artscapeレビュー
2017年02月15日号のレビュー/プレビュー
呉在雄 / Oh Jaewoong「Bougé: 持続の瞬間」
会期:2017/01/24~2017/02/05
呉在雄は1975年、韓国・ソウル生まれ。現在、東京工芸大学大学院芸術研究科メディアアート専攻に在籍しており、今回の個展からTOTEM POLE PHOTO GALLERYのメンバーの一人として活動するようになった。今回展示された「持続の瞬間」は5年前から撮り続けているシリーズで、井の頭公園や小金井公園の樹木に6×6判のカメラを向け、揺れ騒ぐ樹々の枝をフレームにおさめてシャッターを切っている。60分の1秒ほどのシャッタースピードなので、長時間露光というほどではないのだが、風の強い日だと枝は相当に揺れ動いて、ブレが生じてくる。その不定形のフォルムと、枝と枝との間の空白の部分との関係に神経が行き届いていて、じっと見つめていると画面に吸い込まれていくような感覚を味わうことができた。
呉がこのような作品を撮り始めたきっかけは、留学先の日本での生活に疎外感や孤独感を感じることが多く、そんなときに公園に出かけて、樹を眺めていることが多かったからだという。風に揺れる枝に自分の思いを託しつつ、シャッターを切っていたということだろう。韓国の現代写真家たちの作品を見ていると、長時間にわたって風景に対峙し、対話することで、純化された、瞑想的とさえいえそうな境地に達しているものがかなりたくさんあることに気がつく。日本でも何度か展示されたことのある、 炳雨(ベー・ビョンウ)の「松(ソナム)」シリーズなどもその一例である。呉のこのシリーズも、そんな作品に成長していく可能性があるのではないだろうか。
2017/01/31(火)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス|2017年2月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
菊畑茂久馬─春の唄
2015年9月26日から10月23日のあいだに、カイカイキキギャラリーにて開催された「菊畑茂久馬個展『春の唄』」のカタログ。学芸員レポートの執筆者でもある福岡市美術館学芸員の山口洋三による解説のほか、菊畑茂久馬、村上隆、山口洋三による鼎談を収録。
堀部安嗣 小さな五角形の家:全図面と設計の現場
的確な寸法とプロポーションから導かれるプランニングの完成度。大らかな屋根の過不足ない構造美。空間に調和する細部のデザイン。建築家が“30坪の住宅"に込める設計思想の全貌を、きっかけとなった建主の一言、エスキス、実施図、施工図、構造家・造園家との協働、設備計画、施工現場と多様なプロセスから紐解く。
モダニスト再考[海外編]建築の20世紀はここから始まった
20世紀における建築の最大のムーヴメント「モダニズム」を、人物に焦点を当ててとらえ直す。オットー・ヴァーグナー、ルドルフ・シュタイナー、フランク・ロイド・ライト、チャールズ・レニー・マッキントッシュ、ペーター・ベーレンス、アドルフ・ロースなど32人のモダニストたちが建築と社会の革新に向けた思いとそのエネルギーに迫る。
建築史とは何か
建築における建築史学の意義とは? 現代を代表する気鋭の建築史家による、建築史の全般的研究をわかりやすく概説する入門書。過去から禁煙までの建築史学の流れ・建築史家への批評的研究を俯瞰する視点に立ち、太古から現代まで、建築にまつわる様々な主題を論じた知の形式を対象に、建築史の展開、方法、課題を手際よくまとめた必携の一書。
5歳の子どもにできそうでできないアート:現代美術(コンテポラリーアート)100の読み解き
評論家から酷評された100作品を取り上げ、現代美術が決して子どもの遊びや単なる新奇な試みではないことを証明します。発表当初は物議をかもした“悪名高い”作品についても、当時の芸術上の思想に影響されて必然的に登場してきた経緯、そして後に与えた影響にも言及。現代美術とそれ以前の美術との本質的な違いが理解できるとともに、鑑賞体験をより豊かにするヒントを数多く得ることができます。
