artscapeレビュー

2019年10月01日号のレビュー/プレビュー

メガロマニア植物学

会期:2019/05/21~2019/10/06

JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク[東京都]

人が乗れるほどのオニバス、直径1メートル近いフキの葉、長さ2メートルもあるタビビトノキの葉……。巨大植物の標本ばかりを集めている。生物の姿をできるだけ実物のまま博物館で見せるにはどうすればいいか? 動物なら剥製や骨格標本にできるが、植物の場合は組織が柔らかいためオリジナルの形状や色彩を保つのは難しい。押し花程度ならまだしも、巨大植物を無理に標本化しようとすると、パリパリにひからびて形が崩れてしまいかねない。それなら絵に描いたほうがオリジナルに近いし、なにより美しい。でも博物館屋はあくまで実物標本にこだわる。その結果、なにやら現代美術に近づいたような……。これを延長させると、ボルヘスの「原寸大の地図」にいたるかもしれない。

2019/09/06(金)(村田真)

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話しているのは誰? 現代美術に潜む文学

会期:2019/08/28~2019/11/11

国立新美術館[東京都]

サブタイトルに「現代美術に潜む文学」とあるが、いわゆる文学作品を視覚化した美術ではなく、現代美術から読み取れる物語性、あるいはそれを読み解くリテラシーといった意味だろう。つまりここでは視覚的なおもしろさより、作品に秘められた意味や物語をいかに読み解くかが問題になる。出品作家は展示順に田村友一郎、ミヤギフトシ、小林エリカ、豊嶋康子、山城知佳子、北島敬三の6人。

最初の田村友一郎は、導入で車のナンバープレートを掲げている。なんだろうと思いながら次の部屋に行くと、ハンバーガーショップらしき建築模型が置かれ、隣の部屋にはナンバープレートがたくさん横たわり、最後の部屋にはハンバーガー店のロゴマーク、櫂、コーヒーカップの写真が展示されている。そこで流れてくるナレーションを聞くうちに、バラバラだった要素がひとつの物語としてつながってくるというインスタレーションだ。



田村友一郎《Sky Eyes》展示風景


小林エリカは暗い部屋のなかで、蛍光色のウランガラスによる$マークの彫刻や、手の先から炎が発する写真や映像、1940年の幻の東京オリンピックで計画された聖火リレーの地図などを展示。これも部分的に見ただけではわからないが、全体を通して戦争と核について物語っている作品であることが了解される。どちらも現代美術の見方(読み方)を知らなければ理解しにくい作品だが、読み解けば世界の見方が少し変わったような気になるだろう。逆にいえば、個々の写真や映像だけ見てもおもしろいものではないし、クオリティが高いわけでもない。



小林エリカ《わたしのトーチ》展示風景


これとは対照的なのが、豊嶋康子と北島敬三だ。豊嶋はほぼパネル作品のみの展示。パネルの上に絵を描くのではなく、表面を削ったり、裏面に角材を貼り付けたりしている。なんだかよくわからないが、支持体であるパネルが作品になっていたり、裏表が逆転していたり、あれこれ考えているうちにおかしさがこみ上げてくる作品だ。これは全体としてひとつのストーリーを構成しているわけではないので、1点1点の作品と向き合う必要がある。

最後の北島は、東西冷戦時の東欧の人々、崩壊前のソ連の共和国、日本各地の風景を記録した3つの写真シリーズを展示。冷戦前後の東側の空気と、3.11前後の日本の風景の変化が読み取れる。それだけでも強く訴えかける力があるが、なにより目を引くのは1点1点の写真のもつ美しさだ。これまで北島の写真をまとめて見たことがなかったが、失礼ながらこんなに美しいとは思わなかった。それはこの展覧会の最後に置くという順序も関係しているに違いない。現代美術は読解力がなければ理解しにくいが、理解できればそれで終わりというわけではない。最後の砦はやはり芸術性なのだ。



北島敬三「UNTITLED RECORDS」展示風景


2019/09/07(土)(村田真)

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手塚愛子展「Dear Oblivion ─親愛なる忘却へ─」

会期:2019/09/04~2019/09/18

スパイラルガーデン[東京都]

