artscapeレビュー
2018年02月15日号のレビュー/プレビュー
川田喜久治「ロス・カプリチョス-インスタグラフィ-2017」
会期:2018/01/12~2018/03/03
PGI[東京都]
「ロス・カプリチョス」は、1960年代末から80年代初頭にかけて制作された写真シリーズである。川田によれば「写真の発表をはじめて、10年ほど経ったころ、そのシリーズは自己解放のような気持ちで取りくんだ」のだという。たしかに、それ以前の「地図」や、同時進行していた「聖なる世界」のような緊密な構成の作品と比較すると、ゴヤの版画シリーズからタイトルを借りた「ロス・カプリチョス」は、気ままな発想のバラバラな作品の集合体であり、「自己解放」の歓びにあふれているように見える。
今回の「ロス・カプリチョス-インスタグラフィ-2017」は、70年代を中心にした旧作の再現というだけでなく、全89点のうち3分の1ほどは新作ということで、むしろこのシリーズの再構築というべき展示になっていた。こうして見ると、「ロス・カプリチョス」の発想や手法がまったく古びることなく、むしろより自由度を増したデジタル時代の作品制作のあり方を予言していたようにも思えてくる。軽やかな、だが切れ味のあるアイロニーを含んだ作品としてよみがえった「ロス・カプリチョス」は、これから先もさらに増殖し続けていくのではないだろうか。
ところで、いまや1959年に活動を開始したVIVOの創設メンバーのうち、現役の写真家として活動を続けているのは、川田だけになってしまった。やや寂しいことではあるが、この元気な展示を見ていると、まだしばらくは若々しい、活力に満ちた写真群を生み出し続けることができそうだ。
2018/01/20(土)(飯沢耕太郎)
小平雅尋「在りて在るもの」
会期:2018/01/13~2018/02/17
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
タカ・イシイギャラリーでの小平雅尋の個展は、ほぼ3年ぶり2度目になる。前回の「他なるもの」(2015)と同様に、今回の「在りて在るもの」でも、風景、物体、身体、建築物など、かなり幅の広い被写体をモノクロームで撮影した写真が並ぶ。ただ、前回と比較すると距離を詰めてクローズアップで撮影した写真が多く、「部分」であることがより強調されている印象を受ける。スタジオで撮影されたと思しき、ヌード作品が含まれていることにも意表をつかれた。被写体は女性と赤ん坊のようだが、ほかの写真よりもやや浮遊感のある撮り方をしている。つまり、小平の写真の世界も少しずつ拡大し、形を変えつつあるということだろう。
とはいえ、ベーシックな部分での撮影の姿勢にはまったく揺るぎがない。展覧会に寄せた文章を、彼は「気の向くままに撮り歩いていると、理由はわからないが眼が引き付けられることがある」と書き出している。違和感を覚えつつもそこにカメラを向け、シャッターを切るのだが、「眼が捉えてから物事に気付いている事実に動揺する」のだという。普通なら、当たり前に思えてしまうこのような心の動きに、小平はこだわり続けている。それは写真撮影を通じて「意識にそれを見ろ、判断しろと促し続ける、もう一つの隠れた存在」を明るみに出そうとつねに心がけているからだ。今回の展示を見ると、「気の向くまま」ということだけではなく、より意識的に撮影のプロセスを構築するようになってきているようにも思える。それこそ、ゴールの見えない作業の積み重ねには違いないが、彼にとっても、写真を見るわれわれにとっても、手応えと厚みのある作品の世界が形を取りはじめているのではないだろうか。
2018/01/20(土)(飯沢耕太郎)
奥山淳志「庭とエスキース」
会期:2018/01/24~2018/01/30
銀座ニコンサロン[東京都]
「他者の人生にカメラを向ける」というのは、口で言うほど簡単なことではない。写真家とモデルとの微妙な関係をうまく保ちつつ、長期間にわたる忍耐強い作業の蓄積が必要になるからだ。奥山淳志が、北海道新十津川町で自給自足の生活を送る「弁造さん」(井上弁造、当時78歳)の写真を撮影し始めたのは、「25歳の頃」だったという。以来、森の中の丸太小屋での暮らし、その周辺の「庭」の様子を繰り返し訪ねて撮影し続けてきた。2012年に「弁造さん」が92歳で亡くなってからは、遺された「庭」や彼が描き続けた絵のエスキースにカメラを向けることが多くなった。今回の銀座ニコンサロンの個展は、その成果をまとめたもので、それに合わせて厚みのある写真集『弁造 Benzo』(私家版)も刊行された。
6×6判のカラーフィルムで撮影された写真群は、「弁造さん」の生の痕跡を丁寧に跡づけ、辿っていく。今回の展示の特異な点は、彼が遺したエスキースをそのまま複写した写真がかなり多く含まれていることだろう。しっかりとしたデッサン力を感じさせるスケッチやクロッキーではあるが、絵画作品としてそれほど高度に完成されたものではない。だが逆に、それらは「弁造さん」のあまり人に見せなかった側面を、ありありと浮かび上がらせているようにも見える。奥山によれば、エスキースのほとんどは女性を描いたものであり、そこには独身だった彼の「リビドー」が秘められているのではないかというのだ。この推測が当たっているかどうかは別にして、そこでは絵画作品を手がかりにして「他者の人生」を再構築していくという興味深い試みが展開されていた。
