2017年11月15日号
次回12月1日更新予定

artscapeレビュー

2016年09月15日号のレビュー/プレビュー

シン・ゴジラ

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『シン・ゴジラ』は、1954年に発表されたシリーズ第1作の恐怖と崇高性を蘇らせた傑作である。特に自衛隊の迎撃にはただ歩き続けるだけだったゴジラが、米軍の攻撃には激昂し、停電になった闇の東京を焼くつくし、超高層ビルを切り裂き、やがて停止する、庵野秀明節の絶望的なまでに美しいシーン。これは日本映画史に残る。現代日本で再生した新しい怪獣映画は、津波破壊と原発事故後の想像力、安全保障をめぐる国内外の政治ドラマ、緩慢な動きと静止した立像に加え、うんざりするほど続くスペクタクルではない、限定的かつ効果的な見せ場が効いている。また、この手のジャンルにありがちな家族や恋人の個人の物語に収束させないこともよかった。

2016/08/01(月)(五十嵐太郎)

レンブラント リ・クリエイト展2016 ─時代を超えてよみがえる復元画─

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会期:2016/07/30~2016/09/04

そごう美術館[神奈川県]

「リ・クリエイト」とは、絵が描かれた当時のオリジナルの色やサイズにできるだけに近いかたちに再現する複製画の手法。といっても原画の画像にデジタル処理を施したもので、パッと見、単なる複製画と変わらない。そんなもんに入場料1,500円を払うのは高い気もするが、しかし現在のオリジナル作品よりオリジナルに近い複製画(ややこしいわい!)と考えれば安い、ともいえる。しかも自画像41点を含むレンブラントの初期から晩年まで約200点の代表作品がそろうというのだから、オリジナルではありえない話。会場に入ると、さほど広くない展示室に200点ぎっしり並んでいる。まず気づくのは額縁がないこと。これは経費節約のためだけでなく、スペースの制約から省いたのかもしれない。そのせいか、絵を見ているというより画集をながめてる印象だ。リ・クリエイトの質的な限界もある。たしかに原画より明るくなったものが多いが、でも大半は単なる複製画にしか見えないし、シャープさに欠ける。特にレンブラントは厚塗りなので、絵具の盛り上がりが描かれた物体の質感をそのまま表わす場合が多いのに、それがうまく表われていない。ルーヴル美術館の《ダヴィデ王の手紙を持つバテシバ》などは、質の悪い画像しか提供されなかったのか、まるで戦前の画集並みの再現力。また、大作になるとプリントを2枚3枚と継ぎ合わせなければならないが、その継ぎ目が目ざわりだ。最大の問題は《夜警》で、アムステルダムにある原物は制作当時のオリジナルより縦横ともに数十センチ縮められているが、それをオリジナルのサイズに復元。それはいいのだが、残念なことに天井が低いため上部を1メートルほどカットしてしまったのだ。これは致命的ですね。でも逆に、こんなことできるのもリ・クリエイトだから。天井が低いからってオリジナルをカットしたら大問題だからね。でもじつは昔《夜警》が縮められたのも、似たような理由によるものだったらしい。

2016/08/02(火)(村田真)

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コウノジュンイチ写真展 「境界」

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会期:2016/08/01~2016/08/14

ギャラリー蒼穹舎[東京都]

コウノジュンイチの写真との付き合いは長い。10年以上前に、ワークショップで彼の作品を講評・展示したことがあるし、2009年からは東京・新宿のギャラリー蒼穹舎でコンスタントに作品を発表するようになり、それらもほとんど見ている。その数もすでに10回ほどになっているという。だが、彼の写真について書こうとすると、どうもうまく言葉が紡げないように感じていた。ほとんどが旅の途上で撮影されたスナップ写真なのだが、これといった特徴をなかなか見出しにくかったからだ。だが、昨年日本国内で2004~2011年に撮影した写真をまとめて、写真集『ある日』(蒼穹舎、2015)を刊行したこともあり、少しずつスタイルが固まってきたようだ。
今回の展示作品(四切カラー、38点)は香港、マカオ、台湾、中国などで2011~12年に撮影されたもので、例によって都市の路地から路地へと彷徨いながらシャッターを切っている。旅の非日常性をなるべく出さないように配慮しているようで、逆にその「メリハリのなさ」がコウノの旅写真の特徴といえる。カメラに視線を向けている人物が1人もいないのも、かなり意識的な操作だ。つまり、なるべく自分の気配を消すように撮影しているので、写真を見るわれわれは、コウノの視線と同化してその場面にすっと入り込むことができる。さりげないようで、高度に吟味されたシークエンスの連なりといえるだろう。もうひとつ特徴的なのは、画面の暗部(影、陰)の処理の仕方で、被写体のディテールを潰すか出すかのギリギリの選択がなされている。コウノはカラープリントの自家処理にこだわり続けているが、色味の調整や明暗表現に繊細な神経を働かせているのが伝わってくる。
コウノのどちらかといえば地味な写真群は、華やかなスポットライトを浴びることはないかもしれないが、いぶし銀の輝きを放ちはじめている。日本国内の写真と海外の写真は、いまのところ別々の枠組みで発表されているが、それらがいつか融合してくることもありそうだ。

