artscapeレビュー
2016年12月15日号のレビュー/プレビュー
SapporoPhoto2016
会期:2016/11/03~2016/11/07
古民家ギャラリー 鴨々堂ほか[北海道]
「SapporoPhoto」は「NPO法人 北海道を発信する写真家ネットワーク」が主催して、2015年から開催しているイベント。2回目の今年は「ご家庭のアルバムなどに眠っている、札幌で撮影された思い出の写真」を募集する「さっぽろ家族の歴史写真~何でもない特別な日~」(古民家ギャラリー 鴨々堂)、ポートフォリオレビュー(同)、こども写真教室「親子で写真を撮ろう!」(中島公園ほか)、講演会「写真評論家 飯沢耕太郎氏が語る写真表現の潮流」(豊平館)などの催しが開催された。
北海道は、明治初期の開拓の状況を記録した田本研造、武林盛一らの仕事など、もともと写真表現の輝かしい伝統を持つ地域である。また1985年からスタートした東川町国際写真フェスティバルも、もうすでに30回を超えている。そう考えると、道都・札幌の写真家たちが彼らの存在をアピールする「SapporoPhoto」は、今後重要な意味を持ってくるはずだ。とはいえ、企画全般にまだまだ物足りなさは残る。昭和20~50年台のアルバム写真を中心とする「さっぽろ家族の歴史写真~何でもない特別な日~」にしても、展示点数が約60枚というのはあまりにも少なすぎる。過去をノスタルジックにふり返るだけでなく、写真を通じて新たな発見に導く工夫が必要になるだろう。
今後の展開としてもうひとつ考えられるのは、東川町国際写真フェスティバルだけでなく、「写真の町シバタ」(新潟県新発田市)、塩竈フォトフェスティバル(宮城県塩竈市)などの地域イベントと、積極的に連携していくことだろう。各地域の写真イベントは、それぞれ特徴的な企画を打ち出そうとしているのだが、予算面でも観客動員においてもさまざまな問題を抱えている。それを解消していくには、単独開催ではむずかしい、横断的な企画に活路を見出していくべきではないだろうか。札幌の晩秋を彩る行事として、さらなる発展を期待したいものだ。
2016/11/03(飯沢耕太郎)
あごうさとし新作公演『Pure Nation』
会期:2016/11/03~2016/11/08
アトリエ劇研[京都府]
劇場空間に巨大なカメラ・オブスキュラを出現させ、観客は「暗い部屋」の内部に座り、劇場の壁=スクリーンに映し出される光の像を見つめるという仕掛けのパフォーマンス公演。ただし映画と異なるのは、「動く光の像」が何度でも再生可能なフィルムの映写ではなく、「暗い部屋」の外で俳優・ダンサーによってリアルタイムに行なわれる生身のパフォーマンスである点だ。
公演は対照的な前半と後半に分かれる。前半では、観客はカメラ・オブスキュラの内部で「映像」として鑑賞した後、後半では部屋の外に出て、生身のパフォーマンスに向き合うことになる。ブラックボックスとしての劇場空間の中に、入れ子状に暗箱が出現した構造だ。演出のあごうさとしはこれまで、ベンヤミンを参照した「複製技術の演劇」をキーワードに、スピーカーやモニターを空間に立体的に配置し、録音音声や映像のみによって構成される「無人劇」を発表してきた。本作の試みは、写真や映像の起源のひとつとしてカメラ・オブスキュラに着目したと理解できる。また、「Pure Nation(純粋国家)」というタイトルは、ベンヤミンの概念「純粋言語」に由来するという。ただし本作を実見して感じたのは、コンセプトや仕掛けのアイデアが先行し、前半の光の受像経験/後半の生身のパフォーマンス、そしてタイトルがうまくかみ合っていないのではないかということだ。
