artscapeレビュー
2009年04月15日号のレビュー/プレビュー
ma+chi「手のひらが横濱」
会期:2009/03/04~2009/03/15
創造空間9001[神奈川県]
「YOKOHAMA創造界隈コンペ2008」のうち、東横線桜木町駅跡の9001の空間を生かした「空間創造部門」の受賞展。受賞者は3人のアーティストからなるma+chiというユニットだが、会場に入るとガランとしていて「なにかやってるの?」って感じ。プランの段階では「人と人、人と街、人と歴史をつなぐ」コンセプトといい、横浜に根ざしたアイディアといい、ほのぼのとしてわかりやすいプレゼンといい、文句なく受賞が決まったのだが、いざフタを開けてみたらちょっとプランと違うぞ。展示は日々変わっていくらしいが、すでに5日目なのに、床に畳を敷き、可動壁に映像を映し出してるくらいで、殺風景きわまりない。別にプランを変えたわけでも怠惰なわけでもなく、経験不足が原因らしいが、これでは選んだほうの責任も問われかねない。あ、ぼくもそのひとりです。
2009/03/08(日)(村田真)
小栗昌子「トオヌップ」
会期:2009/03/03~2009/03/31
ギャラリー冬青[東京都]
名古屋出身の小栗昌子は、1999年に岩手県遠野に移住した。『遠野物語』に憧れて夏に旅行したのがきっかけで、たまたま出会ったお祭りや住人たちの佇まいに魅せられ、そのまま居ついてしまった。写真展と同時に刊行された写真集『トオヌップ』(冬青社)の「あとがき」にはこんなふうに書いている。
「……私は心の中にある芯が揺さぶられ、
ひとつの蓋が外されたような気がしたのです。
そして同時に“この場所を撮りたい”と強く思いました。
その時の思いを今でもはっきりと憶えています。
今も胸に抱きつつ、この場所に立っています。」
小栗が書いている「ひとつの蓋が外されたような」感覚を、写真を見るわれわれもまた共有できる気がする。「トオヌップ」の写真に写っている人々や風景からは、始源的な生命力としかいいようのないエネルギーの波動が直接伝わってきて、われわれの閉ざされた心の覆いを取り払ってしまうのだ。こんな光や風に包み込まれて、愛おしく逞しい遠野の人たちとともに暮らしていたい──そんなことを強く思ってしまう。
前作の『百年のひまわり』(Visual Arts、2005)でも強く感じたのだが、小栗昌子の一見オーソドックスで何の変哲もない写真には、不思議な力が備わっている。見ているうちにじわじわとその世界に みとられ、「これでいいのだ」という確信が育ってくるのだ。本当にいい写真家だと思う。彼女が遠野で写真を撮り続けているということを思っただけで心が安らぐ。
2009/03/10(火)(飯沢耕太郎)
秋元茂「CRYSTALOGRAPHY」
会期:2009/03/03~2009/04/30
gallery bauhaus[東京都]
「CRYSTALOGRAPHY」というのは「結晶図像学」とでも訳せばいいのだろうか。写真家の部屋の中にいつのまにか集まって来たオブジェ群が、知らぬ間に「結晶化」し、まったく違ったものに変容する瞬間があるのだという。4×5判のカメラを用いて、その瞬間を精妙なバランス感覚で固定した端正な写真が並ぶ。ガラス、木片、楽譜、グラスと水など素材はシンプルだが、「偶然性に出来る限り依存せず、被写体を含めたすべてを自己のコントロールの下に置き、思念を過飽和状態にして結晶化の行為を待つ」という科学者のような態度が貫かれていて、ぴんと張りつめた緊張感がある。秋元茂は博報堂写真部を経てフリーランスで活動するベテランだが、このような職人的な技巧の冴えをきちんと見せてくれる写真家も少なくなってきた。1Fに展示されていた田辺聖子、蜷川幸雄、樹木希林などのポートレートも、隅々まで神経が行き届いていてなかなかよかった。
ところでgallery bauhausに行ったのは、秋元の個展を観るだけではなく、その前の横谷宣展で購入した作品を取りに行くためでもあった。オーナーの小瀧達郎さんと話をして驚いたのだが、なんと横谷の作品は51点(!)も売れたのだという。5万円台という手頃な価格設定ということもあっただろうが、ほとんど無名の写真家の初個展ということを考えると、これは驚くべき数字である。口コミやブログでじわじわと人気が高まり、初めて写真作品を購入するような人が次々に訪れて買っていったらしい。横谷本人の修行僧を思わせる特異なキャラクターもさることながら、やはり彼の写真そのものに力があるということだろう。いい作品はきちんと動く。そのことを証明する快挙といえるのではないだろうか。
2009/03/13(金)(飯沢耕太郎)
no name
会期:2009/03/12~2009/03/16
ZAIM別館4階[神奈川県]
東西の美大の出身者や在校生ら9人による展示。「no name」とは「無名展」みたいなニュアンスか。さまざまなイメージを寄せ集めた厚地朋子の絵画、ガラス板の上にシルクスクリーンでインクを盛った芳木麻里絵のレリーフ版画がいい。とくに芳木はモチーフに中国絵画や額縁やレース編みを選ぶなどセンス抜群。これは買いだ。
2009/03/13(金)(村田真)
『ゼラチンシルバーLOVE』
会期:2009/03/07~2009/04/10
東京都写真美術館 1Fホール他[東京都他]
写真家として長いキャリアを持ち、ピラミッドフィルムの主宰者としてコマーシャル・フィルムも多数製作してきた操上和美の映画監督第一作。主演の宮沢りえの妊娠騒ぎなどもあって話題の映画を、東京都写真美術館のホールで観てきた。
冒頭からいかにも操上らしいクローズアップの質感描写が続く。重厚で切れ味の鋭さをあわせ持つ映像の魅力は全篇に貫かれていて、その点では安心して観ていられる。ストーリーもとても古典的でストイック。見続ける男(カメラマン=永瀬正敏)と見られる女(殺し屋=宮沢りえ)が、永遠に交わらない平行線のような関係を延々と続け、その間に彼女の姿を盗撮した映像に対する男の欲望が異様に昂進していくと言う筋立ては、あまり新鮮さはないがきちんと練り上げられている。ただ映画の後半になるに従って、男と女が実際にクロスしはじめると、緊密な構成に破綻が生じてくるように感じる。「触れることなく、言葉も交わさずに、愛を昇華する──」というのが映画のチラシの謳い文句なのだが、男も女もかなり饒舌に、互いに言葉をかける場面があるのだ。しかもこれは脚本家の責任だと思うが、セリフが堅苦しく、聞いていてちょっと白けてしまう。
もう一つ、永瀬正敏が自分の作品として撮影している写真がどうもぴんとこない。「なぜこんな黴みたいに気持ちの悪い写真を撮っているのか?」と問われて、「僕はこれが美しいと思って撮っているのです」と答える場面があるが、普通のカメラマンならこんな歯が浮くようなことは絶対にいわないだろう。これまた脚本家が勝手に想像して書いたセリフだと思うが、できれば監督としてチェックしてほしかった。いい脚本家と組めば、もっといい映画ができそう。次作はぜひ笑える映画にしてほしい。今回はコメディアンとして優れた素質を持つ永瀬正敏が熱演しているにもかかわらず、笑いが不完全燃焼。
2009/03/14(土)(飯沢耕太郎)