artscapeレビュー

2010年12月01日号のレビュー/プレビュー

宮島達男「Time Train」

会期:2010/11/03~2010/12/29

Six[大阪府]

ドイツのレックリングハウゼンで出品した、鉄道模型にデジタルカウンターを積んで走行する作品《Time Train》を出品。かつて石炭の輸出用に敷かれた鉄道網が、第2次大戦中はユダヤ人を強制収容所に送るために使われたという、歴史的事実に由来する作品だ。本作は日本初公開だが、ミニマルでハードな性格を持つ展示スペースと上手くマッチして、シンプルながら味わい深い展示が行なわれた。また、関西ではなかなか宮島の作品を見られないので、その意味でも貴重な機会だった。

2010/11/02(火)(小吹隆文)

木津川アート2010

会期:2010/11/03~2010/11/14

木津川市の木津・本町エリア、鹿背山エリア、上狛エリア[京都府]

京都府最南端の木津川市を舞台に開催された、地域型アートフェス。今年は関西でも同種のイベントが多数開催されており、さすがに食傷気味の感があった。しかし、出かけてみてビックリ。作品の質は上々だったし、木津川市の古い町並みや豊かな自然環境が素晴らしかった。なにより主催者やアーティスト側と、地元自治体・住民との関係がきちんと築かれていることに好感を持った。この手のイベントでは、ディレクターやアーティストの意気込みばかりが前に出て、地元との関係が後回しにされるケースがままある。しかし、イベントの目的を考えたら、優先順位は逆になるはずだ。そうした基本をしっかりおさえつつ、地域とアートの良い関係を作り出した点を評価したい。同時に、宅地開発でベッドタウン化が進む木津川市の現状も垣間見ることができた。開発が是か非かはともかく、市の現状を改めて市民に伝えるという意味でも、このイベントは有意義だったと思う。

2010/11/03(水)(小吹隆文)

ヘブンズ・ストーリー

会期:2010/10/02~2010/11/05

ユーロスペース[東京都]

映画で重要なのは、そのはじまりと終わりにあると思う。双方がよければ、あいだが多少拙くても、なんとか容認できる。けれども、逆の場合はやっかいだ。せっかく美味い料理を味わったのに、感じの悪い給仕に台無しにされてしまうようなものだ。瀬々敬久監督による本作は4時間半を超える渾身の作品。家族を殺された遺族による犯人への復讐をめぐって綴られる叙事詩のような物語は、全9章からなる長大な構成にもかかわらず、緊張感を失わない映像美も手伝って、いっときも眼を離すことができない。映画とはかくあるべしと想いを新たにするほど、見応えがあるといってもいい。ただし、正直にいって、主人公の少女が犯人に殺害された家族の霊と対面する終盤のシーンには、たいへん興醒めさせられた。休閑期のゲレンデのような山の斜面で遊ぶ子どもたちを映した冒頭の美しいシーンと対応していることはよくわかるのだが、それまで現実的な水準で物語を冷徹に描いていたのに、最後の最後で陳腐な夢物語に回収してしまったからだ。予兆がないわけではなかった。数回にわたって被弾しているのに、なかなかくたばらない銃撃シーンはあまりにも通俗的だし、その銃撃戦で死ぬ間際に男が青空にそびえ立つ鉄塔を見上げるシーンも、霧の中を突き進むバスの中で死者と出会うシーンも、等しく凡庸である。どこでも見たことがなかった映像が、急にどこかで見たような映像に切り替わってしまったわけだ。この落差と落胆は大きい。物語にたびたび頻出する団地を見ていると、「ここはいったいどこなのか?」と思わずにはいられないが、だからこそ団地という記号は、どこでもないがゆえにどこでもありうる物語の汎用性を映画の裏側から保証していた。けれども、どこかで見たような映像はそうした物語の拡がりを逆に狭めてしまう。肝心の味がよいだけに、後味の悪さが際立ってしまって、なんとももったいない。

2010/11/05(金)(福住廉)

ANPO

会期:2010/09/18

アップリンク[東京都]

期待が高かっただけに、肩透かしを食らった。リンダ・ホーグランド監督による本作は、60年安保をテーマとしたドキュメンタリー映画。当時を知るアーティストなどへのインタビューと関連する美術作品を織り交ぜた構成は、全体的に単調で、同じ地点でぐるぐると何度も自転しているような印象を覚えてしまう。おそらく、それは対話の水準が肉体から離れていることに由来しているのではないだろうか。回顧的な言葉にしろ、心情的な言葉にしろ、いずれにせよそこで交わされる言葉には肉体の次元が大きく欠落しているため、正直にいえば、どこか空々しい。とはいえ、それが安保を知る世代にとってはある種のノスタルジーを、知らない世代にとってはある種の啓蒙の機会を、それぞれ与えることは想像に難くない。けれども、ほんとうに重要なのは、安保の問題がかたちを変えながら今現在まで継続していること、私たちの暮らしの根底を規定するアクチュアルな政治的課題であること、だからこそノスタルジーや啓蒙が不必要であるわけではないにせよ、その段階で満足しているようではまったく問題にならないことである。必要なのは、肉体で安保を受け止めることができる映像だ。たとえば沖縄在住の彫刻家・金城実と読谷村村議の知花昌一らによる反米軍基地闘争を追った西山正啓監督のドキュメンタリー映画「チビチリガマから日本国を問う!」は、被写体の肉体が安保と格闘しているばかりか、それらを伝える映像が鑑賞者の肉体に安保を強く働きかけてくる。これと比較すると、本作には映像の面でも言葉の面でも肉体を撃つほどの強さは感じられなかったといわざるをえない。

2010/11/05(金)(福住廉)

オットー・ディックスの版画 戦争と狂乱──1920年代のドイツ

会期:2010/11/03~2010/12/19

伊丹市立美術館[兵庫県]

オットー・ディックスの版画を初めて知った時の衝撃は、今でもはっきり覚えている。第一時大戦の最前線における、暗くじめじめした塹壕、鉄条網に引っかかった遺体の一部、発狂寸前の兵士の顔……。一転、1920年代ベルリンの情景も忘れ難い。繁栄の陰でうごめく、娼婦、傷痍軍人、殺人者たちの姿を、グロテスクに活写した作品群だ。これまで断片的にしか見られなかった彼の版画を、初めてまとめて見ることができた。その印象は、やはり強烈。ずしりと重いパンチが、次々に打ちこまれてくるかのようだ。ディックスが今の世に現われたらどんな絵を描くのだろう。ふとそんな想像が頭をよぎった。

2010/11/07(日)(小吹隆文)

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