artscapeレビュー
2010年05月01日号のレビュー/プレビュー
きょう・せい 第1期
会期:2010/04/02~2010/04/25
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]
京都市立芸術大学が市内中心部に学外ギャラリーをオープン。そのこけら落としは、同校出身の若手たちによるグループ展だった。内容的には詰め込み過ぎの感もあったが、オープニングゆえ祝祭気分を優先したのだと好意的に解釈しておこう。今後、この新ギャラリーを舞台に重要な展覧会が開催され、注目の新人たちが巣立っていくことを期待する。
2010/04/07(水)(小吹隆文)
舟田亜耶子 展
会期:2010/04/06~2010/04/14
ギャラリ16[京都府]
3種類の写真作品を出品。うち2つはレンチキュラーシートを用いたもので、ギャルたちを曼荼羅のように配した作品と、5人から10人の顔を重ねたポートレイトだった。もうひとつはグラビアアイドルのようなポーズを取った少女たちの顔をスクラッチシートで覆っていた。私が秀逸だと思ったのはポートレイト作品。現実と仮想空間を自在に使い分け、TPOに応じてキャラクターを使い分ける現代人の姿が的確に描写されていたからだ。舟田は今回が初個展だが、幸先の良いスタートとなった。
2010/04/07(水)(小吹隆文)
レゾナンス 共鳴 人と響き合うアート
会期:2010/04/03~2010/06/20
サントリーミュージアム[天保山][大阪府]
生と死、喜び、悲しみ、笑いなど、人間の根源的な感情を刺激する作品ばかりを集めた展覧会。国内外の20作家が出品しているが、海外組がキーファーやロスコなど大御所が多いのに対し、国内作家は小泉明郎や金氏徹平など若手が中心だった。これには年内で休館するサントリーミュージアム[天保山]から日本の若手作家に贈るエールの意味があるという。テーマ主義で作品を駒として扱うのではなく、個々の作品との対話を重視しているのも本展の特徴。まるでミュージシャンがアルバムの曲順に工夫を凝らすように、本展では作家の配置にこだわりが感じられた。特に前半の流れは秀逸で、イケムラレイコとマルレーネ・デュマスで静かに始まり、ポール・マッカーシーで転調した後、ラキブ・ショウと小谷元彦でスピリチュアルな空気感を作り出し、伊藤彩で一息ついてからジャネット・カーディフの《40声のモテット》で一気に高揚の頂点へと持って行かれた。後半は線的な流れではなく、テイストの違う作品を散りばめられた万華鏡的な世界が広がっていた。ビートルズの『アビィ・ロード』のA面とB面が逆になった感じとでも言えばご理解いただけるだろうか。こんな見方が果たして正しいのか自信はないが、1枚のアルバムを聞く感覚で展覧会を体験するのも悪くないものだ。
2010/04/09(金)(小吹隆文)
関さなえソロダンスvol.6 縞々─私はタマネギを食べられない
会期:2010/04/09~2010/04/11
GALLERY MAKI[東京都]
ダンサー関さなえの公演。前回のストイックでコンセプチュアルなダンスとは対照的に、今回は幼少の頃の身体の動きに回帰したかのような踊りを見せた。水であふれた長靴に足を突っ込み、上半身を固めたまま、足の指を水中でぐちゅぐちゅさせる遊びなど、誰もが一度は経験したことのある感覚が強く呼び起こされる。ただし、こうした原点回帰はたんに幼児の身体所作に立ち戻っているわけではなく、ダンサーとしての身体の奥底にまで滲みついてしまった西洋近代の身体技法を乗り越えるための方法なのだろう。随所に立ち現われるモダン・バレエの動きは、幼児の身体所作を意図しながらも、おのずと発現してしまう西洋近代的な身体技法のクセのように見えた。そのクセを否定的な契機として押さえ込むのではなく、肯定的な契機として生かしながら、新たな身体技法を切り開くことを、関は目指しているのではないか。
2010/04/09(金)(福住廉)
快快「スナック『しばはま』」
会期:2010/04/09~2010/04/10
SNAC[東京都]
落語の名作『芝浜』を快快が演劇化するという。楽しみな6月の本公演に先駆け、深川に新しくできたSNAC(桜井圭介の吾妻橋ダンスクロッシングと無人島プロダクションが共同プロデュースするスペース)で行なわれたのが本作。「スナック」とタイトルにある。元スナックというよりは元居酒屋だったらしいSNACの空間、床に青いビニールシートが敷いてありお花見会場みたいだ。坐る場所を確保すると快快の女性メンバーたちがおでんや焼酎などをふるまってくれる、その様子は確かにスナック風。しばらくすると、女性メンバーたちは観客の間に入っておしゃべりをはじめた。パラパラダンスや紙切りの出し物を間に挟んで、観客はひたすら飲まされた。そんな1時間ほどが経ってから『しばはま』上演。3人の役者が全員で夫になったり女房になったり、2対1になったり1対2になったりと、いつもの快快らしく複数の役者がひとつの役を交替であるいは同時に演じてゆく。考えてみれば、首を右に左に振るだけで役を切り替える落語の演技形式は、快快の発想に近いといえなくもない。飲んだくれの夫の話を、観客はさんざん飲まされた状態で受けとめた(上演の幕間にはフリードリンクタイムまであった)。劇空間であり、また「スナック」でもあるという場は、『芝浜(しばはま)』の物語の内部に身体ごと観客を引き込む仕掛けだったわけだ。
2010/04/10(土)(木村覚)