artscapeレビュー

2015年08月01日号のレビュー/プレビュー

金氏徹平×山田晋平×青柳いづみ『スカルプチャーのおばけのレクチャー』

会期:2015/07/26

KAAT神奈川芸術劇場 アトリウム[神奈川県]

岡田利規(チェルフィッチュ)と前野健太が金氏徹平の指導のもとでスカルプチャーを完成させる1時間。3人が横に並び、同じ青のTシャツを身に着け、黙々と作業に勤しむ。なんだろう、この感じ。ライブのパフォーマンスなのだが、独特のゆるさがあって、鑑賞無料も手伝ってか、リラックスした〈おふざけ気分〉が全体に漂う。これはテレビ(ex. ダウンタウン)的? あるいはニコニコ動画? 50個ほどはあるだろうか、大小の日用品あるいは工事現場にありそうなものたちをパーツにして、下から上へと積み上げていく。他愛のないおしゃべりが続く。時折、本人は現われることなく(だから「オバケ」なのだろう)、青柳いづみの言葉で「よく見ろよ!」みたいなゲキが飛ぶ。その度に、失笑が会場を満たす。2メートルほどのスカルプチャーが立ち上がると、白いペンキを上からかけて出来上がり。テレビやニコ動的な鑑賞のあり方のなかに、すっぽり当てはめられたレクチャー・パフォーマンス。それは、テレビやニコ動の可能性を拡張するもののようでいて、芸術表現の可能性をこそ拡張する試みに思われた。芸術のテレビ(ニコ動)化といえばよいか。案外こういったささやかなチャレンジのなかに、先取りされた未来があるのかもしれない。このパフォーマンスは、チェルフィッチュ『わかったさんのクッキー』関連イベントとして上演された。

2015/07/26(日)(木村覚)

ウィル・タケット『兵士の物語』

会期:2015/07/24~2015/08/02

東京芸術劇場 プレイハウス[東京都]

ストラヴィンスキーの音楽をともなって、このバレエ音楽劇が最初につくられたのは1918年。第一次世界大戦が終結した年であり、ダダイスムが世を賑わしはじめた時代である。その時代の独特な厭世観やアイロニーが、1時間強の舞台に充満していた。演出・振り付けは『鶴』(2012年)で首藤康之に振り付けたウィル・タケットであるとしても、バレエ・リュスや当時の表現ダンスを連想させる、いわゆるバレエ的な審美性から逸脱した動きがちりばめられていた。「ミュージカル」というよりはそうした芸術性のほうが濃密な舞台。ひょっとしたら、そこに受け容れ難さを感じてしまうミュージカル・ファンもいたかもしれない。そうしたファンにとってアダム・クーパーの存在は一服の清涼剤だったろう。女性的な表情を湛えたラウラ・モレーラのダンスには上記したようなアイロニーが的確に盛り込まれているのだが、主人公のアダム・クーパーにはこの要素はほとんど見られない。クーパーのダンスはまるでクジラのよう。ゆったりと踊り、マイペース。クーパーによってこの劇がもたらす「ひずみ」は軽減される。彼が踊ると、舞台は「芸術」へと傾く代わりに娯楽性が勝利する。それにしても、お話が奇妙だ。主人公の兵士は、悪魔にバイオリンを渡す代わりに本を手渡される。本には財テクの指南が記されており、兵士はそそのかされる。金は手にできたが幸福から遠ざかってしまった兵士は、本を手放し、「王女」と恋に落ちて、幸せを手にしそうになる。幸福の象徴である故郷を目指す最中、悪魔に襲われてしまう。それがラストシーン。牧神にも似た毛むくじゃらの悪魔との死闘は、アクション映画を見すぎた目には滑稽にしか映らない。この滑稽さが本作の寓話的でアイロニカルな傾向に相応しいものなのかどうか? と思いめぐらしているうちに、暗転してしまった。先に述べたような、モレーラとクーパーのちくはぐさは、本作の豊かさでもあるのだろうし、戸惑わされる要素の象徴でもあった。ともあれ、ストラヴィンスキーの音楽がすべてを凌駕して、圧倒的な力を放っていた。


「兵士の物語」CM

2015/07/29(水)(木村覚)

