するはずだ。でもそれが不可能なのは、闇という実体があるのではなく、光がない状態を闇と呼ぶからだ。光がなければなにも見えないので、絵では黒色で表せるけど、彫刻では表しようがない。それを中谷は一種の情景彫刻として実現させたのだ。これがもう1つの反転の発想だ。「白昼のマスク/夜を固める」は2つの反転の発想で成り立っている。

2019/08/30(金)(村田真)

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