artscapeレビュー

2014年12月01日号のレビュー/プレビュー

JAPAN ARCHITECTS 1945-2010/3.11以後の建築

会期:2014/11/01~2015/03/15/2014/11/01~2015/05/10

金沢21世紀美術館[石川県]

2004年の開館から10周年を迎えた金沢21世紀美術館。同館が10周年記念企画に選んだのは、1945年から2010年に至る日本の建築をテーマにした「JAPAN ARCHITECTS 1945-2010」と、東日本大震災以後の建築の動向を伝える「3.11以後の建築」だった。ポンピドゥー・センター副館長のフレデリック・ミゲルーがキュレーターを務めた「JAPAN ARCHITECYS~」は、時間軸に沿って区分した6セクションから成り、それぞれにカラー・コード(色彩による性格付け)が付与されている。展示品は図面と模型が中心で、当時制作されたオリジナルを可能な限り揃えた点に価値がある。100名以上の建築家に取材し、300点以上の作品が揃う、重厚かつ見応えのある展覧会だった。本展を機に建築資料の価値が向上し、アーカイブ化の機運が高まることを期待する。一方、「3.11~」は建築史家の五十嵐太郎とコミュニティ・デザイナーの山崎亮をゲスト・キュレーターに招いた企画で、東日本大震災以後の建築界で起こった新しい潮流(環境やエネルギーへの配慮、クライアントや地域住民との関係性、地域資源の見直し、建築家の役割の変化など)を7つのキーワードと25組の建築家からひも解く企画だった。インスタレーション、映像、テキストを多用しているのが特徴で、フィールドワークの調査報告といった趣である。そこから窺えるのは、巨匠建築家が先導するトップダウンの時代から、建築家と地域住民が協同してコミュニティをつくり上げるボトムアップの時代へと変化する建築の姿であった。ただし、本展が提唱する新しい建築像は、現実の建築業界ではマイナーな存在であり、あくまでも先端的・予見的な企画である点に留意が必要である。

2014/10/31(金)(小吹隆文)

とびだす/うつわ 桝本佳子の世界

会期:2014/10/25~2014/11/30

たつの市立龍野歴史文化資料館[兵庫県]

陶芸における器と装飾の関係をテーマにした独創的な作品で知られる桝本佳子。彼女が、生まれ故郷の兵庫県たつの市で大規模な個展を開催した。桝本の作品には幾つかのタイプがある。ひとつは、《ガードレール/壺》など、装飾が器から飛び出す、外部から突き抜けるなどした作品、もうひとつは《壺/城》など、モチーフの形態が壺のアウトラインに沿って削られ、器の内と外が逆転してしまったかのような作品、そして《瓢箪壺》など、装飾モチーフを立体化した後、強引に器の形に圧縮する「圧縮紋」と名付けられたシリーズだ。本展ではそれらの作品20点が展示されただけでなく、会場の所蔵品から選ばれた、絵画、地図、民芸品などを一緒に並べ、双方を比較、あるいは見立てを行なう趣向も盛り込まれた。彼女の作品は一見ゲテモノじみているが、陶芸史への意識的な問いかけという点で好感が持てる。なお本展は、同時期に同地域で開催された「龍野アートプロジェクト2014」と連携した企画展である。

2014/11/01(土)(小吹隆文)

英国叙景──ルーシー・リーと民芸の作家たち

会期:2014/10/11~2015/01/04

アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]

大山崎山荘美術館は、かつて、実業家、加賀正太郎(1888-1954)の私邸であった。加賀本人の設計で30年もの月日をかけ山野を開拓して建てられたという。所蔵コレクションである濱田庄司ら民芸運動の作家たちの作品も、建物同様彼の遺産である。同館では「英国叙景──ルーシー・リーと民芸の作家たち」展が開催されているが、今回とくに目を奪われたのは関連展示「加賀正太郎と『蘭花譜』」である。
 加賀が学生時代にわたった英国で出会い、帰国して自らの手ではじめた蘭花の栽培は、その後、彼の終生の趣味となった。山荘に温室をつくり、英国から蘭を輸入し、ときにはインドネシアやフィリピン、ボルネオ、インドへと蘭の生態調査に出かけ、より美しい優良種を求めて人工交配による品種改良に励んだという。蘭栽培とはまったく贅沢で高尚な趣味である。その最たるものが版画集『蘭花譜』であろう。木版画83点、カラー図版14点、単色写真図版7点の104点で構成された本譜は、1946年に300部限定版として第一輯が自費製作された。本展ではそのなかから木版画を中心に20点ほどが展示されている。原画は当時無名画家であった池田瑞月が、木版の彫刻は大倉半兵衛が手掛け、摺師は大岩雅泉堂であった。学術的記録という当初の目的を超えて、「古来の浮世絵中実に希有」★1とまで制作を指揮した加賀本人をして言わしめたというのもうなずける出来映えだ。たとえば葛飾北斎の花鳥版画と比べれば、モチーフが蘭だけにバタ臭さはぬぐえない。描写はただ写実的かつ緻密なばかりで、色彩の陰影は切れを欠く。しかしだからこそ、不思議なバランスの構図や背景のうっすらとした奥行きがかえって際立ち、画面全体から和とも洋ともつかない不思議な存在感が浮かび上がってくる。訪れるたびに独特のたたずまいに惹かれる山荘美術館、その魅力の奥深さを垣間みる思いがした。版画集『蘭花譜』は、2012年には当時の版木を用いて再摺し復刻されている。[平光睦子]

