artscapeレビュー
2009年02月01日号のレビュー/プレビュー
iQのトヨタマジック
1997年にトヨタが発売した世界初のハイブリッドカー・プリウスは、その発想と技術力そしてデザインから未来を先取りするクルマとして輝いて見えた。2008年秋に発表されたトヨタのiQは、クルマの未来に向けたトヨタからの新たな挑戦と見ることができるかもしれない。そのユニークなコンセプトとデザインは、昨年のグッドデザイン大賞受賞に見られるように高く評価されている。
最近、街のディーラーに実車が置かれ、試乗もできるようになったので乗ってみた。一番驚かされたのは、全長2,985mmしかない超ミニカーでありながら、実際に運転してみるとそのサイズを感じさせないことである。車幅1,680mmのサイズが効いている。運転席のスペースは小型車並みであり(後部座席のスペースは限られるが)、エンジン、ステアリング、サスペンションなどの感覚はすべての面で小ささを感じさせない。
メルセデスのsmartや日本の軽自動車は、近年、走りと居住性の質感が驚異的に上がっているが、やはり運動性能にしても居住性にしてもミニカーであることのエクスキューズがどこかに残っている。iQは、ミニカーでありながらその運転感覚はミニカーでない。ここにトヨタマジックがある。特殊で斬新なクルマを普通のクルマとしてマーケットに送り込める高度な技術とクルマづくりの哲学が強く感じられた。もちろん、燃費とCO2排出量など環境面での性能はトップクラスであり申し分ない。一見したところ、smartのトヨタ版のようにも受け止められる向きがあるが、実車を見て、触れて運転してみると独自のポリシーを持っていること、独自の造型感覚でつくられていることを強く感じた。
発売後、2カ月間で約8,000台という予想を上回る受注を得たという。室内空間的にはより大きく余裕があるヴィッツよりも数十万円高いという価格設定は、iQの普及に影響を及ぼすかもしれないが、クルマ社会の未来を考えたときにいまチャレンジすべきであるとのトヨタの英断がこの小さなクルマに凝縮されているように思われた。路上にiQが増殖し始めたら、日本の道路に新たな風景が生まれるだろう。
画像:パリ・モーターショー2008でも話題のiQ[筆者撮影]
2009/01/20
グラフィックデザイナー、福田繁雄氏、逝去(享年76歳)
1932年生まれの戦後日本を代表するグラフィックデザイナーのひとり、福田繁雄氏が、去る1月11日に他界した。享年76歳。戦後日本のグラフィックデザイン界を牽引したデザイナーが多数参加した伝説的なグラフィックデザイン展「ペルソナ展」に参加し、毎日産業デザイン賞を受賞。1967年には70年の大阪万博の公式ポスターを制作。70年代から90年代にかけて、つねに第一線で活躍してきた。
また、グラフィックのみでなくパブリックアートの立体造型作品も手がけた。1960年に東京で開催された世界デザイン会議で、イタリアのアーティスト、ブルーノ・ムナーリと出会い大きな影響を受けた。福田のグラフィックに見られるだまし絵的な効果などユーモア感覚溢れる造型は、ムナーリ作品にしばしば見られる遊び心に通じている。2000年から、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の会長を務めてきた。ご冥福をお祈りしたい。
画像:最後の出版となった『福田繁雄DESIGN才遊記』(ggg Books別冊6、DNP文化振興財団、2008)[筆者撮影]
2009/01/20
ヴェリブとフレンチデザインのエスプリ
2007年7月15日にパリで始まった自転車貸出サービスであるヴェリブについては、昨年の6月、虎ノ門にある自転車文化センターに実車が寄贈され展示されるなど、環境問題への意識の高まりとともに、合理的でエコな移動手段として日本でも関心を持つ人も少なくない。遅ればせながら、筆者は、昨年の秋に現地でヴェリブに乗る機会があった。ヴェリブのシステムについてはWebでも詳しく紹介されているので、ここでは自転車そのものについてレポートしよう。
