artscapeレビュー
2014年12月01日号のレビュー/プレビュー
河北秀也 東京藝術大学退任記念「地下鉄10年を走りぬけて──iichikoデザイン30年展」
会期:2014/11/13~2014/11/26
東京藝術大学大学美術館[東京都]
営団地下鉄(現・東京メトロ)のマナーポスター、焼酎いいちこ(三和酒類)の仕事で知られる河北秀也氏(アートディレクター・東京藝術大学教授)の退任記念展。
藝大美術館3階のエレベーターホールから会場に入ると、正面は地下鉄車両を模した細長い展示室である。じっさいに日比谷線の車両を採寸してつくったのだそうだ。この「地下鉄」の「車窓」には河北氏が1974年から10年余にわたって手がけた営団地下鉄のマナーポスターシリーズが貼られ、窓の内側の展示台には「いいちこ」の雑誌広告の実物やパッケージ、学生時代に手がけた「いちごみるく」(サクマ製菓)のパッケージなどが並ぶ。「窓上」や「中吊」にも鉄道広告を模したかたちで過去の仕事が紹介されている。「地下鉄車両」を抜けた先は1984年4月から始まったいいちこのポスター。展示室の奥ではそのテレビコマーシャルが流れ、『季刊iichiko』のバックナンバーなどの書籍が読めるコーナーが設けられている。国立大学教授の退任記念展としては驚くほど凝ったしつらえは、いいちこの醸造元である三和酒類の協賛、東京メトロの協力を得て実現したという。
マナーポスターシリーズは「パロディ広告の元祖」とも呼ばれ 、ユーモアのあるヴィジュアルやコピーはその意図するところが一瞬で記憶に残るデザイン。これに対して、いいちこのポスターは外国の風景の中に、探さなければわからないほど小さくいいちこの瓶が写っている。1枚だけのポスターを見ても、何を訴えているのかすぐにはわからない。一つひとつが見る人にインパクトを与えたマナーポスターと、30年間ほとんど変わらないスタイルで静謐なイメージを送り出し続けているいいちこのポスター。表面的にはまったく異なるスタイルのポスターシリーズが同一のアートディレクターの手によって生み出されてきたのはとても不思議に思われる。しかし河北氏のポスターの仕事にはいずれも共通する点がある。そのひとつがポスターというメディアの持つ特性に対する深い洞察である。すなわち「ポスターは現代では弱いメディアである。しかしデザインによっては強いシンボル効果をはたす」という河北氏の言葉 を振り返るならば、弱いメディアを弱いままにするのではなく、そこからどのように最大限の効果を引き出し得るのかいう課題の追求が起点にあるという点においていずれの仕事にも一貫した姿勢を見ることができるのだ。マナーポスターは駅でポスターを見る人に訴えるばかりではなく、メディアで話題になることで掲出されたポスターの何倍にもなる相乗効果をもたらした。いいちこポスターは掲出量は多くないが、長い時間をかけて商品のブランドイメージをつくりあげていった。結果的にいいちこの発売前に年間売上が3億5千万円だった会社は拡大を続け、2004年の最盛期には587億円を売り上げるメーカーに成長した。商品が認められたことは言うまでもないが、ポスターそのものも話題になり、人々の記憶に残るものとなっているという点も両者に共通している。デザイナーとしてのスタイルは表現ではなく、発想のプロセスにあるのだ。余談であるが、三和酒類では河北氏がつくるポスターやCMを事前に見ることがなく、駅に掲出され、テレビで放映されて初めてその内容を知るという。会社はものづくりに徹して内部に広報部門を置かない 。クライアントとデザイナーとの対等な関係が長期にわたるキャンペーンの背景にある。
焼酎業界において長らくトップの座を占めていたいいちこの売上は2004年をピークにこの10年間で100億円ほど減少し、2012年にはトップの座を「黒霧島」(霧島酒造)に奪われている 。いいちこが作りあげていった新しいマーケットに他のメーカーが並び立つようになったときに、はたしてデザインの戦略は変わるのだろうか。河北氏はすでに三和酒類「日田全麹」のCMにおいて従来のいいちことは異なる日本的なイメージを用いている。2013年にはゴールデンボンバーの楽曲を音楽に採用。三和酒類は2014年11月には新商品「空山独酌」を発売し「日田全麹」をリニューアルした。さて、いいちこそのもののブランディングはこれからどのような展開を見せることになるのだろうか。[新川徳彦]
2014/11/14(金)(SYNK)
赤瀬川原平の芸術原論──1960年代から現在まで
会期:2014/10/28~2014/12/23
