artscapeレビュー

2023年04月15日号のレビュー/プレビュー

本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション

会期:2023/02/26~2023/04/16

練馬区立美術館[東京都]

建材メーカーの吉野石膏のコレクションを中心とする貴重書と近代絵画の展示。吉野石膏は美術振興財団を有し、絵画コレクションだけでなく若手美術家への助成事業も行なっている。石膏と美術のつながりといえば、デッサン用の石膏像や彫刻素材としての石膏が思い浮かぶが、どうやらそういう直接的な関係ではなく、石膏ボード製造などの建材メーカーとして「安全で快適な住空間を創る」という課題から、生活を豊かにする美術を支援することにしたらしい。ま、どっちにしろ、絵画コレクションや美術支援をしていなかったら、ぼくが吉野石膏という企業を知ることはなかっただろう。

でも今回見に行ったのは、絵画コレクションより貴重書コレクションのほうにそそられたから。古くは12世紀前半のイタリアで製作されたグレゴリウス1世の『福音書講話』から、13世紀ごろの聖書や詩篇集、14〜16世紀に盛んにつくられた華麗な彩飾の時祷書まで、印刷以前の写本が並ぶ。ただし写本そのものは数が限られきわめて高価なため、1冊丸ごとは少なく、大半はバラした状態の零葉(1枚)の展示となっている。特に写本の時祷書は宝石のように美しいため裕福な人たちのあいだで需要が高く、15世紀半ばに活版印刷が普及し始めてからもしばらく製作されていた。この時祷書に関しては慶應義塾図書館から借りてきたものが多い。

印刷本では、ルドルフス・サクソニアによる版違いの『キリストの生涯』(1488/1495)から、有名なジョヴァンニ・ボッカッチョ『デカメロン』(1533)、印刷・出版を発展させたアルドゥス・マヌティウスの息子が手がけたフランチェスコ・コロンナの『ポリフィロのヒュプネロトマキア、すなわち夢の中の愛の闘い』(1545)、写本のような書体を採用したオーウェン・ジョーンズの『伝道の書』(1849)、そしてウィリアム・モリスがケルムスコット・プレスから出した『ヴォルスング族のシグルズとニーブルング族の滅亡の物語』(1898)まで、垂涎ものの美麗本が並んでいる。 もうこれだけ見られれば十分、あとの絵画コレクションはサラッとやりすごそうと思ったら、2点の作品の前で足が止まった。マティスの《白と緑のストライプを着た読書する女性》(1924)と、上村松園の《美人書見》(1939)だ。前者はフランス人の男性による油彩画、後者は日本人の女性による日本画と対照的だが、どちらも読書する女性を描いている点、そしてふたりは意外にも同世代である点に共通性がある。比べてみると、東西文化の違いや男女の視線の違いなどが見えてきて興味深い。この2点は並べて展示してほしかったなあ。


公式サイト:https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202210231666500052

2023/03/25(土)(村田真)

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猪谷千香『ギャラリーストーカー─美術業界を蝕む女性差別と性被害』

発行所:中央公論新社

発行日:2023 /01/10


ギャラリーストーカーという言葉を、本書で初めて知った。曰く、画廊やギャラリーなどで若い女性作家につきまとう人たち(多くは中高年男性)のこと。確かに個展を開いた作家は、会期中に何日か在廊することがほとんどだ。来場者と会話をし、作品の前に立って解説をすることで、ファンづくりにつながり、作品購入にも結びつきやすいからだ。そんな良質のファンは作家にとって大歓迎である。しかしそこに付け込み、作家に個人情報を聞いたり、食事やデートに誘ったり、しまいには作品購入と引き換えに男女関係を求めたりする人たちがいるのだという。客やコレクターである彼らを作家は端から無下にはできない。そのため徐々にエスカレートしていく彼らのストーキング行為に、身の危険を覚え、心を病んでしまう作家が少なからずいるという事実が、本書で明かされる。

最近、映画業界などさまざまな業界で性暴力やハラスメント問題が取り沙汰されている。結局、美術業界も同じなのかという、最初はただ気持ち悪い性被害をいくつか追ったドキュメンタリーなのかと思いきや、読み進めるうちに美術業界特有の構造的な問題や根幹的な話へと展開する。その辺りが大変興味深いものだった。

そもそも美術作家を育成する美術系大学、いや、そこに入学するための予備校からハラスメントは横行していると本書は指摘する。なぜならそこで教える教員との人間関係が、ある種の徒弟関係となり、卒業後もずっと続いていく狭い業界であるためだ。そもそも美術家はフリーランスが基本で、組織に守られていないことも大きい。さらに美大(東京藝大と東京の五美術大学を調査)には女子学生が7割超と多いにもかかわらず、逆に教授陣は男性が8割超という実態がある。この歪なジェンダーバランスがハラスメントの温床になるという。私もある美大で非常勤講師をしていた経験があるが、クラスのほとんどが女子学生だった。しかし名声を得る美術家は、その男女比が反映されず、男性の方が圧倒的に多い。それは女性作家が成功しづらい環境が、日本の美術業界にはあることを示唆する。西洋美術が輸入された明治時代から続く、言わば男尊女卑的な観念がはびこる業界ゆえに、その根底には女性差別があり、ハラスメントが起きる要因になっているというのだ。確かに私の友人の女性作家も、「あいつはどこそこのキュレーターとデキているから成功できた」などのやっかみを若い頃によく言われたと聞いたことがある。一見、自由で華やかな美術業界で、実は深刻な問題を抱えていたことを思い知らされた一冊だった。

