artscapeレビュー

2022年03月01日号のレビュー/プレビュー

笠井爾示『Stuttgart』

発行所:bookshop M

発売日:2022/01/25

笠井爾示は10歳だった1980年に、舞踏家の父、笠井叡と母、久子とともにドイツ・シュトゥットガルトに渡り、18歳まで当地で過ごした。1988年に一時帰国したとき、先に帰っていた母がうつ病で危険な状態にあることを知り、そのまま日本に留まることにする。多摩美術大学卒業後、写真家として幅広く活動するようになるが、シュトゥットガルトは彼にとって特別な思いのある土地であり続けてきた。本書は、2019年7月~8月に母、久子とともにシュトゥットガルトを再訪した時に撮影した写真を、「時系列どおりに」並べた135点(すべて縦位置)によって構成されている。

思い出の土地というだけでなく、母親にカメラを向けるということには、ともすれば決意や構えが必要になるようにも思える。だが、実際に目の前に現われる景色や母の姿は、余分な感情移入がなく、どちらかといえば淡々としたものだ。被写体をコントロールしようという意思はほとんど感じられず、そこにあるものをすっと受け容れ、だが、ここしかないというタイミングでシャッターを切っている。特に印象深いのは、裸の久子を撮影した一連のカットなのだが、それらも、見る者を身構えさせるような押しつけがましさを感じさせない。老化によるからだの歪みやねじれ、窪みや皺なども、あるがままに、むしろチャーミングに写しとっている。息子と母という関係にまつわりつくことが多い陰湿さがまったくないことが、むしろ奇跡のようにすら思える。

むろん、そのような受容的な姿勢を選択するにあたっては、笠井なりの葛藤もあったのではないだろうか。よりドラマティックなスタイルで撮影することもできたはずだ。だが、あえてこの距離感、この空気感を選んだことで、『Stuttgart』は、笠井爾示と久子という母子の関係に収束することなく、「開かれた」写真集として成立した。それは、誰もが自分と母親との関係に思いを寄せてしまうような、強い共感力を備えている。町口覚の造本設計による、ブックデザインが素晴らしい。基調となる黄色は、久子がうつ病から立ち直るきっかけになったという「黄色のラッパスイセン」を意識しているのだろう。

2022/02/06(日)(飯沢耕太郎)

写真家 水谷章人 作品展「甦る白銀の閃光」

会期:2022/01/04~2022/03/30

写真歴史博物館[東京都]

水谷章人(1940~)は日本のスポーツ写真の第一人者である。長野県飯田市に生まれ、1965年に東京綜合写真専門学校卒業後、斬新な作品を次々に発表して新風を吹き込んだ。特にスキー写真は最も力を入れ、得意とするテーマで、今回の「甦る白銀の閃光」展には、その1960~80年代の白黒写真の代表作が出品されていた。

水谷によれば、1980年にパワーライフから写真集としても出版された「白銀の閃光」シリーズには、大きく分けて2つの種類があるという。ひとつは「1000分の1秒を競う競技のアルペンスキーを撮影したスポーツ写真」である。そしてもうひとつは、「基礎スキー」の分野を扱うもので、「スキーヤーをモデルにし、私独自のイメージを映像化したもの」である。今回の展示では主に後者を見ることができたのだが、その素晴らしさに陶然とさせられた。「一流のスキーヤー」をモデルとし、彼らに細かな指示を与えて緻密なプランの下に撮影した写真群は、人と自然とが一体となったスキーという競技の魅力をいきいきと捉えている。それとともに、白黒のコントラストを強めたり、ブレの効果を活かしたりした画面構成によって、動から静、静から動へと一瞬に移り動いていく瞬間が、見事に定着されていた。あらためてモノクローム写真の表現力の凄みを味わうとともに、デジタル化以降、逆にその緊張感が失われてしまったことがよくわかった。

