2019年10月15日号
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artscapeレビュー

2011年12月01日号のレビュー/プレビュー

チョイ・カファイ『ノーション:ダンス・フィクション』

会期:2011/011/07~2011/11/08

シアターグリーン BOX in BOX THEATER[東京都]

シンガポール出身のマルチ・クリエイター、チョイ・カファイによる、工学的デモンストレーションにしてパフォーマンス作品。筋肉の動きを、電極を介してデータ化し、データをダンサーに「インプラント」するというチョイ・カファイのアイディアは、プレゼンテーションを聞いているだけでもわくわくさせると同時に「眉唾」な気持ちにもさせられる。とりわけ、デモンストレーターとして参加している北欧のダンサーが電極を体中に付けて、その刺激によって20世紀の代表的なダンスを踊るという場面に「そんなことができたらすごいことだ」と思わされてしまうのだけれど、デモンストレーターの踊りが、電極によって踊らされているのか、自分で踊ってしまっているのかが判然とせず(いや、明らかに後者に見えてしまい)、信用がもてない(タイトルに「フィクション」とあるのだから、弁解ずみと見るべきか)。それでも、パフォーマンスとして面白く見てしまったのは、そもそも「科学」と「奇術」は近接していたはずだし、19世紀から20世紀にかけて娯楽の殿堂ではしばしば、ダンサーを介した科学的奇術が行なわれていたわけで、そんないにしえのショーを思い起こさせられたからだ。いや、こうしたシステムが実現する未来はそう遠くないのかもしれない。「そのときダンスは一体どうなるのだろう」などと空想を喚起する力こそ本作の魅力のはずで、科学は奇術だったと嘆息させられたというよりは、奇術が科学になる可能性を垣間見せられたパフォーマンスだった。

ノーション:ダンス・フィクション

2011/11/07(月)(木村覚)

谷内薫 作品展III

会期:2011/11/08~2011/11/27

arton art gallery[京都府]

櫛目を入れた粘土板をひねって、貝や木の葉を思わせる形状の陶器、オブジェを制作する谷内薫。初個展以来ハイペースで活動を続けている彼女だが、ここ1年で明らかに洗練度が増している。初期作品は生々しい有機性が際立っていたが、近作では生命感とエレガンスがちょうどいいバランスで融合するようになったのだ。オブジェと器、工芸とアートなど、複数の領域を包含する独自の造形が、徐々に結実しつつあるのだろう。

2011/11/08(火)(小吹隆文)

山添潤 彫刻展

会期:2011/11/08~2011/11/20

ギャラリー揺[京都府]

石彫の新作・近作を出品。山添の特徴は、完成形を目指して造形するのではなく、素材との対話を通じて徐々に形が出来上がることだ。それゆえ作品には深い思念が感じられ、時間をかけて観賞するほど豊かな実りを得ることができる。そんな山添だが、新手法の模索も怠ってはいない。作品全面に黒のアクリル絵具を塗り、ワイヤブラシで削り取ることでメタリックな質感を得るなど、新作には幾つかの新しい試みが見られた。大転換はしないが、小さな進化を着実に重ねていく。それが山添流なのかもしれない。

2011/11/08(火)(小吹隆文)

DOMA秋岡芳夫展─モノへの思想と関係のデザイン

会期:2011/010/29~2011/12/25

目黒区美術館[東京都]

