artscapeレビュー

2022年03月01日号のレビュー/プレビュー

白石ちえこ「銀の影」

会期:2022/01/29~2022/02/09

ギャラリー ユニコ[東京都]

白石ちえこのデビュー写真集『サボテンとしっぽ』(冬青社、2008)は、旅先で見つけた「町の片隅でしずかに深呼吸する古びた建物や、ちょっととぼけたモノ」たちをモノクロームの画面に切り取って配置したスナップ写真を集めたものだった。その後、白石は大正~昭和初期の「芸術写真」の時代に広く使われた「描き起こし」(「雑巾がけ」とも称される)の技法を使った作品を発表するようになる。印画紙にオイルを引き、その上から顔料で着色し、一部を拭いとったりしながら画面を整えていく手技の要素が強い手法である。

結果的に、白石の写真のスタイルは大きく変わる。『島影』(蒼穹舎、2015)、『鹿渡り』(蒼穹舎、2020)と続けて出た写真集では、ピクトリアルな雰囲気が強まり、現実世界をそのまま描写するのではなく、白石の記憶や夢のフィルターを介したうえで、別な次元の画像に置き換えて提示するようになった。今回のギャラリー ユニコの個展では、その完成形というべき珠玉の作品が並ぶとともに、新たな試みとして、鶏卵紙(アルビューメン・プリント)を使ってセピア色の色味を強調した小品も出品されていた。

新作に加えてミニ回顧展の趣もある展示なので、被写体の幅はかなり広い。風景や静物だけでなく、動物や植物のような生きものにもよく目を向けている。注目すべきなのは、白石の「描き起こし」や鶏卵紙を使った作品が、単純に古典技法の再現というレベルに留まらず、彼女の作家意識としっかり結びついていることだ。なぜ古典技法を使うのかという必然性を強く感じる。『サボテンとしっぽ』の頃から、白石が強く心惹かれるのは、目立たない「片隅」にひっそりと息づいている「小さな」ものたちなのではないだろうか。そのミクロコスモスへのこだわりが、完璧なテクニックに裏打ちされ、微妙な手触り感のある魅力的な作品群として結晶している。

なお同時期に、大阪府豊中市のG&S根雨でも「町の光景、島の風景 1998-2021」(2022年1月14日~2月23日)が開催された。両展に共通する作品も出品されている。

2022/01/31(月)(飯沢耕太郎)

原久路&林ナツミ「セカイヲミツメル」

会期:2022/01/06~2022/02/07

リコーイメージングスクエア東京[東京都]

東京でユニットとして活動していた原久路&林ナツミは、東日本大震災後の2014年に大分県別府市に移住した。そこで、偶然の機会からひとりの少女に出会い、彼女を撮影したことから写真シリーズ「セカイヲミツメル」を構想する。「少女たちのまなざし」に魅せられ、「芝居がかった華やぎから、物憂い真面目さへと一瞬ごとに移ろうきらめき」を捉えようとしたのだ。本展には同シリーズから約40点が展示されていた。

むろん、ただの「美少女写真」ではない。原と林は、スナップショットと演出写真の要素を巧みに使い分け、さまざまなアイディアを的確に実現していく。デジタル画像特有の合成や加工も無理なく取り込んでいた。さらに、この年頃のモデルたちのなかに潜んでいる残酷さやビザールさも見過ごしてはいない。棒のようなものを手に、もうひとりの自分を冷酷に見据える少女(《双子ごっこ》と題されている)、水を吐く少女、巨大化した少女など、「美少女写真」の範疇を乗りこえていこうという意欲を感じる。

ただまだ全体的に、どこか絵空事めいた気分が漂っていることは否定できない。原の旧作「バルテュス絵画の考察」(2009)や林の「本日の浮遊」シリーズ(2011~)から強く伝わってきた、「これを見せたい」という切実さが、本作にはあまり感じられないのだ。いい作品もあるが、まだ習作の段階のようなものも目につく。たとえばひとりの少女、あるいはひとつのコンセプトに徹底してこだわることも、考えていいのではないかと思う。

2022/02/04(金)(飯沢耕太郎)

subjektive fotografie vol.4 原本康三

会期:2022/01/19~2022/02/12

スタジオ35分[東京都]

