artscapeレビュー
2014年05月01日号のレビュー/プレビュー
武井武雄の世界展──こどもの国の魔法使い
会期:2014/03/26~2014/04/06
日本橋高島屋8階ホール[東京都]
『コドモノクニ』『子供之友』『キンダーブック』などの絵雑誌で活躍した童画家。「童画」という言葉をつくった人物。武井武雄(1894-1983)についての私の知識はその程度の漠然としたものであったが、生誕120年を記念して開催されている本展を見て、武井の仕事の幅の広さに驚かされた。武井武雄は東京美術学校で西洋画を学んだ後、研究科に残りエッチングを学んでおり、戦前期から銅版画の作品を制作していた。1940年前後には自刻自摺の木版画も始め、戦後1950年代から60年代に抽象表現の創作木版画を制作している。童画と並んで重要な仕事は、武井が刊本作品と呼んだ豆本である。1935年から武井が亡くなるまでの約50年間に139冊が作られた(年に3冊ほどのペースである)。そこではつねに新しい様式の表現が試みられた。言葉にすると簡単だが、造本、印刷用紙に留まらない素材、活版印刷だけではなく木版画や銅版画などをその時々に使い分け、一つひとつがまったく異なる仕事なのだ。武井武雄はコレクターでもあった。戦前期に集めた日本全国の郷土玩具は一万点におよび、それらをモチーフにした伝承版画集を刊行し、オリジナルの玩具(イルフトイス)をデザインした。北原白秋が「螢の塔」と名付けた武井のアトリエにあった玩具のコレクション、童画の原画、油彩画などは空襲によりすべて焼失してしまった。そのような事情もあり、原画を中心に構成された今回の回顧展では戦前期の童画の展示が少なかったのは武井の童画のファンとしてはやや残念である。しかしながら、武井が印刷メディアを舞台に仕事をしていたことで、私たちはいまでも当時の絵雑誌の誌面に色彩鮮やかな作品を見ることができるのは、本当にありがたいことである。
本展は以下の会場に巡回する。横浜高島屋(2014/4/23~5/5)、京都高島屋(2014/5/8~5/19)、大阪高島屋(2014/8/6~8/18)。
[新川徳彦]
関連レビュー
2014/04/05(土)(SYNK)
「本の芸術」──武井武雄の「刊本作品」を知って
会期:2014/03/17~2014/04/05
不忍画廊[東京都]
日本橋高島屋で「武井武雄の世界展」が開催されていたのと同時期、高島屋と通りを挟んで向かいにある不忍画廊で「『本の芸術』──武井武雄の『刊本作品』を知って」という小展示があった。展示品は武井武雄の「刊本作品」と現代作家による「本」をテーマにした新作である。
刊本作品とは、武井武雄が1935年から亡くなる1983年まで(最後の刊行は没後の1984年)の約50年間に刊行した139冊の豆本で、挿絵に用いられた技法、物語のテキスト、造本など、ひとつとして同じものがなく、「本の宝石」とも称せられる驚くほど凝った造りの私家本である。概ね限定数300部で刊行され、購入できるのは登録された会員のみ。購入を希望する順番待ちの人たちの「我慢会」や、さらには「我慢会」に入会する順番待ちの「超我慢会」までできたほどの人気であったという。武井が刊本作品の制作に心血を注いでいたことは、例えば第108作『ナイルの葦』のエピソードにうかがわれる。なにしろこの作品では武井は本文に用いるパピルスの栽培から着手し、必要な枚数の紙が完成するまでに4年半もの歳月をかけているのである。
本展には、日本画家・土屋禮一氏が所蔵する刊本作品から14点が出品された。高島屋での展覧会ではガラスケースの外から眺めるしかなかったが、土屋氏のご厚意によって来場者は手にとって読むことができた 。いずれの作品も凝りに凝っている。木版や合羽摺による本はまだ理解の範疇にある。しかし、螺鈿細工や寄せ木細工、麦藁細工、あるいはステンドグラスなどを表紙や本文に貼り込むのは驚きである。それも同じものを300部、多いものでは600部制作しているのである。武井は本文と挿絵の原画を用意し、職人や印刷会社を自ら手配し、満足がいく仕上がりになるまで試行したという。伝統的な技法ばかりではなく、制作当時に最新であった印刷法も用いられている。さらに驚かされるのは、これほどの手をかけていながらも会員には制作費かかった経費のみを請求し、利益を得ていなかったことである。美しい本をオリジナルな表現でつくるという目的自体が武井のエネルギーであり喜びだったのだろうか。「私が刊本の表現形式の多角化を実践してきたことは新しい感覚の発見と創造のためであり、その多角化の可能性は無限である」と武井は述べていたという 。
本展の企画は、武井武雄の「刊本作品」を知って感動した不忍画廊の荒井裕史氏が「本の芸術」をテーマに9人の現代作家に制作を依頼したもの。出品作家は伊藤亜矢美、設楽知昭、鈴木敦子、つちやゆみ、釣谷幸輝、橋場信夫、藤田夢香、安元亮祐、山中現の各氏。刊本作品の300部に比べれば100分の1のスケールではあるが、限定各3部の本が出品された。「本」という表現形式をどのように解釈し、自身の作品とするか。その多様なアプローチが興味深かった。[新川徳彦]
