2021年10月15日号
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artscapeレビュー

2020年10月01日号のレビュー/プレビュー

草野なつか監督『王国(あるいはその家について)』

会期:2020/09/11

新文芸坐[東京都]

2020年9月11日、草野なつか監督による映画『王国(あるいはその家について)』(脚本:高橋知由、以下『王国』)が新文芸坐で上映され、同時に上映開始の19時より24時間限定で有料の「上映同時間配信」が行なわれた。コロナ禍もあって演劇公演の有料配信は増えているが、映画でこのような試みがなされるのは珍しい。新文芸坐はTwitterアカウントで、劇場での上映と配信とでは主催者が違うため「劇場の儲けが減ってしまう可能性がある」「今回の配信は物議を呼ぶかもしれません」としつつ「配給会社を持たない優れたインディー作品の可能性を広げるためにも挑戦したいと思」ったのだと言い、「併せて劇場鑑賞の良さも再認識していただれば幸いです」と発信している。かく言う私も配信があったことでこの映画を観ることができた観客のひとりだ。

『王国』はもともと2016年度愛知芸術文化センター・愛知県美術館オリジナル映像作品として製作され、17年に64分版として発表された作品。その後、19年の第11回恵比寿映像祭で150分の再編集版が上映され、以降、150分版が三鷹SCOOLや新文芸坐で上映され、あるいは映画配信サービスMUBIで限定配信されてきた。英国映画協会により2019年の優れた日本映画の1本にも選ばれている。

休職し数日間の帰省をしている亜希(澁谷麻美)は幼なじみの野土香(笠島智)とその夫でサークルの先輩でもある直人(足立智充)夫婦の新居を訪れる。娘・穂乃香の相手をしているうちに彼女は亜希に懐くが、ある台風の日、亜希は穂乃香を橋から投げ落として殺害してしまう──。

物語はしかし、通常の映画のようには描かれない。亜希が穂乃香の殺害に至るまでのいくつかの場面は、稽古場のような場所で台本を手にした役者たちによって演じられ、しかもそれはリハーサルのように何度も繰り返されるのだ。

この映画は「役者たちの変化の過程」を捉えた作品なのだと紹介されることがある。なるほど、確かに映し出されるリハーサルらしきやりとりのなかで役者は徐々に台本を手にする頻度が減り、周囲の様子も稽古場然とした場所から「実際の」ロケーションへと変化しているようにも思える。だが、そこには本当に「役者たちの変化の過程」が映し出されているのだろうか。リハーサルは「物語」の時間軸に沿っては進んでいかない。同じ場面の異なる回のリハーサルがワンカットに収められているわけではないため、ある一回のリハーサルとまた別の回のリハーサルの前後関係も(カチンコによって数字が示される場合を除けば)観客にはわからない。そもそも、映画というのは完成時の場面の順序に沿って撮影することの方が珍しい。だから、観客が見るのは現実の時間経過に伴う「変化の過程」というよりむしろ、無数のバリエーションとしての変化ということになるだろう。

この作品が供述調書をその内容確認のために読み上げる場面からはじまっていることは示唆的だ。犯罪の容疑者となった人物は取調べから裁判へと至る過程で同じ内容を繰り返し供述させられることになる。その繰り返しは供述調書へと収斂し、内容確認のため「他人」である取調官によって読み上げられたのち、本人によってその内容が承認されることで「真実」として扱われる。だが、亜希と取調官とのやりとりからは、そこに記された内容が必ずしも真実を示すものだとは限らないということも見えてくるのだった。

リハーサルの場面はこの供述調書の内容確認場面に続いて始まる。演じられるのは取り調べよりも前、亜希がほのかを殺害するに至る過程にあたるいくつかの場面だが、すでに供述調書の内容を知っている観客にとってそれは、すでに起きた犯罪の再現ドラマのようでもある。

まるで供述調書を台本にしたようなリハーサルは、その一回一回が異なる回の供述をもとにしているかのように、少しずつ違ったニュアンスを帯びている。少しずつ異なるリハーサルの様子はむしろ、そのどれもが真実であると主張するかのようであり、唯一絶対の真実というフィクションは揺らいでいる。

事件に至る一連の出来事と記憶の反芻としての証言、そして供述調書。映画の台本と繰り返されるリハーサル、そして完成形としてのフィルム。パラレルな両者の関係はしかし、取り調べにおいて最終的なアウトプットであるところの供述調書と映画撮影のスタート地点である台本とが擬似的なイコールで結ばれることで奇妙な循環を生み出すことになった。供述調書も完成形のフィルムもあり得た帰結のひとつの可能性に過ぎない。供述調書へと収斂した真実は再び無数の真実へと発散していく。唯一の真実に至ることは不可能だ。