今回はスキーに焦点を絞った展示だったが、スポーツ写真家としての水谷章人の全体像を見ることができる機会も、ぜひつくっていただきたいものだ。

2022/02/07(月)(飯沢耕太郎)

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立川 清志楼/長島 勇太/garland/李 和晋 映像作品展 はじまりの残像

会期:2022/02/04~2022/02/17

Sony Imaging Gallery[東京都]

静止画像を撮影するカメラに動画機能が加わり、精度の高い映像を得ることができるようになった。また、壁に掛けて映像作品を鑑賞することができるモニターの精度も上がってきた。写真作品の専門ギャラリーや写真展を開催する美術館などのスペースで、映像作品を展示するのも当たり前になってきている。その状況の一端を、東京・銀座のSony Imaging Galleryで開催された4人展でも確認することができた。

立川清志楼は「第一次三カ年計画 Selection remix」(2020-2023)と題する連作を出品し、固定カメラで撮影した映像に多重化、アニメーション化などの操作を加えて加工・編集した。長島勇太は《複眼(8つの部分をつなげる)》で、8分割した場面をコラージュ的に構成している。garlandは《Past Light》《Lycoris》《WAVE》の3作品を、それぞれ「彼岸」「此岸」「その合間」というコンセプトで再構築する。李和晋(Hwajin Lee)は「Saudade Project」で、「家族写真が撮影された場所」を探し求める旅の記録を《伊豆》編《新潟と韓国の龍仁》編の2作品にまとめた。

4人とも、映像作品の可能性をそれぞれのやり方で追求しており、作品自体のクオリティも高い。ただ、なぜこの4人なのかという柱の部分が不明確なので、各作品がむしろ互いに相殺しあっているように見えた。それと、静止画像の写真作品をずっと見続けてきた筆者にとっては、映像作品の鑑賞時間がひどく長い(むしろ退屈な)ものに感じてしまう。写真作品と映像作品の見方を切り替えるスイッチが、当の作品のなかに組み込まれているといいのだが、と思ってしまった。写真ではなく映画でもない映像作品には、独自の時空間構築の原理が求められるということでもある。

2022/02/07(月)(飯沢耕太郎)

オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動

会期:2022/01/22~2022/03/21

アーツ千代田 3331[東京都]

1927年竣工という古い建物(食糧ビル)を改装して、東京都江東区にオープンした佐賀町エキジビット・スペース(1983-2000)は、とても印象深く、記憶に残るアート・スペースだった。美術館でもギャラリーでもない「オルタナティブ・スペース」という斬新なコンセプトの下に、新進から中堅までの現代美術の俊英たちが作品を寄せ、大きな話題を集めた。また、現代美術の領域における写真というメディアの可能性を大きく拡張したことも高く評価できる。今回開催された「オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動」展は、その佐賀町エキジビット・スペースの運営において、中心的な役割を担った小池一子の回顧展である。

展示は二部構成で、第一部「中間子─編集、翻訳、コピーライト、企画、キュレーション」では、早稲田大学文学部を卒業して、1959年に堀内誠一が所属していたアド・センターに入社してから後の、主に広告の領域で展開された仕事を集成している。田中一光、三宅一生、石岡瑛子といったクリエイターとの出会いにも触発され、PARCOや無印良品などの仕事で、時代の最先端の広告表現を切り拓いていった。

だが、今回の展覧会の白眉といえるのは、やはり第二部「佐賀町─現代美術の定点観測」だろう。こちらは佐賀町エキジビット・スペースで取り上げてきた大竹伸朗、岡部昌生、杉本博司、内藤礼、森村泰昌、横尾忠則、吉澤美香らの作品が並ぶ。杉本や森村だけでなく、写真を使った作品としては、1993年に開催された「00-Collaboration 詩と美術」展に出品された佐藤時啓×野村喜和夫の《光―呼吸/反復彷徨》(1993)も展示されていた。たしか同スペースではオノデラユキも展覧会を開催しているはずで、1990年代の現代美術と写真の融合の状況をリードしていたのが、佐賀町エキジビット・スペースだったことは間違いない。

