artscapeレビュー

2022年11月15日号のレビュー/プレビュー

川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり

会期:2022/10/08~2022/12/18

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

意図的にフレアを起こし、柔らかな光とともに対象物を切り取る。写真家、川内倫子の作品といえば、こうしたイメージが強かった。が、本展を観て改めて感じたのは、彼女が表現しているのはそんな小手先の技法ではもちろんなく、あらゆる生命の営みであり、その尊さであるということ。もっと言えば、人新世の世界を写しているのではないかと思い至った。

2019年にアイスランドで撮影した氷河や滝、火山が、本展タイトルにもなった新作シリーズ「M/E」の始まりだと川内は解説する。これは「母なる大地(Mother Earth)」の頭文字であり、また「私(Me)」でもあるという。つまり雄大な自然の姿も、個人の日常の風景も、彼女にとっては一直線につながる地球上の出来事なのだ。この論理こそが、人新世にほかならない。人新世とは人類の活動によって生物多様性の喪失や気候変動、さらに人工物の蓄積などで地球上に新たな地質学的変化が起こり始めた現代を含む時代区分を指す。その思想的影響はアート界にも及んでいる。アートでは自然環境破壊を声高に嘆くというより、むしろあるがままの現象を受け入れ、それを自ら咀嚼して表現に変えていることの方が多い。いわば自然と人工物とが共存する姿を捉え、それを示そうとする。彼女の作品にも同様の試みを感じるのだ。


展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー[撮影:木奥恵三]


展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー[撮影:木奥恵三]


展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー[撮影:木奥恵三]


地球の果てで起こる自然現象に対して畏怖の念を抱く一方で、自らの足下にも同等の視線を注ぎ、幼い我が子の成長や日向でりんごの皮を剥くことを愛おしく思う。現代人にとって自然と人工物との区別はないのが当たり前で、川内はそれらを一貫して生命の営みとして扱っているところが率直である。本展ではそんな彼女の世界観をさまざまな仕掛けによって体感できるようになっていた。なかでも面白かったのは、「A whisper」と題した空間だ。彼女の家の裏手に流れる川などを撮影した映像が、なんと床に投影されていたのだ。揺れる川面を眺めていると、まるで本当にそこに川が流れているようで、その空間を横切る際に(濡れるわけではないのに)思わずそうっと足を出してしまった。一瞬でも、レンズを覗く彼女の眼差しを共有できたような気持ちになれた。


展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー[撮影:木奥恵三]



公式サイト:https://rinkokawauchi-me.exhibit.jp

2022/10/22(土)(杉江あこ)

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特別展「Life with Bonsai〜はじめよう、盆栽のある暮らし」

会期:2022/10/14~2022/11/09

さいたま市大宮盆栽美術館[埼玉県]

昨年春、美術家2人を招聘した企画展が記憶に新しいさいたま市大宮盆栽美術館で、特別展「Life with Bonsai」が開催された。今度は美術家をはじめ建築家、写真家、ファッションデザイナー、編集者ら多彩な9人のクリエイターを招き、それぞれが独自の盆栽飾りを発表した。盆栽飾りは、盆栽、掛軸、添物(水石や小さな盆栽)を設える三点飾りが基本。このいわば“型”をいかに押さえつつ崩すかが、センスの見せどころとなる。その点で本展はかなりバラエティーに富んだ内容であった。

まず印象に残ったのは、写真家、大和田良の展示である。構成要素が三点に絞られている点で、三点飾りの基本に則ってはいるのだが、主となるのは盆栽ではなく水石で、添物として小さな盆栽が脇の付書院に飾られているのみだった。なぜこうした構成なのかと言えば、京都の加茂川流域で採れる「水溜り石」を撮った自身の写真作品が掛軸として掛けられていたからだ。その掛軸と対比させるように「加茂川石」を水石にし、それをあえて主に選んだようである。被写体を二次元から三次元へと広げるがごとく、写真と本物とを同等に並べて見せるところが、実に写真家らしい発想に思えた。