公式Twitter:https://twitter.com/domains_movie
草野なつかTwitter:https://twitter.com/na2ka

2020/09/11(金)(山﨑健太)

バンクシー展 天才か反逆者か

会期:2020/03/15~2020/10/04

アソビル[神奈川県]

バンクシー非公認の「バンクシー展」だし、グラフィティじゃなくて版画だし、サブタイトルが陳腐だし、日時指定の予約制だし、会場が聞いたこともないエンタテインメント施設だし、なのに料金が1800円と高いし……。友人が予約して金まで払ってくれなきゃ行かなかったでしょうね。でも見てみたら、版画とはいえたくさんあるし、ドキュメント写真や映像もけっこうあるし、カタログもそれなりにしっかりつくっているし、得したとまでは言わないけど、損はなかった。

会場に入ると、バンクシーのスタジオらしきものが再現され、黒ずくめで顔が見えないバンクシーらしき人形も置かれ、ちょっと怪しい雰囲気。展覧会は、うやうやしく額縁に収まった版画を中心に、ステンシル作品や直筆のメモなどが並び、合間にライティング現場の写真、「ディズマランド」や「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」などのプロジェクトを写真や映像で紹介する構成。版画の多くはどこかの壁に書いたグラフィティを焼き直して商品化したものだが、ストリートで見るのと違って、どうしてもウィットに富んだポスター程度にしか見られないのが致命的だ。もちろん、グラフィティは限られた人しか見られないから、より多くの人に見せたいとの思いがあったのだろう。でもそれより近年は、テーマパークをつくったりホテルを運営したり慈善運動までしているので、その資金に充てるのが目的に違いない。

作品数は思ったより多く、こんなにつくっていたのかと驚くが、しかし数打ちゃ当たるで凡作が多いのも事実。それにイギリスやEUに関する時事ネタが多く、英語も多いので、日本人には理解しづらい作品も少なくない。要は見て楽しむより、読み解いて納得する図柄なのだ。まあそんなことも含めて、いろいろ知ることができたのは無駄ではない。いずれにせよ、バンクシーにとってはストリートアートが主で、版画はあくまで従、もしくは必要悪と思っていたから(実際そうだけど)、展覧会もショボいに違いないと期待していなかっただけに、いい意味で裏切られた。いっそ版画をなくして、ストリートの現場写真やドキュメント映像だけ見せたほうが、よりバンクシーらしさが伝わると思う。

2020/09/15(火)(村田真)

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小西拓良「笹舟」

会期:2020/09/11~2020/09/24

富士フイルムフォトサロン東京 スペース3[東京都]

現代日本写真におけるスナップ写真の可能性を探るという意図のもとに、有元伸也、ERIC、大西正、大西みつぐ、オカダキサラ、尾仲浩二、中野正貴、中藤毅彦、ハービー・山口、原美樹子、元田敬三の11名が参加した企画展「平成・東京・スナップLOVE」(FUJI FILM SQUARE、2019年6月~7月)は、なかなか面白い展覧会だった。その関連企画として、各写真家によるポートフォリオレビューも開催され、ファイナリストに選出された写真家たちの個展が、1年後に富士フイルムフォトサロン東京 スペース3で開催されることになった。小西拓良の「笹舟」(中藤毅彦選)も、その「ポートフォリオレビュー/ファイナル・セレクション展」の枠で開催されている。

小西の前には、山端拓哉のちょっと脱力感があるロシア紀行「ロシア語日記」(尾仲浩二選、8月28日~9月10日)が展示されていた。山端の作品もなかなか味わい深かったが、小西も独自の写真観を持ついい写真家である。奥さんとの日常を、モノクローム写真で淡々と綴った作品だが、33点の写真の選択、配置が実に的確で、観客を安らぎと不安とが交錯する世界へと引き込んでいく。何といっても、痩身だが強い存在感を放つ奥さんに被写体としての魅力がある。だがそれだけでなく、セミの遺骸、フライパンの目玉焼き、カーテンの隙間から覗く外の風景など、些細だが印象深い光景をしっかりと拾っている。さらに続けていけば、よりふくらみと深さを持つシリーズに成長していくのではないだろうか。