前半、「暗い部屋」の内部に座る観客は、背後の壁に空いた1点の穴から射し込む光が、壁におぼろげに映し出すイメージを闇の中で見つめ続ける。闇に目が慣れ、白い炎のようにゆらゆらと揺らめく不定形のそれが、倒立した人体像であると理解するまでに少し時間がかかる。一転して、暗箱の外に出て鑑賞する後半では、「私の身体を移植します」という宣言が口々になされ、下着姿の男女の出演者9名が、骨格の歪みや歩き方のクセを実際に骨や筋肉を動かしながらレクチャーし、他の出演者がそれを身体的にトレースする、というワークショップ的な試みが展開される。「移植」されるのは、片側の肋骨が飛び出している病状を持つ男性と、脊椎がSの字に湾曲している脊椎側彎(そくわん)症の女性の身体である。骨盤や肋骨、肩の位置、左右の重心の取り方、足の開き具合などを本人が説明したあと、「歩き方」「声の出し方」「転び方」を全員がマネてやってみる。「インストラクター」役は、他の出演者たちの姿勢をダメ出しして矯正したり、「あ、それは僕の歩き方ですね」とOKを出す。出演者たちはぎこちなく身体を動かしながら、今の身体の状態や内部感覚について、自分自身の身体が抱える微細な歪みについて、口々に報告する。やがて彼らは折り重なり、闇の中で蠢く原始的な生命体のような塊からは、「腸が縮む」「粘膜を貼り替える」「膝がない」「皮膚を失う」といった詩情さえ漂う言葉がブツブツと発せられる。
このワークショップ的なやり取り自体は面白い。だが本公演で私が感じたのは、「知覚」の問題が前景化するとともに、前半と後半の間に乖離が横たわっているのではないかということだ。前半でまず、確固たる輪郭線を持った統一的な全身像としての身体イメージが崩れる時間を経験した後、他人の身体(しかも病気と診断されるレベルの歪みを抱えた身体)を「移植」され、随意に動かせずにコントロール不全に陥った身体を目撃することになる。闇の中で純粋な光に目を凝らし、知覚の臨界が試される時間と、自他の境界が侵犯され融合していく時間。だが、目の前で繰り広げられる「移植」の実践を「見ている」だけでは、他人の身体内部で起こっている変容の感覚や違和感そのものを「感じ取る」「共有する」ことは困難だ。光の受像に没入する網膜だけの存在と化し、徹底して「見る」主体であることを要請される前半の時間と、見る主体として出来事から疎外される後半の時間。その落差。「カメラ・オブスキュラの中から外へ」というアイデア自体は面白いが、非身体的な網膜的存在から自らの身体感覚の(再)活性化へ、没入から覚醒へと溝を飛び越えるには、もっと別の仕掛けや介入の方法が再考されるべきではないか。その困難な企てこそが、「身体芸術」としての舞台芸術に要請されている。
2016/11/03(木・祝)(高嶋慈)
新交響楽団 第235回演奏会
会期:2016/11/03
東京芸術劇場コンサートホール[東京都]
プロの楽団ではないが、『魚座の音楽論』の著者である吉松隆が作曲した「鳥のシンフォニア」と、アイヌ語をタイトルに入れた伊福部昭の「シンフォニア・タプカーラ」を聴いてみたくて、足を運んだ。どちらもリズムが目立つ躍動感のある現代音楽だった。プログラムに収録された吉松へのインタビューが面白い。
2016/11/03(木)(五十嵐太郎)
パウロ・メンデス・ダ・ローシャ展
会期:2016/09/24~2016/11/20
GA Gallery[東京都]
パウロ・メンデス・ダ・ローシャ展へ。ブラジルのモダニズムといっても、活動する時期としては21世紀の現代にも食い込み、国ごとの潮流の違いを感じさせる。力強いダイナミックな造形が緊張感を孕んでいる。同じくブラジルのオスカー・ニーマイヤー、リナ・ボ・バルディの展覧会に続き、野口直人が模型を手がけたおかげで、立体的な展示になっていた。
2016/11/03(木)(五十嵐太郎)
GOOD DESIGN EXHIBITION 2016 そなえるデザインプロジェクト展
会期:2016/10/28~2016/11/03
渋谷ヒカリエ8/COURT・CUBE[東京都]
グッドデザイン賞特別企画の「そなえるデザイン」展。審査の傍ら、プロジェクト・メンバーとして関わった。グッドデザイン賞に選ばれたモノから、日常から災害時の各フェイズで活躍するデザインを紹介する企画。特にベスト100に選出された坂茂の紙管による間仕切りは、避難所を再現する大型のインスタレーションとして会場に出現していた。
写真:上=坂茂の紙管による間仕切り
2016/11/03(木)(五十嵐太郎)