関連レビュー
2014/04/05(土)(SYNK)
野口哲哉 展─野口哲哉の武者分類図鑑─
会期:2014/02/16~2014/04/06
練馬区立美術館[東京都]
鎧武者を造形する野口哲哉の個展。古美術や参考資料もあわせて100点あまりの作品が展示された。博物館が所蔵する古来の甲冑と野口の作品を並置することで、虚実がない混ぜになった世界観を巧みに演出していた。
見どころが鎧武者を精巧に造形する超絶技巧にあることは言うまでもない。だが、それ以上に印象づけられたのは、野口の鎧武者がある種のドワーフに見えたことだ。いずれも実寸より小さく、場合によっては手に乗るほど小さなサイズだからだろう。漏れなくおじさんであることも7人の小人と重なりあうし、あるいは鎧武者でありながら、いずれも戦闘の雰囲気を微塵も感じさせず、むしろ日常のけだるい空気感を漂わせているという落差が、そうした幻想性をひときわ高めているのかもしれない。とりわけ箱の中でひとりずつ横たわる《Package of Past man》のシリーズは、まるで妖精のような儚さすら感じられる。
それゆえ野口の鎧武者は、徹頭徹尾、ファンタジーであることがさらけ出されている。どれほど甲冑が精巧につくり込まれているとしても、それらが意味する戦闘や武士、あるいはホモソサエティといった参照項と決して結びつかないのだ。武家出身の高橋由一は《甲冑図(武具配列図)》によって武家社会への断ち切れぬ郷愁と揺るぎない誇りを描いたが、野口の造形にはそうしたマッチョなノスタルジーはほとんど見受けられない。あるのは、ただ、ひそやかな幻想世界の強度である。
実在の街を塗りかえるような浸透力をもつオタク文化でもなく、きらびやかな世界を定期的に供給することで独特のコミュニティを形成するタカラヅカでもなく、あくまでもひそやかに、しかし忘れ得ない幻想性を、一時的にではあれ、垣間見せること。野口の世界観は、こうした類稀な幻想性に基づいているのであり、おそらくアートの王道もまた、この幻想性に向かっているに違いない。
2014/04/06(日)(福住廉)
世界を魅了したやまとなでしこ──浮世絵美人帖
会期:2014/03/30~2014/06/15
芦屋市立美術博物館[兵庫県]
浮世絵美人画ばかりおよそ120点からなる展覧会。葛飾北斎、渓斎英泉、三代目歌川豊国、歌川国芳、月岡芳年、菊川英山ら、歌麿以降に活躍した絵師による作品が揃った。片岡長四郎氏によって大正時代に蒐集された「片岡家所蔵浮世絵」からの出品である。
「やまとなでしこ」といえば、たおやかでやさしい、それでいて芯の強い女性が思い浮かぶ。日本女性の理想像といったところだろうか。仕事や家事をする姿、夕涼みや化粧をする姿、物語や歌舞伎の一場面のほか、趣向をこらした連作ものなど、登場する女性たちはみな活き活きと魅力的だ。そして、丹念に緻密に描かれたきものの色や模様が彼女たちを華やかに演出する。縞や格子、花鳥風月、小紋や絣、コーディネートや着こなしを見るだけでも楽しい。それとは対照的に、顔や身体の表情はいたって控えめ。焦点の定まらない釣り上がった目、小さくすぼめられた口元、すっと筋のとおった長い鼻、細面の顔のつくりは浮世絵の特徴とはいえどれも似通っている。きものから出ているわずかな身体、手先や足先は素肌の白さが印象的だ。きものの過剰なほどの装飾性と身体の抑制のきいた表現、このめりはりが「やまとなでしこ」たちに色香を添えている。
ところで、浮世絵の究極の醍醐味は蒐集にあるのではないだろうか。名だたる浮世絵コレクションのなかではこの片岡コレクションはけっして大きな規模とはいえないが、それでもこれだけの「やまとなでしこ」たちを手元において密かに眺めることはごく限られた趣味人にのみ与えられた特権に違いない。閑静な住宅街のなかにある小さな美術館では、その気分に一時だけ浸ることができる。[平光睦子]
2014/04/06(日)(SYNK)
山の神仏──吉野・熊野・高野
会期:2014/04/08~2014/06/01
大阪市立美術館[大阪府]
紀伊半島の3つの霊場──吉野・大峯、熊野三山、高野山──の仏像、神像、絵画、工芸品など約120点が集った大規模展。同地のユネスコ世界遺産登録10周年を記念した企画展で、それぞれの地域から選りすぐりの約120点が集結した。本展では、明治時代の「神仏分離令」以前の信仰空間がテーマに掲げられており、神と仏を分け隔てなく展示する方針が取られた。なかには教義を超えた異形の作例も見られ、日本人の大らかでハイブリッドな宗教観を改めて実感できる。また、展示物のなかには痛みが目立つ品も少なからずあったが、それらには地域住民の篤い信仰心が凝縮しているように思われ、美しく立派な神仏以上に心が揺さぶられた。
2014/04/07(月)(小吹隆文)