artscapeレビュー
2013年02月01日号のレビュー/プレビュー
プレビュー:津上みゆき展 View─まなざしの軌跡、生まれくる風景
会期:2013/02/02~2013/02/24
一宮市三岸節子記念美術館[岐阜県]
一貫して《View》と題した風景画を描き続けている津上みゆきが、大規模個展を開催。彼女は日々スケッチを描いており、目に映る情景のなかから心が呼応したものを絵画作品へと昇華させる。本展では、大原美術館のアーティスト・イン・レジデンスで描いた200号4点の《View-“Cycle”26 Feb.,-10Apr.,05》や、国立国際美術館所蔵の200号《View-at11:15a.m. 30 Mar.,06-09》、個人の特別な日に思いを馳せた《View-13 thoughts,2010-12》、そして本展のための500号の新作など約60点を出品。彼女自身、美術館での個展は初めてであり、力の入った展示が見られそうだ。
2013/01/20(日)(小吹隆文)
プレビュー:渡部雄吉 写真展「張り込み日記」
会期:2013/02/02~2013/03/03
GALLERY TANTO TEMPO[兵庫県]
1958年に実際に起こった殺人事件の取材を許された渡部は、2人の刑事に張りついて捜査状況を取材した。その作品は、ドキュメントでありながらフィルムノワールの趣を併せ持っており、すこぶる魅力的だ。また、現在の警察がこのような取材を許すとは思えず、今後も類似作品が現われることはないだろう。知られざる存在だった本作が脚光を浴びたのは、2011年のこと。フランスの出版社が写真集を発行し、各地の写真集の賞で最優秀賞を受賞したのだ。今回は、渡部の子息が保存するネガを再点検し、フランスの出版社とは異なる視点から作品を再構成して展覧会を開催。また、写真集の出版も行なう。間違いなく反響を呼ぶであろう注目展だ。
2013/01/20(日)(小吹隆文)
プレビュー:展覧会ドラフト2013 Project'Mirrors'
会期:2013/02/05~2013/02/26
京都芸術センター[京都府]
「展覧会ドラフト」とは、2名の審査員により展覧会企画を選出する公募展のこと。今回は、尾崎信一郎(鳥取県立博物館副館長)と住友文彦(フリーランス・キュレーター)が審査員を務め、稲垣智子(美術家)+高嶋慈(批評家)+多田智美(編集者)による「Project'Mirrors'」を選出した。その詳細は、稲垣智子の作品展を稲垣自身と高嶋がキュレーションして2つの展覧会を行ない、多田がカタログ制作者として展覧会全体にかかわるというもの。異なる立場の3人がひとつの場をつくり上げることで、どのような展覧会が形つくられるのかが興味深い。
2013/01/20(日)(小吹隆文)
プレビュー:PAT in Kyoto 京都版画トリエンナーレ2013
会期:2013/02/23~2013/03/24
京都市美術館[京都府]
デジタル技術の発展等により、技法やジャンルの可能性がますます広がりつつある版画。その一方、技術が進むほどに「刷る」というプリミティブな手法が見直される側面もあるだろう。そんな版画を巡る状況に呼応したのか、新たな版画トリエンナーレが京都で始まることになった。形式は一般公募ではなく、複数のコミッショナーによる推薦制を採用。展示方法も、シリーズ作品やインスタレーション的大作の出品を可能にするなど、柔軟な姿勢が貫かれている。選出された若手・中堅の21作家が、どのようなかたちで版画表現の豊かさを見せてくれるのかに期待したい。
2013/01/20(日)(小吹隆文)
「であ、しゅとぅるむ」展(文谷有佳里のドローイング作品ほか)
会期:2013/01/09~2013/01/20
名古屋市民ギャラリー矢田[愛知県]
美術批評の研究者で同人誌『Review House』の編集も担当した筒井宏樹企画による展覧会は、作家たちにチームを組ませたり制作のプロセスを開示するという縛りだったりを設定することで、展示会場をタイトル通りの「嵐」状態にしていた。作家たちのみならず観客にも開放されたお絵かきスペース(落書きOKの白い紙が通路の両側を覆う)を潜ると、見る者の視界には、つねに複数の作家による作品が重層的に断片的に飛びこんでくる混沌とした情景が広がった。ポスト・カオス*ラウンジのひとつの試みとして読みとりたくなるその景色は、しかし、カオス*ラウンジがpixiv的な環境から生まれていたのとは異なり、現代美術的な環境の反映であることは明瞭であり、その分、作家の技量の強さが際立っていた。それもそのはず、伊藤存、小林耕平、泉太郎、坂本夏子、梅津庸一、大野智史など作家の顔ぶれが強力なのだ。高級食材をふんだんに用いたミンチは、味わうと、それぞれの画力の競演といった様相を呈し、その分、瞬間のインパクトや情報としての強度に作家の力が還元されてしまう気がして「嵐」を生む展示の面白さと難しさを同時に感じた。そんななか、端っこで他の作家と競合することなく、ひっそりと、自力を存分に見せていたのが文谷有佳里のドローイング作品だった。小気味のいいスキャットに踊らされてしまうように、文谷の線は目的なくしかしリズミカルで、延々と続く軽快かつスリリングな運動に目は完全に心を奪われ、その流れに釘付けになってしまった。会場の一角で本人が実際に実演していたのだが、本人の意識とはまるで関係ないかのごとく自由闊達に手が動く様子は、さながら夢遊病者のよう。線の運動にグラフィティとの近さを感じる。いや、なにかになぞらえるなら、これは紙上のダンスだ。身体表現のダンスと異なり、花火みたいに瞬時に消えてしまうことなく、紙の上ならば運動の情報は堆積しているのだし、あるいは濱野智史のインターネット情報論(『アーキテクチャの生態系』)に重ねてみるならば擬似的に同期しているわけである。そうした利点を有すドローイング=ダンス。ドローイング以上にダンスを考えるヒントをもらった気がした。文谷は3月開催のVOCA展2013にも選出されているのだという。その展示にも期待が膨らむ。
2013/01/20(日)(木村覚)