東京・新井薬師前のスタジオ35分で連続的に開催されてきた「subjektive fotografie」展も4回目を迎えた。新山清、大藤薫、後藤敬一郎に続いて、今回は広島出身の原本康三(1921-2006)を紹介している。ドイツ・ザールブリュッケンのオットー・シュタイネルトが1950年代に展開した「subjektive fotografie」展(日本では「主観主義写真」と称された)には、同時代の何人かの日本人写真家が参加している。原本康三もその一人で、シュタイネルトの企画で1959年に開催された「subjektive fotografie 3」展に出品し、同展のカタログを兼ねて1959年3月に、スイス・ローザンヌで刊行された『camera』誌の「subjektive fotografie」特集にも、マン・レイ、ラースロー・モホイ=ナジ、ハーバート・バイヤー、アーヴィング・ペンらとともに作品が掲載されている。今回は、残された数少ないヴィンテージ・プリントから複写したニュー・プリントが展示されていた。

原本は、主に瀬戸内海沿岸の海辺に題材を求めて撮影を試みていた。魚介類、海辺の道、石垣、網などの日常的な事物を、白黒のコントラストの高いプリントに焼き付け、ときにはネガフォトなどのテクニックも用いている。極端な幻想性に走るのではなく、あくまでもリアルな実感が基調になっており、画面構成のテンションも高い。とりたてて特徴のある作風とはいえないが、この時期の「主観主義写真」の作り手の表現レベルを、しっかりと体現しているといえるだろう。

スタジオ35分の連続展示によって、短命には終わった日本の「主観主義写真」の時代の見取り図が、少しずつ明らかになってきた。次世代の写真家グループVIVOとその周辺の写真家たちを含めて、その射程は意外なほどの広がりを見せている。そろそろ、その全体像を外観できる写真集、あるいは展覧会を企画するべき時期が来ているのではないだろうか。

2022/02/04(金)(飯沢耕太郎)

潮田登久子『マイハズバンド』

発行所:torch press

発行日:2022/02/05

潮田登久子の新著『マイハズバンド』のページをめくって、嬉しい驚きを味わった。潮田は、1978年に写真家の島尾伸三と結婚し、同年には娘の真帆が生まれて、79年から世田谷区豪徳寺の古い洋館の2階の1室に住みはじめた。その1970年代末から80年代初頭にかけて撮影された、6×6判のカメラと35ミリ判のカメラの写真群を、それぞれ分冊して掲載した2冊組の写真集には、当時の彼らの暮らしが写り込んでいる。

潮田といえば、代表作の『冷蔵庫』(光村印刷、1996)や『BIBLIOHECA』シリーズ3部作(2016~17)を見れば分かるように、桑沢デザイン研究所時代で学んだ大辻清司や石元泰博の作風を受け継いで、コンセプトを定め、中判カメラで“モノ”のたたずまいや質感をしっかりと押さえていく写真家というイメージが強かった。「生活」のディテールに細やかに分け入り、融通無碍なカメラワークで撮影していく写真のあり方は、むしろ夫の島尾伸三の領域であるように思い込んでいたのだ。

ところが、今回の写真集を見ると、『冷蔵庫』の原型となった中古の冷蔵庫を撮影した写真のように、「モノ」や風景を端正な画面構成の意識で切りとった作品もあるが、夫と娘とともに過ごす時空間の厚みと広がりを、伸び縮みする視線で自在に捉えたスナップ写真が多いことに気がつく。つまり、潮田と島尾は別に写真家としての分業を企てていたわけではなく、ともに影響を及ぼしあいながら、「生活」の写真化に向き合いつつあったということだろう。宮迫千鶴が『《女性原理》と「写真」』(国文社、1984)で「両性具有原理にもとづく可変的な交換運動的視点から綴られた『写真』の一例」として紹介した、潮田と島尾の「写真的結婚」のあり方が、本書で具体的に形をとっているともいえる。

なお写真集出版に合わせて、潮田登久子「マイハズバンド/My Husband」展(PGI、1月26日~3月12日)が開催されている。

2022/02/05(土)(飯沢耕太郎)

美術の眼、考古の眼

会期:2022/01/22~2022/03/06

横浜市歴史博物館[神奈川県]