奥山は1998年に岩手県雫石町に移住し、東北の風土と文化をテーマにしたドキュメンタリーに力を入れているが、そこからはみ出した今回の展示にも、彼の表現力の高まりを感じることができた。なお、本展は2月22日~2月28日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2018/01/24(水)(飯沢耕太郎)
第16回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞者個展 時吉あきな展 ナンバーワン
会期:2018/01/10~2018/01/26
ガーディアン・ガーデン[東京都]
時吉あきながガーディアン・ガーデンで開催した「ナンバーワン」展は、2017年の第16回グラフィック「1_WALL」のグランプリ受賞作品展である。だが、手法的には写真を使った立体コラージュ作品であり、写真部門の作品と見てもまったく問題ない。まず、いろいろな犬たちの写真を、角度を変えてスマートフォンで撮影し、それらをコピー用紙に出力して貼り合わせ、立体化していく。リアルな造形だが、細部を見るとつなぎ目の所にズレや歪みが生じており、それが逆に面白い視覚的効果を生んでいる。会場には、さらに部屋の壁やカーテン、ソファ、キャビネット、流しなども同じ手法で再現してあって、活気あふれる部屋の空間が成立していた。キャビネットの上のTVやティッシュペーパーの箱、ソファのクッションなどもコピー用紙製で、その徹底したこだわりがなかなか楽しかった。
このような立体コラージュの手法を使った作品は、すでに1990年代から写真新世紀や写真「ひとつぼ展」(写真「1_WALL」の前身)に出品されていた。また、糸崎公朗が街の建物などを写真撮影して再構成した「フォトモ」のシリーズなどでも使われてきた。その意味では特に目新しい手法ではないのだが、1994年生まれの時吉のような若いアーティストが、スマートフォンやカラーコピー機を使って新たにチャレンジしようとしているのが興味深い。同時に、いまや若い世代にとっては、グラフィックと写真の領域のあいだの境界線もほとんどなくなりつつあるのではないだろうか。僕は写真「1_WALL」の審査をしているのだが、時々グラフィック部門と審査員の入れ替えを図るのも面白いかもしれない。
2018/01/24(水)(飯沢耕太郎)
大坪晶「Shadow in the House」
会期:2018/01/06~2018/02/18
アートラボあいち[愛知県]
大坪晶は近年、日本各地に残る「接収住宅」(第二次世界大戦後のGHQによる占領期に、高級将校とその家族の住居として使用するため、強制的に接収された個人邸宅)を対象とし、精力的なリサーチと撮影を続けている。《Shadow in the House》シリーズは、歴史の痕跡が残る室内を記録するとともに、ダンサーと協働し、室内で動いた身体の軌跡を長時間露光撮影によって「おぼろげな影」として写し込むことで、何かの気配の出現や人がそこにいた痕跡を示唆する写真作品である。
昨年秋から今冬にかけて大坪は、愛知県立芸術大学 アーティスト・イン・レジデンスに滞在。愛知県内に現存する「接収住宅」3件と公共建築1件を撮影した新作が発表された。瀟洒なタイルで装飾された光の差し込む浴室、ステンドグラスの美しい窓が連なる階段の踊り場、艶やかな床板の幾何学模様が美しいホールのような空間。目を凝らすと、黒い靄のような気配がかすかに蠢き、あるいは陽光に溶け込むような人影がうっすらと揺らめいている。誘われるように画面を凝視すると、洋風のカーテンがかかる窓の上部には欄間のような和風の装飾が施されて和洋折衷の空間になっているなど、建築の細部へと視線が分け入っていく。
大坪は撮影にあたり、建物の所有者の遺族や管理者などにインタビューを行なっており、聞き取った印象的なエピソードが撮影場所やモチーフの選定に活かされている。例えば、庭の奥に、テラスのある洋風の建物を写した一枚。よく見ると手前には「縁側」の一部が写り、芝生が植えられた庭には松の木も生え、和洋折衷が見てとれる。この住宅が接収された時期、縁側のある手前の「和館」には所有者の日本人が住み、庭を挟んだ「洋館」にはGHQの軍人一家が居住し、「洋館」への行き来は禁じられていたという。「和館側から洋館を見る」大坪のカメラの視線は、自宅内のわずか数十歩の距離でありながら「限りなく遠い」距離を見つめていたであろう館の所有者の眼差しを追体験しているのだ。また、作品制作に協働したダンサーの古川友紀は、撮影時の身体感覚として、「大坪が聞いた場所にまつわるエピソードの中に自分が入っていく」「その場所でどのような振る舞いが行なわれていたかを想像しながら動く」と語る。大坪による「眼差しの追体験」と、古川による身体的なトレース、両者を通して「場所の記憶」が再び生き直されていく。
関連レビュー
大坪晶|白矢幸司「Memories and Records」|高嶋慈:artscapeレビュー
2018/01/27(土)(高嶋慈)