大和田良《加茂川石》(2022)
ラムダプリント 加茂川石(大宮盆栽美術館) 黒松(藤樹園)


ほかにファッションデザイナーの津森千里や、建築家・プロダクトデザイナーの板坂諭の展示もユニークだったが、やはり注目したいのは昨年春にも参加した須田悦弘、ミヤケマイの美術家2人である。須田の展示は、一見、山もみじの盆栽が卓の上に設えられているだけに見える。キャプションを見ると、作品名も「もみじ」とあり、いったいどれが彼の作品? と戸惑うのだが、配布資料に親切にも説明が書かれていたことで理解できた。なんと、床に一葉落ちていた“落ち葉”が彼の彫刻作品だったのだ。あえて偽物を本物に紛れさせた挑戦的な展示である。一方でミヤケの展示は、床の間飾りに精通した彼女らしい完成度を見せていた。テーマは「虫養い」で、これは小腹が空いた時に食べる「お腹の虫に与えるおやつ」という意味だそう。また本展開催時の10月は、茶の湯では新茶の茶壺を開く直前の「名残の月」と呼ばれることに合わせ、遊び心にあふれた自身の掛軸作品などを取り合わせていた。結局、盆栽をどう解釈するのかは自由でいい。そんなメッセージを本展から受け取った。


須田悦弘《もみじ》(2022)
木に彩色 山もみじ(大宮盆栽美術館)


ミヤケマイ《虫養い Peckish》(2017/個人蔵)
ミクストメディア・軸 チャノキ、瀬田川石、舟(以上、大宮盆栽美術館)



公式サイト:https://www.bonsai-art-museum.jp/ja/exhibition/exhibition-8285/


関連レビュー

「さいたま市民の日」記念企画展 第6回「世界盆栽の日」記念・「さいたま国際芸術祭 Since2020」コラボレーション展 ×須田悦弘・ミヤケマイ|杉江あこ:artscapeレビュー(2021年05月15日号)

2022/10/22(土)(杉江あこ)

川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり

会期:2022/10/08~2022/12/18

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

2012年に東京都写真美術館で開催された「照度 あめつち 影を見る」以来の、川内倫子の10年ぶりの大規模回顧展となる本展は、やや盛り沢山すぎるほどの充実した内容だった。区切られた部屋ごとに、「Halo」「4%」「One surface」「An interlinking」「Illuminance」「光と影」「A Whisper」「あめつち」「M/E」「やまなみ」といったシリーズが並んでいるのだが、そこには旧作と新作、プリントとスライド映写が入り混じっており、「Illuminance」のような二つのスクリーンに映し出す純粋な映像作品もある。川内の作品の幅が近年大きく拡張し、ごく身近な事象から、無限の広がりをもつ宇宙大の空間までを含みこむ、多次元性を備えつつあることがよくわかる展示だった。

とはいえ、川内の作品世界を貫く基本原理は、デビュー写真集であり、2002年に第27回木村伊兵衛写真賞を受賞した『うたたね』(リトルモア、2001)以来、あまり変わっていないのではないのだろうか。それは今回の展覧会のために組み上げられた新作「M/E」を見ればよくわかる。タイトルのMはMother、EはEarthであり、「母なる大地」というコンセプトの下に、アイスランドや北海道で撮影されたスケールの大きな風景写真が並ぶ。だが、その反対側の壁には、「コロナ禍の日常」に目を向けたプライヴェートな写真群が展示されていた。いわば神話的ともいえるような次元と、具体性を帯びた触覚的な世界とが、写真という媒体を通じて共振しあっているような作品世界を、彼女はデビュー以来、20年以上にわたって練り上げてきたということだろう。