プレビュー:吉田アミか、大谷能生『ディジタル・ディスクレシア』、デュ社『春の祭典』、黒沢美香『この島でうまれたひと』

舞台表現者であり、文筆家でもある吉田アミと大谷能生が〈吉田アミか、大谷能生〉という名義で『ディジタル・ディスクレシア』を上演する。大谷は、6月に『海底で履く靴には紐が無い』をロングラン上演したばかり。手塚夏子に刺激を受け、チェルフィッチュで力を発揮してきた山縣太一のアイディアを大谷は精確に舞台で具現したわけだが、ときを待たずして、今度は本人名義の新作を上演する。Googleドライブの共有機能を用いて書いてきた共同制作の小説(『Re;D』)を、2人の朗読によって舞台化するというのだ。ゲストは振付家・ダンサーの岩渕貞太、ファッション・デザイナーの有本ゆみこ、映像作家の斉藤洋平。徹底的にモダニスティックで、鑑賞者の混乱を誘う舞台になることを期待したい。ほかにも8月は見逃せない舞台が目白押しだ。昨年末の『ふたつの太陽』では、彼自身のルーツである舞踏からの脱皮を図り、新しいダンスのかたちを見せた向雲太郎(デュ社)が新作を上演する。タイトルは『春の祭典』となればこれはもう必見だろう。また、黒沢美香のソロ公演『この島でうまれたひと』も忘れてはならない。新作もあるのだが、とくに1985年の『Wave』は、世のモダニズム志向を標榜する若者たちには、トリシャ・ブラウン、イヴォンヌ・レイナー、あるいはローザスを信奉する君には、見ておいてもらいたい。前に10歩ほど歩いては後ろに戻りを延々と繰り返すそれは、日本のポストモダン・ダンス(なんて言い方はほとんど機能していないのだが)の初期作品として、歴史に刻まれるべき名作である。


左:吉田アミか、大谷能生『ディジタル・ディスクレシア』(キッド・アイラック・アート・ホール、2015年8月14日~16日)
中:『春の祭典』(d-倉庫、2015年7月28日~8月30日/デュ社の公演は8月28日)
右:黒沢美香『この島でうまれたひと』(シアタートラム、2015年8月28日~30日)

2015/07/31(金)(木村覚)

交流するやきもの──九谷焼の系譜と展開

会期:2015/08/01~2015/09/06

東京ステーションギャラリー[東京都]

江戸初期のいわゆる古九谷から江戸後期の再興九谷、明治の輸出陶磁、そして現代作家の作品まで、九谷焼360年の歴史を、「交流」をキーワードとしてたどる展覧会。展示は6章に分かれている。1章は古九谷。古九谷についてはその産地を巡って論争が続いているが、ここでは加賀の地に伝世してきた品としての色絵磁器が紹介される。たとえそれがどの地でつくられた焼物であったとしても、青手の色絵が後の九谷の焼物に大きく影響を与えてきたことは間違いないからだ。また論争のひとつとして、素地移入説(伊万里などの無地の器に九谷で絵付けをした)や、鍋島家と前田家が姻戚関係にあり、それによって人や技術が交流した可能性が示唆される。2章は再興九谷。1655年に開かれた九谷の窯は、約50年後の1710年頃に廃絶する。その100年後に九谷の焼物を復興したのが若杉窯であった。若杉窯ではおもに染付芙蓉手の日用品のほか、赤絵や古九谷青手風の器がつくられていたという。古九谷の色絵磁器を本格的に復興させたのは、豪商吉田屋。私財を投じて1824年に吉田屋窯を開いて優れた職人を集め、古九谷に倣った色絵磁器を生み出していった。3章では吉田屋窯と、職人・粟生屋源右衛門の仕事に焦点が当てられている。4章は明治期の輸出陶磁。明治政府の殖産工業政策にのって、九谷では欧米への輸出を目的とした陶磁器が大量に生産されるようになった。これらの製品は欧米では「ジャパンクタニ」と呼ばれて人気を博したという。絵付は赤を中心に金彩を加えて微細に文様を施したものが中心で、私たちが九谷焼と聞いてイメージするおおらかな意匠の青手とはまったく異なる。展示品にはベルナール・パリッシーの作品を思わせる、半立体の装飾を施した器もある。1887(明治20)年の九谷焼生産額の80%は輸出向。製品は九谷から横浜に鉄道で運ばれ、海外へと輸出された。しかしこの輸出は世紀転換期には欧米の趣味の変化で減少し、また関東大震災で横浜の輸出商が壊滅的打撃を受けて輸出は衰退、ふたたび国内向けの製品へとシフトしていく。新しい展開を模索する中で九谷の初代德田八十吉は釉薬の研究によって表現の幅を拡げていった。また板谷波山や北大路魯山人は九谷焼に触れたことをきっかけに陶芸を初めたこと、富本憲吉が九谷で色絵の技術を習得したことなど、5章では近代の九谷焼とこれら作家たちとの交流が紹介される。6章は現代の九谷焼。初代から独自の釉薬の配合を学んだ三代德田八十吉による、色釉のグラデーションを用いた新たな九谷焼の表現の数々が並ぶ。
 意外なことに、このように九谷焼を通史でみる展覧会は初めて行なわれる試みなのだという。展示空間には興味深い工夫がなされている。展示全6章は、九谷焼を特徴付ける六つの色──緑・赤・黄・紫・紺青と金──と紐づけられて、解説パネルやキャプション、展示台の色に反映されている。エレベータを降りてすぐの3階第1室では九谷焼の歴史がダイジェストで紹介されている、広い空間を贅沢に使った構成には驚くと思う。図録の写真は三好和義氏、デザインはシルシの上田英司氏。[新川徳彦]

2015/07/31(金)(SYNK)

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