artscapeレビュー

家族写真

2016年09月15日号

会期:2016/08/26~2016/08/28

アトリエ劇研[京都府]

同世代の演出家と写真家、それぞれ2組が、演劇/写真/ダンスの境界を交差させて共同制作を行なう企画、『わたしは、春になったら写真と劇場の未来のために山に登ることにした』の2本目。「身体の展示」として展覧会も行うダンサー・振付家・演出家の倉田翠(akakilike)が、「家族写真」というフォーマットを足がかりに、写真家の前谷開と組んだ。前谷は、カプセルホテルの内部の壁に落書きしたドローイングとともに撮った全裸のセルフ・ポートレイトや、同居人の後ろ姿になりすまして撮ったポートレイト、床下の地面に掘った穴の中で行なった行為の痕跡を写真化するなど、自身の身体性を基盤としながらフィクショナルな要素を混在させた写真作品を制作している。
本作での前谷は、「家族」の一員を演じつつ、「写真家」としての外部の視線を行き来する、奇妙なポジションに身を置いている。舞台は、折り畳み式の机が運びこまれ、組み立てられるシーンから始まる。そこに集う6人の男女。机は、「マイホーム」のメタファーであり、その上でそれぞれがソロやデュオを踊る「もうひとつの舞台」でもあり、腰かける椅子やフローリングの床へと変貌する。無機質で仮設的な「ホーム」で繰り広げられるのは、同じ空間に同居しながらも、それぞれが違う次元に身を置いているかのような奇妙な「家族」の不調和なアンサンブルだ。「お父さんがもし、死んだら、皆はどないする? 今日、ライフプランナーっちゅう人のところに行ってきたんや。お父さんが死んだら、現金500万円、もらえるねんて。不思議な商品、めっちゃええやろ」という大阪弁のモノローグで、生命保険について淡々と語り続ける父親。チャイコフスキーのバレエ音楽にのせて、優雅な手足の動きを断末魔のように繰り返す母親。のたうちまわるように激しく踊りながら、盛大に血を吐く若い女性。幼い手足で一生懸命にバレエを披露する少女の姿は、張りつめた緊張感を和らげる微笑ましさを持っているが、彼らは度々動きを中断して静止ポーズを取る。少女と手を握り合う前谷は、兄の役だろうか。彼は家族の一員として舞台上で関係を結びながら、ふっと外に出ては、三脚のカメラで舞台上の出来事を撮影する。内部と外部を撹乱し、見られる客体としての身体と見る主体としての撮影者を往還するその様子は、記録撮影の写真家という「身体」が、ぬっと舞台上に侵入してきたように感じられて、出来事の不穏さをいっそう加速する。
渦中に身を置いて行為に参加しつつ、行為を記録する。フィクショナルな出来事(「家族」という単位自体がすでにフィクショナルである)を創出しつつ、そのドキュメントを同時に行なう。対象との距離感、二重性の担保、倫理性など、ダンス公演であることを超えて、「行為としての写真家」をあぶり出していた点で興味深い作品だった。


撮影:守屋友樹

2016/08/28(高嶋慈)

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