2016/08/03(飯沢耕太郎)

三田村陽「hiroshima element」

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会期:2016/07/29~2016/08/11

photographers' gallery[東京都]

三田村陽は1973年、京都生まれ。1997年に大阪芸術大学写真学科を卒業後、京都造形芸術大学大学院メディアアート専攻に進み、1999年に同大学院を修了した。ここ10年余り、広島に月1度ほどのペースで通い続け、撮りためた写真を2015年12月に写真集『hiroshima element』(ブレーンセンター)にまとめた。今回のphotographers' galleryでの展示は、そのシリーズの東京でのお披露目展ということになる。
6×7判のカラーで撮影・プリントされた写真は、のびやかで屈託のないスナップショットである。三田村本人は「広島で写真のよろこびを表明する」ことに、ある種のうしろめたさを感じているようだが、実際に展示されている写真には、そのような翳りはまったく感じられない。むろん、原爆ドームや慰霊碑などは画面に映り込んでいるし、デモ隊や右翼の姿も見える。だが広島を取り巻く政治的な状況については、ことさらに言及することなく、むしろさまざまな都市的な要素に、目立たないように埋め込んでいくことがもくろまれている。その狙いはかなり成功しているのではないだろうか。
とはいえ、広島はやはり特別な都市であり、三田村の写真を見る者は否応なしに「見える街と見えない街」の二重性を意識せざるをえなくなる。そこから、どのようにして広島に特有の社会・文化の構造をあぶり出していくかが大きな課題なのだが、それはまだ緒に就いたばかりのようだ。この中間報告を踏まえて、さらなる「hiroshima element」の抽出が必要になってくるだろう。それがうまくいくかどうかは、次の発表ではっきりと見えてくるはずだ。

2016/08/03(飯沢耕太郎)

Mitsutoshi Hanaga Archives Project:羽永光利アーカイブ展

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会期:2016/07/23~2016/08/20

AOYAMA|MEGURO[東京都]

今日は東横線沿線のギャラリー3連発。どこも駅から歩いて10~15分ほどかかるので、真夏は決死の覚悟でのぞみたい。最初は中目黒から駒沢通りを10分ほど歩いた「青山|目黒」。途中ゆるい上り坂になってるが、右手の村野藤吾設計の瀟洒なビル(現在は目黒区役所として使われている)が目の保養になる。ギャラリーでは羽永光利の写真展を開催中。羽永さんは60年代の前衛芸術の現場に密着していた写真家で、ぼくも80年代前半にしばしばお会いしたが、ずんぐりむっくりの体型で脚を引きずりながらカメラを抱えて歩く姿には畏敬の念を覚えたものだ。1933年生まれというから、ネオダダの連中とほぼ同世代。その後お会いすることもなくなったが、99年に亡くなられたという。写真は60~80年代の200点を超すモノクロ(一部カラー)を、「前衛芸術」「演劇」「舞踏」「世相」に分けて展示。瀧口修造、西脇順三郎、志水楠男、針生一郎、東野芳明、中原佑介、ジャスパー・ジョーンズ、吉村益信、篠原有司男、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之、工藤哲巳、磯崎新、蜷川幸雄、唐十郎、土方巽、麿赤児など、前衛の季節を生きた芸術家たちが活写されている。女性がきわめて少ないのは羽永さんの恥じらいゆえか。

2016/08/03(水)(村田真)

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