千葉市美術館[千葉県]
2014年10月26日、赤瀬川原平が亡くなった。10月18日からは町田市民文学館ことばらんどで「尾辻克彦×赤瀬川原平──文学と美術の多面体展」が始まったばかりであった。しばらく前から体調が優れないことは伺っていたがとても残念である。ことばらんどの展覧会も、千葉市美術館での展覧会も、結果的に赤瀬川原平の活動の軌跡をたどる追悼展になってしまった。
ひとことで言い表わすことが不可能なほど多彩な活動を行なった赤瀬川氏の仕事をどのように紹介するか。この展覧会はその活動をテーマと時系列で11章に分けて追う構成となっている。展示は1950年代武蔵野美術学校で学んだころから始まり、ネオ・ダダと読売アンデパンダンへの出品、高松次郎・中西夏之らと結成したハイレッド・センターの活動から模型千円札裁判を経て櫻画報や美学校での活動、作家尾辻克彦、「トマソン」の発見と路上観察学会、そして晩年の具象絵画への回帰にいたる。なかでも「ハイレッド・センター」と「千円札裁判」はその後の赤瀬川氏の活動を大きく方向付けたものであり、かなりのスペースを割いて作品と資料が展示されている。昨年から今年に掛けて名古屋市美術館と渋谷区立松濤美術館で開催された「ハイレッド・センター──直接行動の軌跡」展でも紹介されたものが多いが、千円札裁判については新聞社に送った内容証明や記者からの返信など、さらに多くの資料が出品されている。仕事のヴォリュームとヴァラエティばかりではなく、写真資料などを通じて紹介されている芸術家、評論家、写真家、漫画家たちとの幅広い交流も興味深い。総数500点を超える作品と資料による充実した回顧展だ。
「自称超前衛派の若い画家」「イラストレーター」「芥川賞作家」。多彩な活動経歴ゆえに新聞記事で赤瀬川氏に付された肩書きもさまざま。私たちが氏に抱くイメージもまた、いつの時代の、どの活動で氏を知ったかによって、異なっていると思う。私の赤瀬川原平初体験は「櫻画報」だったので──とはいえ同時代の体験ではないのだが──、漫画家・イラストレーターのイメージが強かったが、その後に「トマソン」を知り、さらに尾辻克彦と同一人物であると知るにいたって氏が何者なのかわからなくなった覚えがある。本展の展覧会チラシ、図録のデザインがアヴァンギャルド風であるところを見ると、デザイナーは1960年代の前衛活動を赤瀬川芸術の根本に見ていると思われる。路上観察の面白さで氏を知った人たちは、また異なるイメージを抱いているに違いない。赤瀬川原平とは何者だったのか──いまや過去形で語らなければならない──という疑問は、氏を語る人々が必ず抱く問題で、本展図録に寄せられた山下裕二氏によるエッセイのタイトルはまさに「『赤瀬川原平』とは何者か」である。そのなかで山下氏は赤瀬川氏を「よく視る人」と評する。山下氏とのつきあいが始まった時期、「路上観察」から「日本美術応援団」にかけての赤瀬川氏の仕事は、まさに「よく視る」の真骨頂だ。では「よく視る」その視点はどこにあったのだろうか。
本展企画者のひとり、水沼啓和・千葉市美術館主任学芸員の言葉に倣うならば、赤瀬川氏はつねに「野次馬」として自身の周囲を観察していたように思う。すなわち赤瀬川氏は「櫻画報」の「馬オジサン」である。野次馬はつねに出来事の外側にいる。けっして中には入り込まない。前衛芸術の世界にあっては「反芸術」であるが、裁判の場にあっては「芸術」を訴える。漫画にあってはその形式を乗っ取り、新左翼運動を斜に見て運動側も体制側も同等にパロディに仕立てる。美学校では自分を「先生徒」と位置づけ、教える側と学ぶ側を行き来する。「トマソン」は「よく視る」という行為と野次馬的視点が生み出した創造的発見であり、モノが持っていた本来の意味を剥ぎ取り、新たな意味を付与する行為だ。路上観察などのさまざまなグループ活動を生み出したが、けっして会長にはならない。野次馬的視点はエッセイにおいても同様で、氏は出来事の当事者であるにもかかわらず、その視点はつねに外側にあって自身を観察し解釈するのだ。とはいえ、野次馬だからといってつねに遠くの安全地帯からヤジを飛ばしているわけではない。ギリギリまで現場に近づいた結果、意図せず一線を踏み外してしまうこともある。流れ弾に当たることもある。それが模型千円札裁判であり、第二次千円札事件であり、朝日ジャーナル回収騒動だったのではないか。
本展は赤瀬川氏の仕事をテーマに分けたうえで時系列に並べているために、氏の関心が時期ごとに変化しているようにも読めてしまうが、じっさいの仕事や関心は連続し、たがいに絡み合って成立してる。今回の展覧会を手掛かりに一つひとつのテーマを取り出せば、複雑な多面体とも表される赤瀬川氏のまた違った姿が見えてくるに違いない。[新川徳彦]
