2018年06月15日号
次回7月2日更新予定

artscapeレビュー

Dance Fanfare Kyoto 03 塚原悠也『Hurricane Thunder / Super Conceptual Dance no.001』

2015年06月15日号

会期:2015/05/30~2015/05/31

元・立誠小学校[京都府]

Dance Fanfare Kyoto 03の企画プログラムの一つとして上演された本作は、塚原悠也を含むcontact Gonzoのメンバー4人とダンサー1名が出演。ブルーシートが敷かれ、段ボールや機材、椅子、ついたて、ゴミ箱、工具などが置かれた、舞台裏か設営作業途中のような空間で展開された。5人は淡々と、引っ越し作業のように段ボールや機材などを運び出し、雑多にモノが置かれた空間を片付けていく。「まもなく暗転が入ります」というアナウンスが聞こえると、1人が静かに倒れ、暗転と同時にノイズが入ると、残り全員が静止して固まる。これが数回繰り返されるほかは、特に劇的なことは(途中一回を除いては)起こらず、黙々と作業が続けられる。時折、アイマスクを付けて作業する人がいたり、工具で椅子を分解して音を立てるなど、変則的な出来事が差し挟まれる。
本作は、昨年のKYOTO EXPERIMENT 2014で上演された「xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ」での試みを引き継ぐと言える。眼前での肉体の生々しい衝突に巻き込むのではなく、ある設定された「舞台装置」の中で、明確には把握不可能な「ルール」の存在をほのめかしつつ、反復的な行為に従事し続けるというものだ。実際の巨大スタジアムで上演された「xapaxnannan」では、グラウンドと観客スタンド、パフォーマーと観客との圧倒的な距離を架橋するために、音響的な仕掛けが用意されていた。ラグビーと鬼ごっこの中間のような不可解なゲームに従事するパフォーマーたちの姿は遠く隔てられているが、一人だけピンマイクを身に付けて観客に「声」を届けられる特権的なパフォーマーの存在によって、荒い息遣いが彼らの運動量や肉体への負荷を聴覚的に伝達していた。
対して本作では、舞台中央に置かれた2台のモニターという視覚的な仕掛けが用意されている。モニターには、舞台上で淡々と行なわれている行為が同時中継されるが、観客には見えないアングルから映されたり、カメラ自体もパフォーマーによって移動されることで、複数の視点や運動によってむしろ分断・撹乱される。また、終盤にパフォーマー同士の絡みがあるものの、即興的に肉体をぶつけ合うというより、格闘ゲームのノリを寸止めのマイムでやっているようなゲーム性の強いものだった。
contact Gonzoの魅力として、肉体同士の激しいぶつかり合いによって生まれる、即興的で予測不可能な動きの多様性や揺らぎ、スピード感を、観客としての安全な立ち位置を脅かされるほどの近さで身体的に感取できる点がある。「xapaxnannan」を経て本作では、そうしたリアルな身体の現前から、よりゲーム性やメタ的性格の強調へと移行しつつあると言える。「xapaxnannan」では、ゲームのルール=振付と読み替えることで、スポーツと身体芸術の同質性と差異を問いかけ、熱狂やスペクタクルの欠如によってスポーツの政治性を脱臼させていた。一方、舞台裏をさらけ出したような空間で展開される本作では、舞台裏/表の空間の反転と片付け作業=タスクの遂行を通して、舞台芸術という制度をズラすことが企てられていたと言えよう。「Super Conceptual Dance no.001」と銘打たれたこの試みが、今後どう展開されていくのか期待したい。


「Hurricane Thunder / Super Conceptual Dance no.001」 撮影:Yuki Moriya


ホームページ:URL:http://dancefanfarekyoto.info/

2015/05/30(土)(高嶋慈)

2015年06月15日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