artscapeレビュー

2010年10月01日号のレビュー/プレビュー

Chim↑Pom『Imagine』

会期:2010/08/07~2010/09/11

SNAC[東京都]

Chim↑Pomの葛藤は、「アートであってアートであってはならない」ことにあり、この点についてはしばしば議論がなされているように思うのだけれど、彼らはもうひとつの葛藤を抱えているとぼくは感じている。それは「なにかを愛しつつも単なる愛と受けとられてはならない」ことである。この二つの葛藤が交差して、複雑に絡み合うときに、もっとも彼ららしい一種のグルーヴが生まれ、その瞬間にこそ立ち会いたいと、ぼくは思っている。アイロニーではだめだ。「アートを笑うアート」でもなく「愛を笑う愛」でもなく、思案を重ねた末、いざ制作を始めてみたものの、どういう結果になるのか最終的に皆目わからなくなってしまった、そんな不測の事態が発生してこそ葛藤する価値があるというもの。さて、新作展。ハジくんという盲目の若者を主人公に、観客に「見えないことを想像させる」作品群。点字の表記がキラキラと輝くキャンバスの作品やハジくんとにらめっこの勝負をする映像作品などが並ぶなか、昔のエロ雑誌のページにオノ・ヨーコのインストラクション集『グレープフルーツ』の文章を点字で刻印した作品があって、ぼくはこれにひきつけられた。点字(触覚)の世界からすればオノ・ヨーコで、視覚の世界からすればエロ雑誌。ぼくの行った日はハジくんもいて、点字を読んでもらったのだけれど、読み上げる言葉とは関係なく、ページをなでる手がなんだかなまめかしく映る。しかし、自分の手のなまめかしさをハジくん自身は見られない。ハジくんの世界と見える者の世界との「すれちがい状態の出会い」が、とても上手く作品化されていた。問題は、あるとすれば上手すぎることかもしれない。丁寧に織り上げられた愛のアート。アイロニーへ転換させることなく、これをダイナミックなものにするには、出会ってしまった「ハジくん」と徹底的につき合ってみるべきなのかもしれない。

2010/08/17(火)(木村覚)

みやちとーる個展「永遠の夏休み」

会期:2010/08/24~2010/08/29

ギャラリーアビィ[大阪府]

トイカメラの祭典「ホルガ・ジャンボリー」の一部として個展形式で開催。みやちといえば「フジロックフェスティバル」を取材したモノクロ写真のシリーズを毎年発表しているが、今回の作品はもうひとつの系統である故郷(三重県尾鷲市近郊)をカラーで撮影したシリーズ。カメラは当然トイカメラのホルガを使用している。作品に収められているのは、海、川、山、学校、駅、畑、実家など、典型的な日本の田舎の情景。子ども時代の夏休みや帰省の記憶が鮮やかに思い出されるものばかりだ。展覧会タイトルの「永遠の夏休み」には、パラダイスへの願望と、物わかりのいい大人には絶対ならないぞという決意が重ね合わされている。これはフジロックのシリーズも同じであり、両方を見れば写真家・みやちの世界が理解できるはずだ。

2010/08/24(火)(小吹隆文)

WANDERING PARTY公演「total eclipse」

会期:2010/08/26~2010/08/29

国立国際美術館[大阪府]

束芋の個展を開催中の国立国際美術館で演劇公演が行なわれた。束芋が「断面の世代」というコンセプトを発案するに当たり大きな影響を受けた劇団WANDERING PARTYの「total eclipse」である。1985年に実際にあった豊田商事会長刺殺事件が題材で、刺殺された男の半生、現場に居合わせた記者の証言などを組み合わせて現在と過去を交錯させながら進展する物語だった。劇団の主宰者で作・演出を担当したあごうさとしは、この事件にその後の日本人の精神的退廃の起源を見出したようだ。作品は会話劇で、圧倒的な量の言葉が息つく暇もなく繰り出されるため、観劇経験の乏しい私は流れについて行くのが精いっぱいだった。また、大学時代に事件をテレビ越しに目撃した身としては、この事件がその後の日本人の精神性に決定的な影響を与えたとまでは思えず、むしろ世代による受け止め方の差に強い興味を覚えた。

2010/08/25(水)(小吹隆文)

美術の中の動物たち

会期:2010/07/24~2010/08/29

尼崎市総合文化センター[兵庫県]

動物をモチーフにした美術作品を集めた展覧会。池水慶一、小野養豚ん、植松琢磨、名和晃平、淀川テクニックの5組がそれぞれ作品を展示した。動物の形を造形化することに終始した作品が多いなか、そこから一歩踏み込んでいたのは池水慶一と小野養豚ん。池水は全国の動物園で飼育されているゴリラや象、ラクダなどの生態を詳しく調査して写真に収め、あわせて彼らを飼育している全国の動物園へのアンケート結果も発表した。とりわけ、ラクダが射精後に失神するほど激しい交尾をするという知られざる事実には驚かされたし、背後から撮影したゴリラの写真には背中で何かを物語る人間と同じ独特のオーラを放っているように見えた。また、つねに養豚場の豚をテーマに制作してきた小野養豚んは、FRPで形成したリアルな立体作品を発表して食肉としての豚の一面を強調していたが、あわせて展示された柔らかい色と線によるドローイングが生き物としての豚に注ぐ深い愛情を表わしていた。両者はともに、動物をテーマとしながらも、その先に人間の姿を暗示していたのである。

2010/08/25(水)(福住廉)

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横尾忠則 全ポスター

会期:2010/07/13~2010/09/12

国立国際美術館[大阪府]

文字どおり横尾忠則の全ポスター、およそ800点を一挙に発表した展覧会。50年代の高校時代に手掛けた文化祭のポスターから60年代のアングラ文化を視覚化したポスター、さらにはそれらの下絵や版下などをそろえた、その圧倒的な物量がすさまじい。土着的なイメージを極彩色で彩ったポスターを立て続けに眼にしていくと、大げさな言い方でもなんでもなく、まさしく眩暈を覚えるほどだ。それこそサイケデリックな経験なのだろうが、むしろ気になったのは60年代のポスターが「読める」ポスターだったということ。そこには出演者や演出家によるテキストが散りばめられており、それはポスターを「見る」というより雑誌を「読む」ことに近い。少なくともこの時代、ポスターは純粋に視覚的なイメージを構築するというより、読者へメッセージを確実に届けるメディアとして使われていたことが伺える。世界に情報を発信することも世界からの情報を受信することも容易になった反面、情報と接する身体感覚や生々しさが失われつつある今だからこそ、街に貼られたポスターを読むという経験には、今日的な意義があるように思う。

2010/08/25(水)(福住廉)

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