2023/03/26(日)(杉江あこ)

ニコンサロン年度賞2022受賞作品展 第47回伊奈信男賞 宮田恵理子「disguise」

会期:2023/03/28~2023/04/10

ニコンサロン[東京都]

宮田恵理子は2022年11月にニコンサロンで写真展「disguise」を開催した。それが同年度のニコンサロンでの展覧会の最優秀作品に授与される伊奈信男賞を受賞し、同会場でアンコール展が開催されることになった。

あらためて作品を見ると、その高度な制作意識と会場構成が印象深く目に映る。宮田が主に取り上げたのは、チューリヒ芸術大学大学院に留学中に着目した、第二次大戦中に建造されたトーチカ、陣地壕、監視小屋などである。スイスといえば平和を志向する永世中立国というイメージが強いが、実は第二次世界大戦中に「Réduit(レデュイット)」と称される軍事政策を秘密裏におこなっており、現在に至るまで国防意識はかなり強い。宮田はアルプス山中にカムフラージュされるように設置されたそれらの軍事施設、防空壕を兼ねたトンネル、国家意識を称揚する展覧会のポストカードや切手などの写真を的確に配置することで、「神話と国家が近づいた時の物語とその背景」を提示しようとした。写真を通じて、「目に見えない立場を象徴しているような風景」を浮かび上がらせるというその意図は、とてもうまく実現していたと思う。

宮田はスイス留学前には東京藝術大学の先端芸術表現学科で学んでいたが、その時には写真作品を発表することはなかった。スイスで「disguise」を制作するにあたって、はじめて写真の撮影、プリントに本格的に取り組んだというが、そうは思えないほどに作品の完成度は高い。被写体との距離感、周囲の環境への配慮、大きさを自在に変えたプリントの配置など、展示には写真家としてのベーシックな才能が充分に発揮されていた。今後の活動も大いに期待できそうだ。

なお、本展に続いて「ニコンサロン年度賞2002受賞作品展」の一環として、若手作家の最優秀作品に授与される第24回三木淳賞を受賞した宛超凡の展覧会「河はすべて知っている―荒川」(4月11日~4月24日)が開催される。


公式サイト: https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/2023/20230328_ns.html

2023/03/28(火)(飯沢耕太郎)

VOCA展2023 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─

会期:2023/03/16~2023/03/30

上野の森美術館[東京都]

1994年に始まったVOCA展が今年30回目を迎えるのを記念して、『VOCA 30 YEARS STORY 30周年記念記録1994-2023』を出した。これを見ると、第1回には大竹伸朗、岡﨑乾二郎、福田美蘭、村上隆、吉澤美香といった錚々たる画家たちが名を連ねていたことがわかる。でもこのなかで受賞したのはVOCA賞の福田だけ(受賞者は計5人)だと知ると、審査員の目は節穴だったのかと思いたくもなるが、そうではなく、おそらく彼らの作品に対する評価がまだ定まっていなかったのだ。まさに隔世の感あり。

VOCA展は、推薦委員によって選ばれた40歳以下の美術家による平面作品という「縛り」があるため、作品傾向が大きく変わったりバラツキが出たりすることはない。それでも初期のころの絵画中心の展示から次第に写真が増え、厚さ20センチ以内の半立体やインスタレーションが登場し、液晶ディスプレイの普及により映像作品も珍しくなくなってきた。絵画が中心であることに変わりはないが、時代を反映して少しずつ変化が見られるのも事実。新しい世代の絵画の動向を観察できるだけでなく、「平面」の枠内でどれだけ冒険しているかを見る楽しみもあるのだ。

今回目についたのは、布地に桃太郎の物語の1シーンを糸で抽象的に縫いつけて棒から吊るした金藤みなみ《桃太郎の母》、9組の兄弟姉妹のそれぞれの服を重ねて縫い合わせた黒山真央《SIBLINGS》(VOCA佳作賞)、日本各地を歩くなかから生み出された陶板、ドローイング、テキストを壁に配置したエレナ・トゥタッチコワ《手のひらの距離とポケットの土》(VOCA奨励賞)、黒い箱に7つのステンドグラスをはめ込み裏から光を当てた中村愛子《Loin de…》、石膏を塗った合板を削って波が押し寄せる海岸のような風景を現出させた七搦綾乃《Paradise Ⅳ》(VOCA奨励賞+大原美術館賞)など、絵画から外れた表現。挙げてみて気づいたが、全員が女性だ。出品者の男女比はほぼ半々なので、女性のほうが「絵画」とか「写真」といった形式にはまらない傾向が強いのかもしれない。

