artscapeレビュー
2011年12月01日号のレビュー/プレビュー
チャールズ・ホーム『チャールズ・ホームの日本旅行記──日本美術愛好家の見た明治』
チャールズ・ホームは、一般的な知名度は高いとはいえないけれども、19世紀後期の英国および西欧におけるジャポニスムに寄与し、日本の美術・工芸を広く知らしめた立役者である。彼は、19世紀末に大きな影響力をもった美術雑誌『ステューディオ』の創刊者であっただけでなく、日本美術・工芸品の輸入業を営んだ経歴をもち、ロンドンの日本協会の創設メンバーでもあった。さらに、一時は、ウィリアム・モリスの旧居《レッド・ハウス》に住んでいた人物でもある。本書は、ホームが1889年に、アーサー・L・リバティ(リバティ百貨店の創設者)と妻エマ、画家アルフレッド・イーストと共に、日本を訪れた際の日記である。リバティ夫人の撮影した記録写真に加え、リバティによる解説文も収録されている。本書では、ホームの観察眼が如何なく発揮された闊達な文章のみならず、彼の人的交流の多彩さが魅力となっている。登場するのは、建築家ジョサイア・コンドル、東京美術学校の創設者アーネスト・フェノロサ、商人トーマス・グラヴァー、著述家としても活躍したフランク・ブリンクリー大佐、日本側では佐野常民、大隈重信ら政府高官、美術商の林忠正、等々。明治日本の近代化に影響力をもち、尽力した主要人物たちと交遊している。ホームの諸活動は、同時代に来日した日本研究家たち──例えばクリストファー・ドレッサー、エドワード・モース、ウィリアム・アンダーソン、フェノロサなど──の著述・旅・日本品コレクションの様相と並行して考え合わせれば興味深い。ホーム資料の今後ますますの調査解明が期待される。[竹内有子]
2011/11/19(日)(SYNK)
冬のぬくもり、エコ暖房──湯たんぽ
会期:2011/010/30~2011/12/18
大田区立郷土博物館2階展示室[東京都]
夏に引き続いて、この冬も節電が求められている。夏場であれば、冷房を使わない、温度を高めに設定するなど、節電の手段もわかりやすかったが、冬場はどうであろうか。巷間では秋に入ってから、旧式の灯油ストーブが良く売れているという。天面にはヤカンや鍋を置くこともできて、暖房と同時に調理に必要なエネルギーも節約できる。そして大幅に売れ行きが伸びているもうひとつの商品が湯たんぽなのだそうだ。国内における2010年の湯たんぽ生産量は94万個。ところが今年は東日本大震災以後、4月から6月までのあいだにすでに70万個が生産されており、昨年の倍以上の湯たんぽを生産しているメーカーもあるという(『朝日新聞』2011年8月19日朝刊)。
というわけで、本展はたいへんタイムリーな企画である。展示品には日本の湯たんぽばかりではなく、中国、欧米のものもある。金属製のものもあれば、陶製、プラスチック製、ゴム製まである。私は陶製の湯たんぽに戦時中の金属代用品とのイメージを抱いていたが、歴史的には陶製の普及が先行し、従来より砲弾型、かまぼこ型の製品がつくられていたという。陶製湯たんぽは現在でも岐阜県・多治見でつくられており、2007年頃から原油高の影響もあって需要が伸び、また遠赤外線効果があることもあって、近年再評価されているのだそうだ。湯たんぽといえば、金属製、楕円形で波型のものが代表的な形であろう。今回の企画に湯たんぽの歴史に関する考察とコレクションとを提供している濱中進氏によれば、そもそもこの型の起源は大阪の浅井寛一氏が考案した「浅井式湯婆」(大正3年実用新案出願、大正4年登録)なのだという。トタンという薄い鋼板を用いつつ強度を保つために波型が付けられたのである。それ以前の金属製湯たんぽは、陶製と同様のかまぼこ型が主流であったものが、金属製波型の製品が普及してからは、今度は陶製湯たんぽが、構造上の問題がないにもかかわらず金属製湯たんぽの形状を模倣することになる。デザインの変遷におけるこのプロセスはとても興味深い。
ゴム製の湯たんぽについて、濱中氏はアメリカの通販会社モンゴメリー・ウォード社やシアーズ・ローバック社のカタログまで調査しており、1895(明治28)年のカタログにはすでに掲載されていることを突き止めている。ゴム製湯たんぽは水枕と似ているが、氷を入れる必要がないので水枕よりも口が狭く、口栓がネジ式という違いがある。ちなみに湯たんぽを英語では「hot water bottle」という。調べてみると、日本の新聞でも1927年にはダンロップ製湯たんぽの広告を見ることができる(『読売新聞』1927年10月7日)。ただし、翌1928年の同紙記事「湯たんぽ──値段特質調べ」(同、1928年11月15日)には、金属製と陶器製のみが取り上げられていることからすると、ゴム製は一般的ではなかったのかも知れない。
展示にも図録にも、ほとんどの場合年代が示されていないのが残念であるが、おそらく特定が困難なものが多いのであろう。それでも、フルカラー120ページの図録は湯たんぽ研究本として本邦唯一無二のもの。湯たんぽ愛好家ならばぜひとも入手されたい。[新川徳彦]
2011/11/20(日)(SYNK)
尹熙倉:龍野アートプロジェクト2011「刻の記憶 Arts and Memories」
会期:2011/011/18~2011/11/26