★1──加賀正太郎『蘭花譜──天王山大山崎山荘』(同朋舎メディアプラン、2006)72頁。

2014/11/01(土)(SYNK)

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色鉛筆の画家 吉村芳生 最期の個展

会期:2014/10/15~2014/11/03

アスピラート防府[山口県]

昨年12月に急逝した吉村芳生の遺作展。吉村が生まれ育った山口県防府市での大規模な回顧展でもある。代表作とも言える新聞紙の自画像シリーズをはじめ、フランス滞在中に描かれた《パリの自画像》、野花を色鉛筆で精確に描写したシリーズなど、新旧の作品から吉村の画業を振り返る、充実した展観だった。
とりわけ印象深かったのが、会場の終盤に展示されていた《コスモス(絶筆)》である。大きな画面に色鮮やかなコスモスが描かれているが、右端からちょうど五分の一ほどが白いまま描き残されているのだ。ここには画面の左側から描き始めていた吉村の制作手順が図らずも露わになっていたのと同時に、制作途中に絵筆を置かねばならなかった吉村の無念が立ち込めていたように思われた。たとえ自画像を描いていなくとも、そこに吉村の自我意識を見出してしまう。それほど吉村の作品には、作者の強力な自我意識が直接的に反映しているのである。
例えば晩年のパリ時代に描かれた自画像には、明らかに閉鎖的な自意識が伺える。いずれも表情に乏しく、眼球の力だけがやけに鋭い。パリの空気がよほど体質に合わなかったのだろうか、苦しまぎれに自らをキャラクター化したような自画像もある。心の内側で悶絶しながらも毎日絵筆を握り続けた吉村の姿が眼に浮かぶのだ。
吉村芳生の真骨頂が対象を「転写」すると言ってもいいほど精確に描写する技術、すなわち超絶技巧にある点は、言うまでもない。けれども、その根底には「私」を徹底して即物的に観察する冷酷な視線と、結果として浮き彫りにされる「私」をよくも悪くもすべて曝け出す胆力があることは、改めて指摘しておきたい。この2つの特質は、同じように「私」に拘泥する昨今の若いアーティストたちの作品に決定的に欠けているからだ。
裏返して言えば、そのような特質があってはじめて、「私」の野放図な表出は、他者の「私」と共振するのではなかったか。吉村芳生が遺したのは、若者たちにとってはきわめて過酷な道のりだが、吉村に続き、吉村の先を歩んでゆく者が現われる日を待ちたい。

2014/11/02(土)(福住廉)

木津川アート2014 百年の邂逅

会期:2014/11/02~2014/11/15

木津川市の近鉄高の原駅、山田川駅、JR西木津駅周辺[京都府]

昨今は、いわゆる「地域アート」が隆盛しており、全国で無数の地域アート・イベントが開催されている。一方、文芸評論家の藤田直哉が『すばる』10月号で「前衛のゾンビたち─地域アートの諸問題」と題した論考を発表するなど、地域アートへの批判的見解も見受けられるようになってきた。筆者自身も現状は供給過剰だと思う。独善的な思い入れや安易な思惑だけで実施されているイベントは淘汰され、地域住民と確かな関係を結び、草の根レベルで共感を得ているイベントのみが生き残るだろう(行政の理解と長期的な支援も必要だが)。その点「木津川アート」は、年々地域住民の共感が増している良質な地域アートと言える。このイベントは毎年木津川市内の異なる地域で開催されているが、それゆえ各地域の市民が交流・融和する場として機能しているのが興味深い。今年の会場は私鉄沿線のニュータウンと、伝統的な集落という、隣接する対照的な地域であった。丘陵地帯を隔てて激変する環境を、美術作品がしっかり結んでいたと思う。決して大規模なイベントではないが、着実に育てて行けば、きっと木津川市の財産になるだろう。

2014/11/02(日)(小吹隆文)

2014年12月01日号の
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