男性で変わり種をひとつ挙げれば、都築崇広の《OSB・森・風》だ。木材の破片を固めたOSB合板を支持体に、植物イメージをコラージュして森を表わした作品。それだけでは珍しくもないが、彼は同時期に開かれている「岡本太郎現代芸術賞展」にも入選していて、そちらには合板に都市の風景を焼きつけた《構造用合板都市図》を出しているのだ。絵画中心のVOCA展と、ドハデなインスタレーションが売りの岡本太郎現代芸術賞展という、二つのコンペをまたいで対照的な作品を出品し、両者でひとつの世界観を示そうとしたってわけ。特にVOCA展は公募ではなく推薦制だから、狙ってできるものではない。これは見事。


公式サイト:https://www.ueno-mori.org/exhibitions/voca/2023/

2023/03/30(木)(村田真)

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フローラとファウナ 動植物誌の東西交流

会期:2023/02/01~2023/05/14

東洋文庫ミュージアム[東京都]

初めて訪れる東洋文庫。西洋の古書と違って東洋の古書にはそれほど惹かれないが、同ミュージアムで東西の動植物図譜を展示していると聞いて行ってみた。エントランスから2階へ上ると、三方の本棚を埋め尽くす数万冊のモリソン文庫が現われる。これは1917年にオーストラリア人のモリソン博士からまとめて購入した書籍という。中身は東アジアに関するものだが、西洋で出版された本なので形式は洋書。革装の背表紙に浮き上がる背バンドの凹凸がたまらない。企画展はその奥の部屋から始まる。

「フローラとファウナ」は、長崎のオランダ商館に勤めながら、日本の動植物図譜を出版したドイツ人の医師シーボルトの来日200年を記念するもの。ちなみにフローラとは植物相、ファウナとは動物相を意味する。いま町田市立国際版画美術館でも西洋の博物図譜を集めた「自然という書物 15~19世紀のナチュラルヒストリー&アート」展が開かれているが、東洋文庫では西洋だけでなく東洋の動植物図譜も含めて紹介し、相互の交流をたどろうという企画だ。


東洋には、自然界のあらゆるものを集めて分類・研究しようという「博物学」はなく、主に薬になる植物などの研究とその利用方法、効能に関する学問「本草学」が中国で生まれ、日本にも伝わってきた。東洋のほうが実用的だったのだ。古いものでは、1~2世紀ごろ成立したとされる中国最古の薬草学書『神農本草経』や、中国の本草書に載っていた薬の名を10世紀に醍醐天皇が和訳させた『本草和名』など、古代・中世に書かれた原著を江戸時代に復元・出版した古書がある。これらは文字情報(漢文)だけで図版がないのが残念。それを補うつもりなのか、各キャプションの上に「健康への飽くなき探求心」とか「千年前の動植物の呼び名がわかります」といった軽いキャッチコピーが踊っている。確かにわかりやすいが、余計なお世話という気がしないでもない。

図版のあるものでは、日本の博物学を代表する本草学者の貝原益軒『大和本草』(1709-1715)から、薬品会(物産会)の出品物をまとめた平賀国倫(源内)編『物類品隲』(1763)、ワニやモルモットなど外国の動物をカラーで描いた『異魚奇獣譜』(江戸時代)、精密な植物図鑑の草分けである牧野富太郎『日本植物志図篇』(1888-1891)まである。でもやはり(牧野の本は別にして)描写の精密さ、質感のリアルさ、色彩の美しさでは西洋の博物誌にはかなわない。

洋書で圧倒的に多いのは、西洋人が著した東洋の動植物図譜。その中心になるのが、来日200年のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによる『日本動物誌』(1833-50)と、『日本植物誌』(1835-1870)だ。町田でも展示されていたこの2冊は、日本の生物相を西洋に知らしめる役割を果たした。ほかに、シーボルト以前に長崎に来たエンゲルベルト・ケンペル『廻国奇観』(1712)、分類学の父ともいわれるカール・フォン・リンネ『セイロン植物誌』(1748)など、著者の名前は知ってるけど初めて見る書物も少なくない。美しいものでは、鳥類学者にして剥製師のジョン・グールド『アジアの鳥』(1850-1883)、極東まで来て昆虫採集したジョン・ヘンリー・リーチ『中国・日本・朝鮮の蝶類』(1892-1894)などもある。後者のキャッチコピーは「チョウきれい !!」。ダジャレかい。



チョウきれい !![筆者撮影]


公式サイト:http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/floraandfauna-detail.pdf

関連レビュー

自然という書物 15~19世紀のナチュラルヒストリー&アート|村田真:artscapeレビュー(2023年04月01日号)

2023/03/31(金)(村田真)

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2023年04月15日号の
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