不自由な自由 自由な不自由─チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン─
20世紀、社会主義体制下で活動を続けたチェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイナーたち。表現の自由がないと言われた当時、彼らはどんな思いで、どんなデザインをしてきたのだろう。デザイナー本人たちの語りと作品をもとに、両国のグラフィック・デザインを紹介する。カラー図版多載。
アート・パワー Art Power Boris Groys
芸術の終焉後に、新しいアートを始めるために。商品化プロパガンダか?アートはどこから来て、今どこに向かおうとしているのか? コンテンポラリー・アートを牽引する美術批評家ボリス・グロイスによって明らかにされる美術の現在。
崇高の修辞学 (シリーズ・古典転生12)
われわれが用いる言葉のうち、およそ修辞的でない言葉など存在しない。美学的崇高の背後にある修辞学的崇高の系譜を、ロンギノス『崇高論』からボワローらによる変奏を経て、ドゥギー、ラクー=ラバルト、ド・マンらによるこんにちの議論までを渉猟しつつ炙り出す。古代から現代へと通底する、言語一般に潜む根源的なパラドクスに迫る力作。シリーズ「古典転生」第13回配本、本巻第12巻。
ユートピアへのシークエンス 近代建築が予感する11の世界モデル
近代建築の傑作とはなにか。建築家・鈴木了二が語るベスト・セレクション、11作品。20世紀、世界戦争の時代、建築家たちはどう状況に対峙し、なにを考え、つくったのか。個人と世界のせめぎあいのなかで生みだされた世界観=近代建築とはどのようなものだったのか。近代建築・デザイン成立のダイナミックなプロセスとそれぞれの作家のありようが生き生きと語られ、11の建築作品が指し示す世界観がいま、鮮やかに現出します。鈴木撮影による、11作品の本質に迫る建築写真もカラーで多数掲載。
2017/02/14(artscape編集部)
女川の現在
[宮城県]
「カーサ・ブルータス」の取材に同行し、1年ぶりくらいに女川と七ヶ浜の被災地へ。毎回、感じることだが、女川は訪れるたびにどんどん風景が変わる。すでに地形も道路も変わり、まったく別の街に生まれ変わったが、高台にあった病院が、9m近いかさ上げのため、だいぶ低い場所に見えるようになったことに改めて驚く。新しい高台には新庁舎を建設中であり、駅前の商店も増えた。前は存在しなかった直通の道路から運動公園にアクセスでき、その脇にピカピカの復興住宅が並ぶ。かつての陸上グラウンドの内側にも復興住宅が建設されており、このあたりは被災後の居住エリアだ。野球のスタジアム内にあった坂茂によるコンテナを積んだ仮設住宅はまだ残っていたが、ほぼ空になっており、解体予定らしいので、今回が見納めかもしれない。なお、海辺の震災メモリアルのエリアは、まだ整備中だった。当然ながら生活の復興を優先するためである。
女川は復興が早く、全国の自治体から視察が来ているが、もはや完全なニュータウンである(特に平日は、一般人よりも、視察の人が多いようにさえ見える)。現在は坂茂が設計した女川駅から海に向かって象徴的な軸線をつくり、その両側に商店街、海辺がメモリアルになっている。3.11前には、こうした都市デザインはなかった。駅がもっと海側に位置しており、むしろ海に平行する道が幾重にも走っていた。また海が見えなくなるような防潮堤をあまりつくらないよう、大幅に地盤をかさ上げする方針を立てたことによって、女川は凄まじい地形改造が行なわれた。もとの高さにある震災遺構の交番が、地下に見えるため、発掘現場のようである。それにしても、ほかに横倒しになったビルがいくつも存在していたが、結局3.11の記憶はこれだけしか残らなかった。民間所有のものを保存するのは難しいのかもしれないが、もう少し震災遺構を残すことはできなかったのだろうか。
《シーパルピア女川》
2018/01/24(土)(五十嵐太郎)