横浜市歴史博物館というと、なんとなく文化施設の集中する関内にありそうな気がするが、市の中心部からけっこう離れた港北ニュータウン(都筑区)に位置する(関内にあるのは神奈川県立歴史博物館)。なんでこんな郊外につくられたのかというと、新興開発地区で土地が取得しやすかったのかもしれないが、それよりおそらく、隣に弥生時代の大塚・歳勝土遺跡があるというロケーションが大きいだろう。この遺跡では以前アートプロジェクトが行なわれていて、ぼくもその帰りに博物館に立ち寄ったことがある。その歴史博物館で、横浜市出土の縄文土器と現代美術のコラボレーションが行なわれるというから見に行った。

縄文土器と現代美術の組み合わせは唐突に感じられるかもしれないが、例えば弥生土器や鎌倉彫刻などに比べて現代美術との相性がよく、岡本太郎をはじめ縄文に刺激を受けたアーティストは少なくない。それは縄文土器が持つダイナミックな形態や普遍的な渦巻文様が、時代を超えて現代のアーティストにも訴えるからだろう。日本美術史の最古と最新はぐるっと回って、それこそ縄文のようにつながっているのかもしれない。あるいは、縄文から栄養を吸収しようという意味ではウロボロスにたとえるべきか。

出品作家は松山賢、薬王寺太一、間島秀徳、それに縄文人たち。松山は少女像や虫の絵で知られるが、以前から縄文風の渦巻文様を描いたり、野焼きによる土偶もどきも制作してきた。今回は人や獣の身体に渦巻文様を刻んだ「土器怪人」「土器怪獣」シリーズ、それらを絵にした大作《土器怪人怪獣図》などを出品。クマやイノシシやサンショウウオなどを模した小さな土器も多く、売店でも売られている。ホンモノの縄文土器と間違えて買うやつがいるかもしれない。間違えるといえば、薬王寺の土器もホンモノと間違えかねない。薬王寺は南仏で見たメソアメリカの土器や土偶に衝撃を受け、縄文風の土器を制作するようになったという。とはいえ、単なる模倣では意味がないので、土器の形を球体にしたり、現代的な紋様を試みたりしている。それでも本物の縄文土器と並んでいるのを見ると、色も質感もそっくりなので紛らわしい。歴史博物館もこんな冒険をするんだ。

主に水をテーマにする日本画家の間島の作品は、縄文とは直接関係ないが、美術を目指すきっかけになったのが岡本太郎の著書『日本の伝統』(光文社、2005)だと語り、また、八ヶ岳美術館での個展では、村内で出土した縄文土器とともに自作を展示した経験があるということから選ばれたようだ。会場では、間島による長尺の絵巻に松山の土器を載せたコラボも見られるが、引き立て役になっている感は否めない。ホンモノの縄文土器では、高さ40センチほどの阿久和宮腰遺跡出土土器(深鉢)をはじめ、市内で見つかった土器が30点ほど並ぶ。なかには「太陽の塔」によく似た原出口遺跡出土土偶もあって、横浜市にもこんなに縄文人が住んでいたんだと驚く。

さて、考古資料と現代美術を同時に見せる企画展はじつは珍しいものではなく、これまでにも何度かあったし、同展も3年前の「土器怪人土偶怪獣 松山賢展」(津南町農と縄文の体験実習館なじょもん)がきっかけになったと、学芸員の橋口豊氏がカタログに書いている。興味深いのは、それを見た橋口氏が「居心地の悪さに近い違和感を覚え」「この感覚を多くの人と共有できたら面白そうだ」と考えて同展を構想したこと。つまりこの展覧会は、学芸員が調査研究した成果を発表するというより、はしょっていえば「違和感を共有できたら面白そうだ」から始めたものだという。これは目からウロコ。しかも、縄文土器を現代美術として見てもいいし、現代美術を考古資料として見てもいいし、出品作家や学芸員の意図どおりに見ても、無視してもいいと、見方を見る者に丸投げしているのだ。これはもちろん見る者に思考停止を迫るものではなく、逆に自由な思考や想像を促すための仕掛けというべきかもしれない。本来ミュージアムとはそうあるべきだろう。

2022/02/05(土)(村田真)

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