2018年10月15日号
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artscapeレビュー

2017年01月15日号のレビュー/プレビュー

前橋の二人:村田峰紀・八木隆行

会期:2016/12/03~2016/12/24

CAS[大阪府]

群馬県・前橋を拠点に活動する1970年代生まれの二人のアーティスト、村田峰紀と八木隆行を紹介する企画。両者の共通項はパフォーマンス性の強い表現にあるが、そのベクトルは対照的だ。村田峰紀は、まるでロックミュージシャンがギターを激しくかき鳴らすように、支持体の表面にボールペンを突き立てて暴力的に線を描き殴り、破壊的な力が加えられた表面の痕跡を提示している。その行為は「ドローイング」というよりは「表面を削り取る」と言った方が近い。ベニヤ板はボロボロに風化した樹肌を思わせ、金属板は熱で溶解したかのような無残な姿をさらしている。唸り声を発しながら全身の力を込めて描き殴る姿は怒りや狂気すら感じさせ、「表現行為」に潜在する暴力的な力を増幅し、見る者にあらためて突きつける。
このように破壊的で内向的な村田に対して、八木隆行は、自作の「浴槽(兼ボート)」をバックパックのように背負って山野や清流などを歩き、湯を沸かして入浴するというパフォーマンスを行なっている。山歩きを楽しんだ後、豊かな緑に囲まれて汗を流す。雪景色の中で湯につかりながらビールを飲む。あるいは、無人の屋上空間を独り占めして入浴する。まるで野点のように、狭く閉じた個室空間を飛び出して屋外の広い空間へ赴き、景色を楽しみながら入浴する姿は、開放的でおおらかさを感じさせる。大阪で開催された本展では、道頓堀からギャラリーまでの道のりを「浴槽」を背負って歩き、ギャラリーの入居する雑居ビルの屋上で入浴パフォーマンスが行なわれた。
ここで八木のパフォーマンスが興味深いのは、一見するとユルく脱力的で無為にすら思える見かけのなかに、密かに政治性を内包している点だ。自然の山野やビルの屋上など屋外の公共的な空間を一時的に占拠し、プライベートな空間へと変容させること。さらに、入浴=「裸になること」を、単に衛生上の日課を超えた、「日本人が大好きな娯楽的習俗」という私的で非政治的な理由に回収させてぬけぬけと成立させ、しかも悠々自適に楽しみながらやってのけるところに、「自主規制・検閲」が跋扈する現在、パフォーマンス・アートとしての八木の優れた政治性がある。
前橋と言えば、2013年に開館したアーツ前橋が記憶に新しいが、「群馬」という地方に拠点を置くことに対して意識的に活動してきた作家に、白川昌生がいる。70~80年代に渡欧し、帰国後の1993年、地域とアートをつなぐ美術活動団体「場所・群馬」を創設した白川の活動は、2014年にアーツ前橋で開催された個展「ダダ、ダダ、ダ 地域に生きる想像☆の力」でも総括的に紹介されていた。そうした前橋(群馬)という地方都市がもつ土壌の豊かさや場所のポテンシャルについても考えさせる展覧会だった。

2016/12/07(水)(高嶋慈)

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

ティム・バートンの映画『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』を見る。「X-MEN」シリーズのように、外界と隔絶して生活する特殊能力をもった子どもたちが、第二次世界大戦の空爆で破壊される前の館で永遠の1日をループする。この館がピクチャレスクなデザインの建築で(ベルギーに実在する城らしい)、廃墟やトピアリのある庭園の表現なども含めて、いかにもティム・バートン好みの舞台だった。

2016/12/07(水)(五十嵐太郎)

東北大学萩友会同窓生インタビュー 円城塔氏

東北大学東京分室[東京都]

円城塔の小説をまとめて読む機会を得たが、風景の描写や人間のドラマを書くのではなく、本の本、あるいは書くこととは何かを考える概念そのものが対象のメタフィクションが多く、SF的なボルヘスのようだ。東北大の同窓誌のインタビューでは、表現者というより、法螺話の論理を徹底的にドライブさせる職人の側面がうかがえた。彼の本を読んでいると、本人が理想としている文章の生産は、オートマトンで自動書記機械のような感じだ。デビュー作となった『Self-Reference ENGINE』は、研究職の合間に、毎日カフェで限られた時間にお題を決めて書いた短編を連鎖させたものだというのもうなずける。

2016/12/07(水)(五十嵐太郎)

原倫太郎「上昇と下降」

会期:2016/11/19~2016/12/18

AYUMIGALLERY/CAVE[東京都]

大きい部屋では数十個のカラフルなボールが宙を飛び交ってる。んなわけないので近づいて見ると、空間に張り巡らせた2本の透明なテグスのレール上を滑り降りている。下まで降りたボールはリフトで天井近くまで上がり、再び滑り降りていく仕掛けだ。それが2組あるけれど、レールが複雑に交差しているので全体でひとつに見える。なんか楽しげでありながら、見ているうちに哀しげにも感じられてくる。ここでシジフォスの神話を思い出すのは野暮というものだろう。

2016/12/07(水)(村田真)

ザ・フィルハーモニクス

東北大学百周年記念会館 川内萩ホール[宮城県]

卒計イベントで何度も壇上側にいたが、音楽ホールとして観客側から見たのは初めての体験だった。演奏者が7名のみだと、ステージが広く感じられる。器楽のアンサンブルゆえに、冒頭の曲からメンバーが歌い出して驚く。かなり娯楽よりの内容だが、クラシックのコンサートが形式化される以前の、大昔の演奏はむしろそうだったと『コンサートという文化装置』に書かれていたことを思い出す。

2016/12/08(木)(五十嵐太郎)

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