聚遠亭(藩主の上屋敷)[兵庫県]
古い醤油蔵と龍野城、聚遠亭(藩主の上屋敷)の三カ所で現代美術のインスタレーションが行なわれた「龍野アートプロジェクト2011『刻の記憶』」。場所が持っていた古い記憶を呼び覚ますように、生ける現代としてのアートが静かな煌めきを放つ展示は、連日数百人を超えた観客の心を魅了した。本レビューではデザインの視点から、聚遠亭の茶室における尹熙倉(ユン・ヒチャン)のインスタレーションを採り上げたい。
尹は、陶や土を焼いて出来る「陶粉」を顔料のように用いて、絵画や立体を手がける。彼はまた、「四角」のかたちにこだわり、今回も数寄屋風の茶室のそこかしこに大小の白い、四角いオブジェが置かれた。陶で出来た原初的な幾何学形のオブジェは無機的なものに違いないのだが、これらの四角いオブジェはまるで生き物としてそこに「居る」かにみえる。遥か昔からこの茶室に住み着き、そこに静かに座し続けているかのようだ。
この感覚は、ひとつには、陶という素材がもたらすものではあろう。陶芸家が茶碗を一個の生ける者のように愛でることはそれを明示する。だが、尹のオブジェが茶室にあって発する有機性の所以はおそらくそれだけではないだろう。茶室の「数寄」の造作もまた、このオブジェたちを息づかせる要因である気がする。
尹が「四角」にこだわるのは、それが自然界に存在しないかたち、つまり、人工物だからだという。数寄屋書院造りもまた、「四角」をモジュールとする建築デザインであり、内部の意匠も土壁や朽ちた床板等を意図的に組み合わせたものである。実のところ、聚遠亭の茶室の意匠は、尹のオブジェの存在によって、オブジェがないときよりもいっそう輝きを増したかにみえた。つまり、オブジェの「四角」の人工美は、数寄屋の幾何学の人工美を引き出す触媒として作用しているのである。
他方、白い、四角いオブジェたちは、数寄屋の空間においては明らかに異質な存在である。この異質さは、茶室に突然入ってきた人があたりに生じさせる異質さを想わせる。すなわち、もし尹のオブジェが息づいてみえるのだとしたら、それは、われわれがこのオブジェに、人間という異質なものの存在を重ね合わせるゆえのことではないか。このように考えると、インテリアというのは、それだけでは完結せず、人間や物のような異質なものの介入や存在があって初めて本領を発揮するのだという原点に気づかされる。尹のインスタレーションは、それを造形的にも象徴的にも示唆する洗練に満ちていた。[橋本啓子]
2011/11/20(日)(SYNK)
プレビュー:高島屋創業180周年記念 森村泰昌 新作展「絵写真+The KIMONO」
会期:2011/12/28~2012/01/10
大阪高島屋 6FギャラリーNEXT[大阪府]
昭和4年に日本画家の北野冨恒が描いた《婦人図》は、高島屋のポスターに登用され当時大変な評判を集めた。森村は、それらの作品をテーマにポートレイト作品6点を制作。彼がデザインした構成主義風の着物と共に展示するのが本展である。既に今年夏に東京で開催されているが、関西では初お目見えなので期待が高まる。森村の作品を百貨店で見るのは初めてなので、その点も興味深い。
2011/11/20(日)(小吹隆文)
ほうほう堂『ほうほう堂@緑のアルテリオ』
会期:2011/011/24~2011/11/27
川崎アートセンター アルテリオ小劇場[神奈川県]
ほうほう堂(新鋪美佳+福留麻里)が美術作家・淺井裕介と映像作家・須藤崇規とつくった本作は、三者の力がバランスよく発揮された傑作だった。淺井のマスキングテープによる植物や小動物が建物のあちこちに描かれ、それは通路階段や舞台の床面にも展開されている。生命の息吹に取り囲まれたような気分で待っていると、ほうほう堂の小さな二人が登場。彼女たちの、ふわっと軽快で自意識を感じさせない振りは、ときにユニゾンになりときに別々になり、まるで二匹の小動物のようだ。しかし、本当に驚いたのはここから先。二人が舞台から姿を消す。すると舞台奥の巨大なスクリーンに舞台脇の通路が映され、そこに二人はあらわれた。リズミカルな音楽に合わせたり外したり、映像の二人が躍動することで、舞台に穴が穿たれ、それによって、あちこちうごめく「生命の力」とでもいいたくなるなにかが感じられた。その後の、ほうほう堂が踊る映像の上に淺井がライブで動物のかたちや線とか点とかを重ねていくシーンも美しく、ある種の絵本のようにダイナミックだったけれども、なにより圧巻だったのはラストシーン。ほうほう堂の二人が三階のカフェスペースに観客を誘い、しばしそこで観客のなかに分け入って踊ったかと思いきや、建物を飛び出し、外で踊り出す。すると、舗道にはアニメーションが映写され、アニメの樹木や鳥たちとほうほう堂が絡まり合った。このシーンは、それまでのイメージが劇場空間をはみ出し、日常に奔出したかのようで、それはそれは素晴らしく美しい光景だった。二人が街灯に手をかけるとまるで映画『雨に唄えば』のよう。その瞬間は確かに、日常空間を空想で染めるミュージカルの魔法に匹敵するなにかだった。劇場の外で踊りそれを映像に収めるという、近年ほうほう堂が行なってきた試みが、こんな空想的なイメージの重なり合いへと結実するなんて! 感動しました。
2011/11/25(金)(木村覚)