artscapeレビュー
齋藤さだむ「不在の光景」
2012年05月15日号
会期:2012/04/03~2012/04/22
いわき市立美術館[福島県]
齋藤さだむが展覧会のリーフレットに寄せた「不在の光景」という文章で、こんなふうに書いている。
「写真とは、他の表現領域とは異なり、自分が生きている時間と空間のなかでの他者との一瞬の出会いである。そしてその偶然の出会いに気づき、意識することで他者はこちら側に滲入し、それによって出会いの一方の主体である自分自身を超えて何かが立ち現れてくることがあるのが、写真なのではないか」。
齋藤がここで書いている、「出会い」「滲入」そして何ものかの「立ち現れ」といった事態は、たしかに写真を撮るときに常に経験することであり、あらゆる写真に分有されているのではないかと思う。だが、そのような自己と他者との相互関係、相互浸透が、とりわけ研ぎ澄まされた、鋭角的な形で現れてくる状況があるのではないだろうか。齋藤が、今回の個展で展示した東日本大震災の被災地の光景などには、まさに写真特有の表現のあり方がくっきりと露呈しているように見える。
齋藤の撮影のスタイルは、これまでも自然と人工物の境界の領域に向き合い続けてきた技術と経験の蓄積を踏まえた、きわめて正統的な「風景写真」のそれである。だが、目の前の日常と非日常とが逆転した光景を、ひとまずは正確に写しとりながら、彼はやはりその先にある「何か」を無意識のアンテナで探り当てようと試みているように思える。いうまでもなく、それこそが「不在の光景」である。齋藤の写真を見る者は、そこに広がる胸を抉るような痛みをともなう眺めの彼方に、やはり自分にとっての「不在の光景」を立ち上げていきたいという衝動に駆られるのではないだろうか。
なお、同美術館では「光あれ! 河口龍夫─3.11以後の世界から」展が併催されていた。現代美術作家が、渾身の力で「3.11以後の世界」を再構築しようとした素晴らしい作品群だ。
2012/04/21(土)(飯沢耕太郎)