とても興味深かったのは、同時期に東京都写真美術館で開催されている野口里佳の個展「不思議な力」との共通性を、多くの展示作品から感じたことだ。川内は1997年に第9回写真『ひとつぼ展』でグランプリを受賞し、野口は1995年の第5回写真『ひとつぼ』展、及び96年の第5回「写真新世紀」展でグランプリを受賞して、ほぼ同時期に写真家としての第一歩を踏み出した。初めの頃はかなり隔たった作風と感じていたのだが、時を経るにつれて、とりわけ家族を含む身近な被写体に向けられた親密な、だが時には過激な「実験」を試みるような眼差しのあり方が、重なり合って見えてくるようになった。二人の写真のなかに、1990年代以降の日本の写真家たちの表現の可能性が、最大限に凝縮して宿っているようにも思える。

公式サイト:https://rinkokawauchi-me.exhibit.jp

関連レビュー

野口里佳 不思議な力|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年11月15日号)

2022/10/25(火)(飯沢耕太郎)

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映像演劇『階層』(東京芸術祭 2022 直轄プログラム FTレーベル)

会期:2022/10/19~2022/10/25

東京芸術劇場 シアターイースト[東京都]

穂の国とよはし芸術劇場PLATが2014年度から実施している「市民と創造する演劇」。その一作として創作され2022年3月に同劇場で初演された映像演劇『階層』(作・演出:岡田利規、映像:山田晋平)が東京芸術祭の直轄プログラムFTレーベルとして再演された。チェルフィッチュの岡田と舞台映像作家の山田が継続して取り組んでいる「映像演劇」のシリーズは、スクリーンなどに投影された等身大の俳優の映像を観客が鑑賞することで演劇を立ち上げる試みだ。これまでに熊本市現代美術館で『渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉』(2018)が、札幌文化芸術交流センターSCARTSで『風景、世界、アクシデント、すべてこの部屋の外側の出来事』(2020)が展示/上演されてきた。この8月に王子小劇場で上演された最新作『ニュー・イリュージョン』はその後、韓国ツアーも周っている。東京での上演は『ニュー・イリュージョン』と順番が逆になったが、『階層』は劇場での上演を前提に創られた初めての「映像演劇」であるという点で重要な作品だ。しかも、この作品においては「市民と創造する演劇」であることも強い意味を持っている。

受付を済ませた観客はまず、ロビーに並んだ椅子に順に座るよう促される。そこでしばらく待っていると「案内人」が登場し、いくつかの注意事項を伝達した後、観客を客席へと誘う。劇場内に入ると舞台から不明瞭な声が聞こえてくるが、幕は閉まっているためそこで何が起きているかを観客が知ることはできない。観客全員が席につくとようやく幕が開く。舞台の上に見えるのは柵。そしてその向こうから身を乗り出すようにして下を覗き込んでいる人々だ。「あなたはそれを信じる必要はない」云々と声が聞こえてくるが、すぐに幕は閉じてしまう。幕の向こうでは誰かが人々に退場を促している。改めて幕が開くとそこには誰もおらず、舞台奥にある(らしい)下の階へと続く(らしい)階段から再び案内人が現われると、観客に対し舞台に上がるように告げる。




このあたりで観客は、どうやら先ほど舞台の上にいたのは前の組の観客だったらしいと気づくことになる(ちなみに、上演時間70分のこの作品は60分ごとに上演されていた)。つまり、この作品において「市民と創造する演劇」の「市民」という言葉が指し示していたのは映像演劇の出演者としてオーディションによって選ばれた市民だけではなかったわけだ。上演ごとに劇場を訪れる観客もまた、気づけばともに『階層』を創造する「市民」として舞台に上がることになっている。いつどこで上演しても「市民と創造する演劇」であることが担保できる優れた仕掛けは同時に、気づかぬ間に観客に「市民参加」を強いる恐ろしいものでもある。