この「ポートフォリオレビュー/ファイナル・セレクション展」の企画では、東京で展示された山端と小西のほかに、富士フイルムフォトサロン大阪で、阪東美音「メロウ」(元田敬三選、10月2日~15日)、前川朋子「涯ての灯火」(大西みつぐ選、同)が開催される。だが残念なことに、東京での展示は大阪で、大阪の展示は東京では見ることができない。この企画が今後も続くなら、ぜひ東京と大阪の両方での展示を実現してほしい。

関連レビュー

FUJIFILM SQUARE 企画写真展 11人の写真家の物語。新たな時代、令和へ 「平成・東京・スナップLOVE」 Heisei - Tokyo - Snap Shot Love|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2019年07月01日号)

2020/09/16(水)(飯沢耕太郎)

立木義浩「Afternoon in Paris / 昼下がりのパリ」

会期:2020/08/26~2020/09/19

Kiyoyuki Kuwabara AG[東京都]

立木義浩(1937-)は、いうまでもなく1960年代以来、広告、ファッション、ポートレート、ドキュメントなど、さまざまなジャンルの第一線で活動してきた写真家である。一方で、彼は仕事ではない普段着の写真というべき街のスナップショットもずっと撮り続けてきた。このところ、まるで古い日記帳を開くように、そんな写真群を発表する機会が多くなってきている。東京都中央区東神田(馬喰町)のKiyoyuki Kuwabara AGでの今回の個展でも、1966年以来何度となく訪れたというパリで、折に触れて撮影したモノクローム写真22点(ほかにカラー写真のヌードが1点)を出品していた。

未発表作品を含むモノクローム写真は、すべて6×6判のフォーマットで撮影されている。セーヌ川、公園、彫刻家のアトリエ、ショーウィンドウなど、写っているのは、いわゆる「パリ写真」の典型とでもいうべき光景である。だが、被写体を堅苦しくなく、あまり構えずに画面におさめていく手つきに、長年の練達の技が発揮されている。好奇心と批評性との見事な融合というべき写真群を見ていると、まさに「昼下がりのパリ」の空気感が、写真から染み透ってくるように感じる。馬喰町の古いビルの一室にある、会計事務所を兼ねたギャラリーの雰囲気と、写真から発するトーンとが、とてもうまく溶け合っていた。

Kiyoyuki Kuwabara AGの近くには、Kanzan Gallery、Roonee 247 Fine Artsなど、他にもいくつか写真作品をよく扱うギャラリーがある。馬喰町周辺の写真展は、これから先も期待できそうだ。

2020/09/17(木)(飯沢耕太郎)

清水哲朗「トウキョウカラス」

会期:2020/09/01~2020/09/27

JCIIフォトサロン[東京都]

1975年、横浜市生まれの清水哲朗は、2005年に「路上少年」で第一回名取洋之助写真賞を受賞し、2016年には、近代化が進むモンゴルの状況を捉えた写真集『New Type』(日本カメラ社)を刊行するなど、このところ注目を集めているドキュメンタリー写真家である。本作「トウキョウカラス」は、その彼の「幻のデビュー作」になる。

日本写真芸術専門学校を卒業して、竹内敏信の助手を務めていた1995年から、清水は東京の渋谷や銀座に群れ集うハシブトガラスを撮り始めた。都会にねぐらを作り、餌を採り、家族で子育てをするカラスたちの「カッコイイ、理想の生きかた」に憧れたのが動機だったという。当時、3万羽と言われた東京のカラスは、その禍々しい見かけと、ゴミを漁って食い散らかしたり、人を襲ったりすることで忌み嫌われ、「捕獲作戦」が展開されていた。だが、やはり清水が当時追いかけていたネズミと同様に、カラスのような人間と共存する生き物のあり方は、都市における自然環境について考えるいい指標になる。清水のアプローチは、動物写真家たちの生態写真とも、深瀬昌久の『烏』のような自己表現とも異なる、まさにドキュメンタリー写真的というべきユニークなものになっていた。残念なことに、8年間にわたって続けられ、35ミリフィルム235本、中判フィルム11本に達したというこの労作は、なかなか発表の場に恵まれなかった。今回のJCIIフォトサロンでの展示で、ようやく陽の目を見ることになったのは、とてもよかったと思う。

2019年6月に銀座ニコンサロンで開催された原啓義の個展「そこに生きる」では、銀座を徘徊するネズミたちにスポットが当てられていた。今回の清水の作品も含めて、「都会の動物たち」の写真展や写真集の企画も成り立つのではないだろうか。

2020/09/18(金)(飯沢耕太郎)

2020年10月01日号の
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