artscapeレビュー
2010年09月01日号のレビュー/プレビュー
生命のひかり展~丸木位里没後15年・俊没後10年をふりかえって~
会期:2010/08/01~2010/08/15
カフェギャラリーあっぷるはうす[埼玉県]
《原爆の図》で知られる丸木位里・丸木俊の回顧展。丸木美術館が所蔵していない《原爆の図・夜》(1950)が公開された。未完の大作ではあるが、しかしだからこそ、見る者はそこに描かれるはずだった世界を想像的に補っていたように思う。あわせて展示された色鮮やかな水彩画や初期のデッサンなどは、《原爆の図》のイメージで塗り固められた夫妻のイメージを、ゆるやかに解きほぐしていた。
2010/08/12(木)(福住廉)
梅佳代 写真展「ウメップ」シャッターチャンス祭りinうめかよひるず
会期:2010/08/07~2010/08/22
表参道ヒルズ スペース オー[東京都]
写真家・梅佳代の個展。写真集『ウメップ』に収録された写真を中心に、数百枚にも及ぶ大量の写真を空間全体を散りばめ、「表参道ヒルズ」のなかに見事な「うめかよひるず」を出現させた。ミラクルの瞬間を目ざとくとらえる眼力は依然として変わらないが、今回の展覧会で新たに発表された映像を見ると、むしろその瞬間を梅佳代自身が招き寄せているのではないかとすら思えてくる。同じ時代を生きていることに喜びを感じるアーティストは少ないが、梅佳代はまちがいなくそのひとりである。
2010/08/12(木)(福住廉)
『チビチリガマから日本国を問う!』
会期:2010/08/13
新川区民館[東京都]
西山正啓監督によるドキュメンタリー映画の上映会。彫刻家の金城実と読谷村村議の知花昌一を中心とした反米軍基地運動のメンバーが、鳩山前首相が公約した普天間基地の県外移設をめぐって、国会議事堂前で抗議の座り込みを続けた様子を記録したドキュメンタリーだ。この映像を見て教えられたのは、金城による政治運動がじつに魅力的で、それは彼が制作する彫刻作品とは別の次元で、「芸」の域にまで到達しているということだ。国会議事堂の前で支持者や警察官に向けて演説する口ぶりは達者であり、聴衆の心を鷲づかみにする術を心得ているし、金城のパフォーマンスと比べると、支援する立場の国会議員による演説がなんとも空疎に響いてならない。知花の三味線にあわせて金城が下駄を両手にかざしながら踊るパフォーマンスも、パンクのように無茶苦茶だが、だからこそ人びとの眼を惹きつけてやまない舞踊である。金城の彫刻も、我流を貫き通す意志で成り立っている。同時期にギャラリーマキで催された金城の個展では、テラコッタによる素焼きの彫刻作品などが発表されていたが、その大半が人体や肖像を形象化したもので、文字どおり荒削りのフォルムがなんとも魅力的である。美大で教育を受けたわけではなく、風呂屋とストリップ小屋で人体のかたちと光の陰影について修行したという逸話も、近代彫刻の歴史には見られない、親しみやすい彫刻の印象を強めているのかもしれない。「彫刻は死んだ」とか「絵画は死んだ」とか、芸術の世界では知ったような議論がまかり通っているが、そうした机上の空論に現を抜かすよりも、金城による生きた彫刻と政治パフォーマンスに触れるほうが、はるかに私たちの生を豊かにしてくれるに違いない。
2010/08/13(金)(福住廉)
伝説の報道写真家・福島菊次郎 写真展
会期:2010/08/14~2010/08/16
府中グリーンプラザ展示ホール[東京都]
福島菊次郎は反権力の報道写真家で、現在89歳。山口県で活動する現役のカメラマンだ。この写真展は、福島による約300点あまりの写真で構成されたパネルを展示したもの。あわせて近年の福島の暮らしを追ったドキュメンタリーテレビ番組も公開された。福島がファインダーを通して目撃したのは、自衛隊のほか、広島の被爆者、軍需産業の工場、そして島々の村落。なかでも被爆で辛酸を舐めさせられた一家に持続的に密着して撮影した写真はすさまじい。福島による短文が添えられたモノクロの写真からは、被爆によって壊された身体の痛みはもちろん、ずさんで無神経な行政への怒り、壊れかけた家族の紐帯への悲しみなどがひしひしと伝わってくる。「芸術と社会の関係」などという浮ついた言葉では決して語ることのできない、文字どおり全身で社会と格闘する写真家だ。福島が撮影した写真の多くは瀬戸内海を舞台としているが、アートクルージングでは見えてこない芸術と社会の一面を福島の写真は見せてくれる。
2010/08/15(日)(福住廉)
快快×B-Floorコラボレーション作品『どこでもdoor』
会期:2010/08/13~2010/08/15
東京芸術劇場小ホール[東京都]
こりゃ「タイの快快」だ!なんて思わされたB-Floorと短時間でつくったコラボ作品。タイトルにあるようにベースはシンプルで、ドアをひとつ用意して行ったり来たりする。終幕あたりでぐっときた場面があった。観客に合図を送り拍手をさせるとその音が「雨」になり、役者たちはそれまで観客とやりとりしていた商いをやめて雨宿りをはじめる。あらかじめ観客に20バーツ札を渡してあってそれで行商人たちと値切り交渉を楽しんでくれという趣向。拍手=雨なんていうのも快快らしい参加型のアイディア。こういうのはとてもよかった。「タイの雨」や「タイでの値切り」を湿度や熱気を錯覚するほどに体感できた。とはいえ、小さなアイディアの数々がひとつの束としてまとまることはなかった。いや、あるルール(台本や演出方法)を決めて、それに沿って作品づくりをすればこぎれいにまとめあげることは短期間でも可能だったかもしれない。強いルール設定を拒んだのだろう。その一方、二組の出会ったことそれ自体が主題化された。結果として、学生や社員がオリエンテーションで行なう即席の芝居と大きくは変わらないものになってしまったかもしれない。とはいえ、時折つぶやかれたセリフ「ア・ジ・ノ・モ・ト」は印象的で、二組が共有できる単語であった以上に、すべてを同じ(旨い)味にしてしまう調味料(的存在)に対する批判を含んだものであったに違いない。ゆえにちょっと薄味だった舞台。その分、素材(役者たちの個性)を感じることができた。
2010/08/15(日)(木村覚)