舞台に上がった観客が柵ごしに下を覗き込むと、舞台の下に広がった高さ3メートルほどの空間にスクリーンが設置されている。やがてそこに映し出された真っ白な空間に人々が集まり出し、自分たちが何者でなぜそこにいるのかを語り出す。彼ら彼女らは「上の世界」に価値が見出せず、一度降りたら戻れないというそこに行くことを決断したらしい。永遠に生きることができるという「そこ」は彼ら彼女らが映し出されている映像の世界を指しているようでも死後の世界を指しているようでもある。



彼ら彼女らと観客とは階層によっても柵によっても、そして現実と映像の境界によっても隔てられている。だが、いずれにせよ彼ら彼女らもかつては観客と同じ側にいたのであり、それならば観客もまた彼ら彼女らの側に行く可能性があるだろう。「俯きがち伏し目がち」で、上にいたときも「今やっているこれと同じような普通の演劇」をやっていたという彼ら彼女らの姿は、舞台の上で下を覗き込む現在の観客の姿に重なっていく。しかも、彼ら彼女らは上の世界にいたときとはまったく違う姿になっているのだという。ならば、先ほど舞台の上に見た人々こそがいま下で語っている彼ら彼女らなのだということもあり得るかもしれない。そして観客はすでに先ほど舞台の上に見た人々の姿をなぞっている。

彼ら彼女らが語るそこはおおよそユートピア的な世界だが、観客を直接的に下の(死後の?)世界へと誘う「飛び降りて来ればいいのに」という言葉にはゾッとさせられる響きがある。彼らの永遠がそのようにして維持されるものだとしたら。永遠に生きるのは個々の人ではなくそこにある構造そのものなのだとしたら。そこから「降りる」ことは果たして可能だろうか。やがて開いた幕が再び閉じ、案内人は観客に舞台奥の階段を降りるよう告げるのだった。




映像演劇『階層』:https://tokyo-festival.jp/2022/program/kaiso


関連レビュー

チェルフィッチュの〈映像演劇〉『風景、世界、アクシデント、すべてこの部屋の外側の出来事』|山﨑健太:artscapeレビュー(2021年06月15日号)
渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉|山﨑健太:artscapeレビュー(2018年06月01日号)

2022/10/25(火)(山﨑健太)

大森克己「山の音─sounds and things vol.3」

会期:2022/10/20~2022/10/30

MEM[東京都]

大森克己がMEMで2014年、2015年に「sounds and things」と銘打って開催した連続展は、写真と言葉、見えるものと見えないもの、時間と空間などの意味を問い直す、意欲的な展覧会だった。コロナ禍による空白の時期もあり、やや間を置いて7年ぶりに開催された本展にも、その延長上にある作品が出品されていた。だが、前回と大きく変わったのは、スマートフォンで撮影された作品がかなりの比率で登場してきていることだろう。

大森に限らず、スマートフォンの普及が写真の撮り方、見せ方、伝え方を大きく変えつつあることは間違いない。だが、SNSなどにアップされる写真画像についてはよく言及されるのだが、それがギャラリーでの展示や写真集などを含めた写真表現のあり方にどんな影響を及ぼしつつあるのかについては、まだ未知の部分が大きい。大森は元々、写真や言葉によるコミュニケーションのあり方に、鋭敏に反応してきた写真家であり、スマートフォンを使った写真の可能性をかなり強く意識しているのではないかと思う。そのことが、「暮らしのなかで自然光で撮影された写真群」を中心にした壁面の構成、及びボックス状のデスクに、スマートフォンの画面と同じ大きさにプリントしたたくさんの写真をアトランダムに収め、観客が自由に手にとって見ることができるようにしたインスタレーションによくあらわれていた。「スマホとSNSの時代」の写真のあり方が、どんな風に動いていくのかを、あらためて問いかける展示といえるだろう。

なお展覧会に合わせて、大森が1990年代以来書き継いできたエッセイ、対談などを収録した『山の音』(プレジデント社)が刊行されている。

公式サイト:https://mem-inc.jp/2022/09/28/221016omori/

2022/10/26(水)(飯沢耕太郎)

2022年11月15日号の
artscapeレビュー