デザイナー秋岡芳夫(1920~97)のデザイン活動を振りかえる展覧会。目黒区美術館は2009年から秋岡家に残された資料の調査を行なっており、今回の展覧会はその成果である。展覧会では秋岡の仕事を年代順に紹介する。童画家、工業デザイナー、生活デザイナー、木工家、プロデューサー、道具蒐集家など、多彩な活動を行なった秋岡であるが、それらを平行して行なっていたというよりは、年代によって活動の内容が変化しているようだ。この変化は彼の関心の変化ではなく、活動の背景にある思想は一貫しており、それを実体化させるための手段を模索してのことと考えられる。戦後すぐには童画やおもちゃを手掛け、1950年代からは工業デザインの仕事に携わる。1953年からは金子至、河潤之介とともに工業デザイングループKAKを立ち上げてカメラや露出計などのデザインを行なう。60年代には学習研究社の雑誌『科学』の実験教材や学習ドリルを手掛けている。1969年にKAKを離れ、70年代からはものづくりそのものよりも思想、提言活動に傾斜し、地方の工芸におけるコミュニティ生産方式の実践を行なう。また手仕事と密接に関わってきた伝統的な道具の蒐集にも力を入れた。秋岡が蒐集した道具は北海道・置戸町に寄贈され、今回の展覧会にも一部が出品されている。会場1階には秋岡の仕事場が再現されているほか、晩年に制作に熱中したという竹とんぼ2,000点が展示されている。
 1970年代に入ってからの秋岡の変化は、著書『割りばしから車(カー)まで』(柏樹出版社、1971)の副題「消費者をやめて愛用者になろう!」、あるいは自身に冠した肩書き「立ちどまった工業デザイナー」に象徴されよう。企業側の一方的な都合、コストや素材による制約で決まるお仕着せのデザインをただ消費するのではなく、自らが欲するものを考え、可能ならば自ら生産し、それができないならば職人の手を借りてつくり、それを長く愛用しようと訴える。デザイナーは、大量生産・大量消費に与するデザインを止める。他方で良いデザインが価値を認められて売れるためには、良いデザインを知る消費者を育てる必要があると秋岡は考え、啓蒙活動を行なったのである。その秋岡のいう良いデザインとは、「関係のデザイン」であろう。『デザインとは何か』(講談社現代新書、1974)においても繰り返されているのは、ヤカンと魔法瓶の関係である。それぞれが別々のメーカーによってデザイン・製造されているために、互いの容量がまちまちであり、湯を沸かすための燃料が無駄になっていることを秋岡は指摘する。これは一例に過ぎないが、互いに影響を与え合い、相互に機能を補完して生活を成立させるはずのモノが、その関係性を無視してデザインされ、結果として使い勝手が悪くなったり、無駄を生じさせている現実を秋岡は憂う。テレビの裏面やエアコン室外機の醜悪さを指摘し、「裏側にもデザインを」と提言する。一手間を掛ける余地を残した半加工食品や組み立て式の家具を讃える。「関係のデザイン」は製品の価格や売り方にまで及ぶ。漆の碗は高いものでも安いものでも耐久年数を考慮すると1日当たりの「使用料」は同じであり、ならば高くても使って気持ちのよいものを求めよと説く。使い方を見せる展示方法の提案は売り方のデザインである。いま私たちの周囲を見渡してみると、生活とデザイン、作り手と使い手の関係に対する秋岡のさまざまな提言が着実に実現されてきたことを感じる。
 山下三郎(東北工業大学名誉教授)、山中俊治(インダストリアルデザイナー、慶應義塾大学教授)、向井周太郎(武蔵野美術大学名誉教授)ら、秋岡芳夫と関わりのある人々が寄稿している図録も充実している。また、展覧会に合わせて『割りばしから車(カー)まで』『竹とんぼからの発想──手が考えて作る』が復刊ドットコムによって再版された。図録を読み、著書を紐解き、秋岡の言葉を噛みしめながら再び訪れたい展覧会である。[新川徳彦]

2011/11/09(水)(SYNK)

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ルキノ・ヴィスコンティ『ベニスに死す』

会期:2011/010/01~2011/11/11

テアトル梅田ほか[大阪府]

イタリア・ネオリアリズム映画の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督(1906-76)の代表作のひとつ『ベニスに死す』(1971年、イタリア・フランス、131分)がニュープリント版となって上映された。ドイツの文豪パウル・トーマス・マンの同名小説を映画化した作品で、主人公のモデルとなったのはロマン派の作曲家グスタフ・マーラーだと言われている。物語は単純で、静養のためベニスを訪れたドイツの大作曲家が滞在先のホテルで出会った美少年に究極の美を求めるという話。出身は貴族、青年時代は熱心なコミュニスト、晩年は耽美主義者と言われたヴィスコンティ監督と彼の映画を一言で定義するのは難しい。ヴィスコンティ研究者でさえも彼の映画の核心を掴み取ることは容易ではないと言うほど。本作はヴィスコンティの晩年の作品で、晩年の傑作という讃辞と、無味乾燥で退廃的という批判を同時に受けた。どちらにしろ、老巨匠がくれた荘厳なまでに美しい画面を楽しめるのは幸運なことではないか。[金相美]

2011/11/09(水)(SYNK)

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