とはいえ、小池の仕事をとりたてて広告と現代美術に分けて論じる必要はないのではないかとも思う。彼女の行動原理の基本は、世界をポジティブに捉え返し、力強く、質の高いメッセージを伝達することにあり、その点においては両方の領域に違いはないからだ。小池はむしろ、佐賀町エキジビット・スペースの活動を通じて、写真や広告などの要素を積極的に取り込むことで、現代美術をより開かれたものにすることを試みたのではないだろうか。

2022/02/08(土)(飯沢耕太郎)

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ハリナ・ディルシュカ『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』

つい10年前まではまったくといっていいほど無名だったスウェーデンの画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)。2013年にストックホルム近代美術館を皮切りにヨーロッパで巡回展が開かれて一躍注目を浴び、2018-19年にはグッゲンハイム美術館で回顧展が開催され、同館最多の約60万人の動員を記録したという。なぜそんなに話題になったのか? それはクリントが、抽象絵画の先駆者とされるカンディンスキーやモンドリアンより早くから抽象画を描いていたからであり、そして女性だったからだ。この2点は密接に結びついて、ある疑念を生じさせる。つまり、クリントは女性ゆえに「最初の抽象画家」の名誉に与れなかったのではないかと。この映画は、クリントの生涯をざっくり振り返りつつ、そうした疑惑についての論争を紹介するもの。

クリントは、似たような名前の画家クリムト(1862-1918)と同じ年にスウェーデンに生まれ、同じ北欧の画家ムンク(1863-1944)と同時代を生きた。ついでにいうと、カンディンスキー(1866-1944)やモンドリアン(1872-1944)も同じ年に亡くなっている。ストックホルムの王立芸術アカデミーで学び、そこで知り合った4人の女性と「ザ・ファイブ(De Fem)」を結成。彼女たちはスピリチュアリズムに関心を抱き、神智学に傾倒し、しばしば降霊術も行なっていたという。こうした神秘的思考を絵画に反映させ、1906年から植物の枝葉や記号を思わせる抽象的な図像を描き始めた。カンディンスキーが初めて抽象絵画を描いたのは1910年頃とされるから、それより数年早いことになる。

こうしたことから、抽象絵画を始めたのはカンディンスキーでもモンドリアンでもなく、ヒルマ・アフ・クリントであり、美術史は書き換えなければならないといった意見や、そうしないのは彼女が女性だからだといった主張が展開されていることを映画では紹介している。確かにそのとおりだが、しかし一方で、映画を見る限り、植物的な形態の残る彼女の絵画が果たして純粋抽象といえるのか、あるいは、降霊術を用いて描いたとされる絵画がモダンアートとしての抽象と認められるのか、といった疑問も湧いてくる(カンディンスキーもモンドリアンも神智学の影響を受けたことは知られているが、降霊術を用いて描いたとは聞いたことがない)。もしそうだとしたら、例えばアウトサイダーアートの代表的存在であるアドルフ・ヴェルフリが、1904年から始めたドローイングが史上初の抽象絵画になるかもしれない。いや、そもそも抽象図像ならそれこそ古今東西どこでも見られるものだ。

そう考えていくと、抽象絵画を創始したのはいつ、だれかといった問題は些末なものに思えてくる。確かに、クリントはカンディンスキーより早くから抽象化を進めていただろうし、にもかかわらずそれが美術史に記載されないのは彼女が女性だったからかもしれない。そのことが重要ではないとはいわないが、でもこの映画はそんな論争を超えて、「抽象」とはなにか、「絵画」とはなにか、人はなにに突き動かされて絵を描くのか、といった根源的な問題にまで思いを馳せさせてくれるのだ。そこがすばらしい。


公式サイト:https://trenova.jp/hilma/(2022年4月公開予定)

2022/02/08(火)(村田真)

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