関連レビュー
2014/11/18(火)(SYNK)
プレビュー:フィオナ・タン まなざしの詩学
会期:2014/12/20~2015/03/22
国立国際美術館[大阪府]
中国系インドネシア人の父とオーストラリア人の母のもとに生まれ、オーストラリアで育ち、現在はオランダのアムステルダムを拠点に活動するフィオナ・タン。映像や映像インスタレーションを手掛ける彼女の作品は、初期においては自身の国際色豊かな「出自」を探究したものだったが、やがて人間のアイデンティティをつくり上げる「記憶」へと移り変わった。タンの初期から近年までの17作品が見られる本展では、彼女が追求してきたテーマの変遷をたどることができる。映像作品なので鑑賞に時間がかかりそうだが、貴重な機会なので見逃すわけにはいかない。
2014/11/20(木)(小吹隆文)
プレビュー:震災から20年 震災 記憶 美術
会期:2014/12/16~2015/03/08
BBプラザ美術館[兵庫県]
1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災から満20年を迎えるにあたり、阪神間の複数の美術館で、震災(2011年の東日本大震災を含む)をテーマにした企画展が行なわれる。それらのなかでも筆者が特に注目しているのが本展だ。出品作家は13人と1組。堀尾貞治、榎忠、WAKKUNなど地元作家を中心としたラインアップである。なかでも、古巻和芳+あさうみまゆみ+夜間工房が2007年の「第1回神戸ビエンナーレ」に出品したインスタレーションの再制作バージョン《掃き清められた余白から 2014》には注目したい。震災の記憶をどのように継承するかはわれわれにとって大きな問題だが、本展をはじめとする阪神間・神戸エリアの企画展は、美術がどのような役割を果たせるかを示す試金石となるであろう。
2014/11/20(木)(小吹隆文)
アダム・クーパー主演『SINGIN' IN THE RAIN──雨に唄えば』
会期:2014/11/01~2014/11/24
東急シアターオーブ[東京都]
この上演作は、ややこしいと言えばとてもややこしい。ミュージカル映画をつくる過程を舞台にした映画がまずあり、それをもとにした舞台ミュージカルである。舞台のミュージカルがトーキー映画の台頭とともに映画のなかに吸収されていった。本作はその過程を映画スタジオではなく舞台の上で描いてゆく。舞台なのか映画なのかで時折目眩を起こしそうになる。いや、舞台に繰り広げられる華々しいパフォーマンスを素直に見ればよいのだ、きっと。ただ、そうは言っても、あの傑作映画のディテールがいちいち心に浮かんできて素直になれない。休憩を挟んで二部構成の本作は、かなりの程度映画に忠実につくられている。映画の名場面では確かに舞台も盛り上がる。あの一番有名な夜の街を傘をささずに唄い踊る場面は、この舞台でも一番の見所になっていて、アダム・クーパーの演じるドンは、びしゃびしゃになった床を蹴り上げる。すると、水しぶきが美しい弧を描いて、最前列の観客を水浸しにする。まるでシャチのショーのように、水しぶきに観客は湧く。踊りはきわめてスマートだ。涼しい顔で水たまりと遊ぶ姿は、ジーン・ケリーのようなユーモアとは別の雰囲気を湛えている。踊りの場はどれもとても洗練されている。とくに印象的だったのは、踊りの統一性だ。澱みのない美しさは群舞のなかでも薄まることはない。ただ、そうしたダンスの力に舞台が支配される分、物語の細部はそれほど重視されない。とくに発音の教師とのコミカルなやりとりで有名な「モーゼス・サポーゼス」のシーンでは、俳優のドンとコズモは、トーキー映画に出演するために発音の再教育を受けなければならず、その境遇に腹を立て、発音の教師に食って掛かる。この場面は、サイレントからトーキーへの移行に際して俳優たちがその変化に苛立ちつつどう対応していったかというこのお話の大きなテーマを語る大事なところだ。しかし、2対1の関係は、あまり強調されずに、しばしば3人は対等な関係になって仲良く踊りの輪をつくってしまう。まあ、息のあった踊りが見られるならばそれで良いよねという意見もあるのだろうし、まあ固いことは言わずに娯楽を楽しみましょうという雰囲気に会場は満ちていたのだが、とはいえその分物語の細部が重視されないのはもったいないのでは?と思わずにはいられなかった。
2014/11/23(日)(木村覚)