織物の糸を部分的に抜くことで織物に別の価値を与える、そんな織物の解体と再構築をテーマにしてきた手塚の個展。今回はスパイラルの大空間に大作を吊るしている。幕末に討幕運動の軍資金を得るため輸出用につくられた薩摩ボタンをモチーフにした《必要性と振る舞い(薩摩ボタンへの考察)》をはじめ、明治時代に洋装を初めて採り入れた昭憲皇太后の大礼服にヒントを得た《親愛なる忘却へ(美子皇后について)》、インド更紗にレンブラントの大作を重ねた《華の闇(夜警)》など、見応え、読み応えのある作品が並ぶ。初期のころは解体された織物の色彩と形態に目を引かれたが、最近は美術史や女性史との関わりへと彼女自身の関心が広がっているように感じる。手塚の関心は絵画にあるはずなので、これらは織物の解体と再構築というより、シュポール/シュルファスにも通じる絵画の解体・再構築と見るべきだろう。まだまだ化けそうだ。

2019/09/07(土)(村田真)

コートールド美術館展 魅惑の印象派

会期:2019/09/10~2019/12/15

東京都美術館[東京都]

ロンドンのコートールド美術館が改修工事による休館のため、印象派をはじめとする名作がごっそり借りられたそうだ。コートールド美術館は、サミュエル・コートールド(1876-1947)が集めた美術品を公開・研究する美術研究所の中核をなす美術館。

コートールドは松方幸次郎(1866-1950)とほぼ同時代の実業家で、印象派を中心に買い集めたのも同じ。違うのは、コートールドが松方より遅い1920年代の数年間に大半の作品を収集したこと。そして、松方が不況に陥ってコレクションを手放したのに対し、コートールドは1932年に美術研究所を設立してコレクションを寄贈したこと。この早業が決定的だったかもしれない。あ、もう1つ、松方よりコートールドのほうがはるかに見る目があったことだ。

今回も、ポスターやチラシにも使われているマネの《フォリー・ベルジェールのバー》をはじめ、ルノワール《桟敷席》、セザンヌ《カード遊びをする人々》、ゴーガン《ネヴァーモア》、モディリアーニ《裸婦》など、画集や教科書で見たことのある名画がずらりと並んでいる。でもいくら目利きとはいえ、コートールドが名画ばかりを選んで買い集めたわけではない。そうではなく、彼が集めた絵画をみずから建てた美術館で公開し、研究対象にし、画集に使ってもらうことで世界的に有名にしたと考えるべきだろう。美術品は個人的に楽しむものではなく、公共の財産だという信念がここにはある。もちろんそのことで作品の価値も上がるのだから、イギリス人の戦略勝ちである。

2019/09/09(月)(村田真)

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見たことがないブリューゲル〜巨大3スクリーンによる映像の奇跡〜

会期:2019/09/10~2019/09/16

六本木ヒルズヒルズカフェ/スペース[東京都]

絵にもさまざまなタイプがあって、写実的に描かれた人物や情景から背後の意味や寓意を読み解く物語画から、純粋に色彩や形態を楽しむ印象派や抽象画まで千差万別だが、何十人もの人物がそれぞれの仕草をしている様子を細かく描いたブリューゲルの絵などは、さしずめ前者の代表例といえるだろう。特にブリューゲルのように細密な物語画の場合、美術館などでざっくりながめるより、複製であっても大判の画集で丹念に見たほうがわかりやすい。もちろんじっくり観察したい部分を拡大して見ることができれば、なおいいのだが。

そんな夢を実現してくれるのがこれ。って、陳腐なCMのフレーズみたいだけど。ブリューゲルの代表作3点を、ス-パー解像度のデジタル画像で3面スクリーンに投影し、部分的に拡大したり比較したりして作品を解読していくというもの。その3点とは、《反逆天使の転落》《ネーデルラントのことわざ》《洗礼者聖ヨハネの説教》で、それぞれ主題はまったく異なるものの、いずれの画面も人物や動物や怪物が数十数百と入り乱れ、だれが主役なのか、なにが主題なのかわかりにくい混沌状態。ブリューゲル作品のおもしろさは、このように主役や主題を絵のなかにちりばめ、紛れ込ませることで、1枚の絵を謎解きの読み物にしてくれる点だ。だから「ウォーリーをさがせ!」みたいにつぶさに見てしまうし、いつまでも見飽きないのだ。

それを巨大な画像で解読してくれるのだから……あれ? なんか矛盾してないか。絵解きを楽しむのがブリューゲル作品の正しい見方なのに、デジタル画像で痒いところに手が届くように見せられると、あらかじめ答えを教えてもらうみたいで楽しみが半減しかねないではないか。やっぱり夢を実現してくれるのは大きなお世話かもしれない。でもおもしろかったし、一度は見ておくべきだ。

2019/09/12(木)(村田真)

2019年10月01日号の
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