2018年01月15日号
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artscapeレビュー

新・今日の作家展2017 キオクのかたち/キロクのかたち 笹岡啓子《PARK CITY》

2017年11月15日号

会期:2017/09/22~2017/10/09

横浜市民ギャラリー[神奈川県]

「キオクのかたち/キロクのかたち」展のレビュー後編。
「語ること」の可能性を模索する前編の3組とは異なり、広島という歴史的な刻印を押された地に身を置き、「語ること」の不可能性もしくは飽和状態を見つめ直すことから出発しようとするのが笹岡啓子の写真作品《PARK CITY》である。笹岡は、夜間の平和記念公園や市街地、平和記念資料館の展示室をモノクロで撮影した写真集『PARK CITY』(2009)を刊行後、近年はカラープリントを発表している。この移行に見られるある種の断絶、もしくは「ヒロシマ」の表象をめぐる転回については、6月のThe Third Gallery Ayaでの個展レビューで考察した。
本展では、大判のカラープリントのあいだに小ぶりのモノクロプリントが点在し、さらにネガポジ反転された写真も加わり、視線と焦点を定めにくい分散的な展示方法が(あえて)採られた。長時間露光撮影により、観光客や通行人の姿が希薄な陽炎のように空中を漂い、「亡霊」の出現、もしくは「原爆の炸裂の瞬間に蒸発した人間」を否応なしに想起させるカラーの近作。そこでは、観光客で溢れる明るい現在の公園の中に、(炸裂の瞬間という記録不可能な)「過去」が召喚され、狂気に満ちたイメージが出現する。また、資料館の展示室で撮影した写真では、写真パネルや映像展示とそれを「見る」観客の姿に笹岡は執拗にカメラを向ける。大きく引き伸ばされた焼野原の写真をスマホで「撮影」する観客たち、入れ子状に増殖する「写真」の生産。リニューアルされた展示室で、円形の都市模型にプロジェクションされる原爆投下前/投下後のCG映像に魅入る観客たち。「映像」の「ヒロシマ」、「映像」でしかない「ヒロシマ」、その実体感の希薄さ。ネガポジ反転された写真群が、「失調」という感覚を増幅する。
そして、これらのカラー写真のあいだに置かれたモノクロ写真は、遠目にはほぼ真っ黒で、至近距離で目を凝らさないとよく見えない(闇に浮かぶ献灯の前で佇む後ろ姿や、人々が集う川辺の背後にうっすら浮かぶ原爆ドームのシルエットなど)。大判のカラープリントと小ぶりのモノクロプリントが隣り合って並ぶため、作品との「適切な距離」がうまく取れない。引きで見ようとするとモノクロの画面はほぼ真っ黒で判別できず、接近して見るとカラーのプリントは視界からはみ出してしまう。引きと接近の狭間を往還し、その都度焦点を合わせ直しながら、小さな疲労が次第に身体に溜まっていく。
「適切な距離感の把握」の失調、それは、きれいに整備された公園/写真や映像の実体のなさが浮遊する平和記念資料館内において、「ヒロシマ」を捉えようとする時の距離間隔の喪失でもある。笹岡の展示は、「広島」のなかにある「ヒロシマ」の見えづらさ、捉えどころのない距離感の失調感覚を、一枚の写真の中だけで完結させるのではなく、展示空間全体の体験へと拡張し、観客に体感させることに成功していた。
また、笹岡のカメラが、平和記念公園と資料館の双方において、外国人観光客の姿を多く捉えていることにも注目したい。「広島」が抽象的な概念ではなく、世界遺産登録やオバマ来訪といった外的要因によって外国人観光客が増加するなど、絶えず変化していく現実の生きた場所であり、また東館のリニューアルなど「展示」内容や形態がメディアの進歩とともに加算され更新されていく以上、「ヒロシマの表象」をめぐる笹岡の抵抗の試みもまた、何度でも編み直されていかねばならない。


笹岡啓子《PARK CITY》展示風景 Photo: Ken KATO

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