会期:2014/02/11~2014/03/23
松濤美術館[東京都]
ハイレッド・センターは、1963年に高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之らを中心として結成された前衛的芸術家グループ。名前の由来は高松、赤瀬川、中西ら3人の最初の一文字を英語に置き換えたもの。狭義にはその活動期間は1963年5月の「第五次ミキサー計画」から1964年10月の「首都圏清掃整理促進運動」までの1年5カ月であるが、展覧会では1962年8月の「敗戦記念晩餐会」から1967年8月の「表現の不自由展」までの約4年間を取り上げている。活動の中心は、山手線の駅ホームや車内で行なわれた「山手線のフェスティバル」(1962年10月)や、池坊会館屋上で行なわれた「ドロッピング・ショー」(1964年10月)のように美術館や画廊という空間に限定されず、また観客をもイベントの内部に取り込んでしまう「直接行動」。展覧会に出品された作品やイベントに使用されたオブジェが遺されているものの、彼らの活動はその場限りで消えてしまうものばかりである。幸いなことに「ハイレッド・センター」についてはかなりの資料が遺されている。それは「メンバー各自の個人的な性癖もさることながら、後にはじまる『千円札裁判』への証拠固めとして、その周辺よりいやおうなく要請されたところのモーメントに負うところが多い」★1。展覧会の案内状などのほか、イベントを撮影した写真等が大きなスクラップブックにまとめられ、赤瀬川原平の千円札裁判において開陳されたのである。また裁判の過程において、「公式部員」のひとりである中西夏之が被告赤瀬川原平の証人としてハイレッド・センターの活動の全貌について証言しており、それが裁判記録として残されている★2。この展覧会は、そうした多数の「証拠物件」によって彼らの活動の軌跡の検証を試みる。興味深いのは、この展覧会ではその検証が観客たる私たちに委ねられている点にある。物的な「証拠」の一部は当時の展示風景を再現するかたちで提示され、それらの間が関連物件や写真等の資料で関連づけられる(写真1,2)。展示解説パネルには、それぞれのイベントに関する「件名」「事実」「当事者」「出品者」「目撃者」「証拠」等が列挙されている(写真3)。個々の「証拠物件」に付されたキャプションの台紙は図書館で用いられる目録カードだ(写真4)。図録には同時代の「目撃者たちの証言」が収録されている。すなわち、当事者でもなく目撃者でもない現代の私たちは、提示された「事実」や「証拠」「証言」に基づいて、まるで裁判員のように自らハイレッド・センターの「直接行動の軌跡」を再構成し、彼らの行動を理解することを試み、現代美術における位置づけを判断するという仕掛けなのだ。[新川徳彦]
★1──赤瀬川源平『東京ミキサー計画』(PARCO出版局、1984、234頁)。
★2──「《千円札裁判》における中西夏之証言録」(『美術手帖』347号、1971年10月、348号、1971年11月)に収録。
1──会場風景
2──会場風景
3──展示解説パネル
4──展示品キャプション
*写真はすべて美術館の許可を得て撮影
2014/02/10(月)(SYNK)