デザイナーは、フィリップ・スタルク門下のパトリック・ジュアンが手がけている。ご覧のとおり、公共の場でレンタルされる自転車であるので、デザイン的な格好良さが追求されているわけではない。基本は、不特定多数のユーザーが安全に利用できる自転車ということで、フレームも太く総重量で22kgと決して軽くない。実用性を優先したデザインである。フロントの荷物カゴとリアの存在感ある泥よけが特徴的だ。少しごつい「ママチャリ」という風体である。微妙な色合いのグレーのカラリングはパリの街並にとけ込んで見える。実用性を追求しながらも大らかでユーモアのあるスタイリングは、写真で筆者の後方に見えるシトロエン社による大衆車の傑作2CV(1948年発表)にも通じる。
運転してみると、三段変速機を駆使すれば、坂道でもペースを落とさずに走らせることができる。駿馬ではなく優美さには無縁だが、仕事や遊びの相棒となる乗り物で、愛嬌のある農馬のような感覚が湧いてきた。そういえば、シトロエンの2CVは、フランスの「農民車」として開発されたという歴史を持つ。ヴェリブとシトロエン2CVには、乗り物のデザインに関する、時代を超えたフランス人のエスプリが息づいているように思われた。
写真:ヴェリブに乗る筆者。後方にシトロエン2CVが見える[撮影=Kimiko Yoshida]
2009/01/21
泉太郎「山ができずに穴できた」
会期:2009/01/20~2009/03/07
NADiff Gallery[東京]
本屋の地下にあるいびつな白い部屋、壁に映るのは人体のでたらめで、ユーモラスな運動。同一人物を撮影した紙が次々に手で引きちぎられてゆく動画は、下の紙の体と上のそれとがときに重なり、パラパラマンガに似て非なる原始的で奔放な動きを見せる。「ダンス」なんて言葉が不意に漏れてしまう魅力があった。壁の下に紙の残骸。プロジェクター台に半分隠れたテレビは、紙にプリントされた元の映像(壁に沿ったり壁を蹴ったりする泉)を映す。重層的な映像(「重ねた紙を上からちぎってゆく映像」=「運動する泉」+「それを映した映像」+「映像を映した紙」)を重層化のプロセスごと展示するやり方は、最近の泉らしいこだわりを示している。事が重層的になれば必然として、作家の思惑とその結果のズレは増加する。プロセスの開示はそのプロセスこそ主役なのだといいたいようだ。タイトルにある「~できずに」は、こうした思いのズレにこそ泉の関心があることを明かしている。
2009/01/21(水)(木村覚)
山内圭哉(脚本・演出・主演)「パンク侍、斬られて候」
会期:2009/01/20~2009/02/01
本多劇場[東京]
学生に誘われたまたま見た。なるほど大衆芸術としての演劇とはこうしたものかと思わされる。町田康の同名小説が原作。愚行をつづけこの世の糞とみなされ排出(殺害)されることで、この世の嘘から自由になろうとする「腹ふり党」と、その力を借りて権力闘争を画策する者たち、また彼らに仕える侍たちが織りなす面白おかしい、ときにグロテスクな芝居。
山内扮するパンク侍を中心にあっという間、前半の90分が過ぎる。山内の飄々とした台詞回しがなんとも絶妙。台詞回しばかりではない、ギャグのテイストやいざ殺陣のシーンになるとCG映像へ転換するやり口など、いちいちの仕掛けがことごとく的確で、そのなかに今日の本国の政治に対する揶揄を溶け込ませるなんてスパイスも忘れない。爆笑/失笑の連続に、まるで自分の心が分析尽くされているような気にさせられる。マッサージチェアー?いや、もう、これはほとんど人間科学。と感心しつつ、次第に狙われたツボがお約束過ぎとも思いはじめた後半、「腹ふり党」の踊りが狂気を帯びた暴走と化し、世界が混沌としてくる。混沌の行く先は判然としないまま、さきほどまでの心地よさはかき消され、舞台の激しさに笑いつつ戸惑ううち終幕となった。
2009/01/21(水)(木村覚)