artscapeレビュー
会田誠 展「もう俺には何も期待するな」
2014年03月01日号
会期:2014/01/29~2014/03/08
MIZUMA ART GALLERY[東京都]
「土人」とは、その土地に生まれ住む人。辺境や未開の地に住む土着民を、軽侮の意味を含めて指すことが多い。そのため公共の現場においては差別用語として使用が自粛されている。
本展で発表された会田誠の初監督作品《土人@男木島》は、そのものずばり、土人を主題とした48分の映像作品。瀬戸内海の男木島で暮らす4人の土人を、女性リポーターが取材し、それをテレビのクイズ番組で紹介していくという設定だ。会場の広い壁面にプロジェクターで投影していたが、手ブレが激しく、とても大画面での鑑賞には耐えられないという難点はあるものの、内容としてはきわめて現代性の高い傑作である。
その現代性には、いくつかの補助線がある。例えば、「土人」という差別用語をあえて前面化している点で言えば、異民族を公然と侮蔑するヘイト・スピーチのような今日的な現象を暗示しているのかもしれないし、「土人」があくまでも見られる存在であるという点で言えば、瀬戸内国際芸術祭のようなアート・ツーリズムにおいて現地の住民をそのような一方的な視線で見がちな私たち自身への痛烈な批評性が込められているのかもしれない。だが、もっとも大きな現代性は、土人の文化や文明と現代社会のそれらとを対置したうえで、前者によって後者を相対化している点である。
映像の最後で、女性リポーターは土人とともに筏に乗り込み、海へと旅立ってゆく。いわば、ミイラ取りがミイラになったわけだが、これが「茶番劇」を終わらせるための痛快なユーモアであることは間違いないにしても、同時に、現代の文明社会を打ち棄て、ある種の理想郷を求める欲望の体現であることも事実である。
以前であれば、そうしたユートピアは非現実的な夢物語として一蹴されるか、現実逃避のロマンティシズムとして嘲笑されたにちがいない。けれども、現在、土人とともに原始生活へ回帰するという物語を笑うことができる者は、はたしてどれだけいるだろうか。むろんアートであるから極端な表現ではあるが、理想郷へ脱出する欲望に共鳴した者は少なくないはずだ。会田誠は、現代社会のありようを忌避する一方、それに代わる理想郷を求める願望が以前にも増して高まっている現在の趨勢を、じつに正確に読み取っているのである。アート・ツーリズムに依拠した地域型の芸術祭の隆盛も、こうした文脈で理解することができるだろう。
むろん理想郷の実現可能性は問題ではない。重要なのは、こうした欲望の顕在化が「近代」や「現代」といった価値概念を根本的に再考させる点である。3.11で顕わになったように、現代社会が「近代」の矛盾に直面しているとすれば、それを解決する糸口は「近代」の延長線上で「現代」を先延ばしすることにではなく、むしろ「前近代」にあるのではないか。平たく言えば、私たちは「土人」から「近代人」に成り上がろうと苦心してきたが、どうやら無理があることが昨今明らかになってきた。であれば必要なのは、近代化の徹底を虚空に向かって叫ぶことではなく、近代的な価値基準から排除されてきた「土着性」「封建制」「村社会」などを改めて見直す作業だろう。西洋追従の奴隷根性に貫かれた現代アートも、いま一度そうした視点で組み立て直す理論的な手続きが求められているのではないか。
2014/02/13(木)(福住廉)