artscapeレビュー

2014年12月01日号のレビュー/プレビュー

Akinori UENO Miki eco echo ego

会期:2014/11/04~2014/11/16

GALERIE H2O[京都府]

壁面に2点の絵画がある。1点は植物を描き、もう1点は都市風景を真上から描いたものだ。やがてCG映像とピアノ音楽が始まり、絵画と混ざってファンタジックな世界をつくり上げる。植物には木漏れ日が差し込み、都市風景には無数の光の粒が浮遊する。画面からビルが立ち上がり、光りの雲に覆われたかと思うと、赤い光線が高速で動き回り、2点の絵画を包み込む。やがて壁面全体が光の粒に包まれ、草木がなびく草原へと変化し、再び光の雲に覆われたかと思うと、色鉛筆のような質感の無数の直線が走り、最後は水滴に覆われた画面が崩落して、静寂と共にもとの状態に戻るのだ。絵画と映像と音楽がこの上なくマッチした、4分45秒の小トリップであった。

2014/11/11(火)(小吹隆文)

服部しほりの日本画─か弱き蒼氓ども─

会期:2014/11/08~2014/11/22

蔵丘洞画廊[京都府]

筆者が服部しほりの作品を初めて見たのは、確か2011年の京都市立芸術大学の卒業制作である。その圧倒的な運筆力と、鼻や耳に特徴がある個性的な人物表現、一種異様な世界観に、大層驚かされたものだ。その後何度か作品を見ているが、今回の個展を見ると、彼女の画力はますます充実している。特に腕や足の筋肉の描写が素晴らしい。聞くところによると、相撲部屋の稽古を見学させてもらい、制作に生かしているらしい。また、金屏風に描いた大作が1点あったが、この経験も今後の糧になるだろう。あとは作品の世界観にどれだけ普遍性を持たせられるかだ。今までの作品は確かにユニークだが、そうであるがゆえにひとり語りの印象が強い。たとえば主題や登場人物を美術史とリンクさせるなど、第三者の理解につながる糸口を設けてみてはどうだろうか。

2014/11/11(火)(小吹隆文)

京版画・芸艸堂の世界

会期:2014/10/25~2014/11/30

虎屋京都ギャラリー[京都府]

京版画の老舗、芸艸堂(うんそうどう)は明治24(1891)年に創業した。正確にいえばもう少し以前、明治20(1887)年に本田寿次郎が起こした本田雲錦堂と山田芸艸堂が合併して芸艸堂となった。さらに山田芸艸堂の創業者、山田直三郎はそれ以前に安政年間から続く田中文求堂に奉公していたというから、芸艸堂はまさに京都の手摺木版の正統な継承者といえよう。現在では、手摺木版和装本を刊行する出版社は日本でここ一社だけとなったそうだ。本展には、その芸艸堂の所蔵から神坂雪佳(1866-1942)の《海路》や《百々世草》をはじめ、名物裂を木版画で再現した《あやにしき》など、近代図案集の名作から出品されている。
 展示作品のなかでも、伊藤若冲(1716-1800)の「玄圃瑤華」は拓版という聞き慣れない技法で摺られている。墨を置いた版木に紙をのせてタンポでたたくように摺り上げる技法である。草花に虫類を配し白と黒の二色で構成された端正な画面には浮き彫りのような立体感が現われ、モチーフが硬く重い、錫や鉛のような、光沢感を帯びているかに見える。あわせて展示されている1、2センチほどの厚みの版木には、迷いのない正確さでたっぷりと凹部分が刻まれている。江戸時代の浮世絵と同様に、一枚の版画は、絵師、彫り師、摺師の共同作業によって成り立っていることがありありと伝わってくる。そして、職人たちの身体にいかに磨き上げられ研ぎすまされた感性が息づいていたかを知らされた。[平光睦子]

2014/11/11(火)(SYNK)

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グラフィックデザイン展<ペルソナ>50年記念 Persona 1965

会期:2014/11/05~2014/11/27

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

東京オリンピックの翌年、1965年11月12日から17日まで、松屋銀座において「グラフィック・デザイン『ペルソナ』」と題するグループ展が開催された。参加者は、粟津潔(1929-2009)、福田繁雄(1932-2009)、細谷巖(1935-)、片山利弘(1928-)、勝井三雄(1931-)、木村恒久(1928-2008)、永井一正(1929-)、田中一光(1930-2002)、宇野亜喜良(1934-)、和田誠(1936-)、横尾忠則(1936-)ら、いずれも日宣美出身の11名。名前を見ればわかるとおり、その後の日本のグラフィックデザイン界を牽引していったスターばかり。当時は概ね30代であった。6日間の会期に3万5千人もの来場者があったという50年前のグラフィックデザイン界の「事件」を、そのときに出品された作品で再構成したのが今回の展覧会である。
 展覧会の趣旨はどのようなものであったのか。展覧会の命名者であり当時の図録に序文を寄せた勝見勝は「チームワークと無名の行為を求めつづけられてきたペルソナの人々が、個性の表現を指向しはじめたのも、私にはごく自然な成りゆきと思われます」と書く。ゆえに「この展覧会によって、グラフィックデザイナーの存在が広く社会的に知られることにな」ったと位置づけられる★1。しかし今回の図録に柏木博氏が書いているように、グラフィックデザイン史に残るこの「事件」の詳細には不明なところが多い。なぜこの展覧会が組織されることになったのか。なぜこの11人だったのか。先立つ10年前に組織された「グラフィック55」展からどのような影響を受けているのか。出品デザイナーやその後の日本のグラフィックデザインにどのような影響を与えたのか。
 たとえば、それまで一般に無名であった11人が3万5千人もの観客を集めたのか。それともすでにスターであったから人々が集まったのか。グラフィックデザイナーによれば「最終日にもういちどゆっくり見てみたいと思って出かけたところ、会場の混雑ぶりはラッシュ時の国電なのでアキれてしまった。若い男女がタメ息まじりに押し合いへし合い作品を見つめている有様は、異常な熱気をはらんで、ちょっと恐ろしいほどの光景であった」という★2。出品されている仕事はさまざまで、展覧会のために自主制作されたものもあれば既存の広告ポスターもあるところをみれば、デザイナーによって展覧会に向かう姿勢は異なっていたと推察される。福田繁雄は「ペルソナ展以降は、自分の造形思想に頑固にこだわるように」なったと書いているが★3、他のデザイナーたちはどうだったのか。展覧会を伝える新聞や雑誌の記事には「第1回」と冠されているものがあり、またニューヨーク展が企画されているとの記述が見られるが、第2回展もニューヨーク展も実現された気配はない。とにかくペルソナ展に関する疑問は尽きない。開催から50年を迎えるいま、ペルソナ展の事実と歴史的位置づけ、そして今日的意義はあらためて検証されるべきであろう。[新川徳彦]

★1──本展チラシ。
★2──山城隆一「独特の熱気を生み出した〈ペルソナ展〉とその出品作家」(『アイデア』1966年3月号、65頁)。
★3──福田繁雄『遊MOREデザイン館』(岩波書店、1985)55頁。


展示風景

関連レビュー

ムサビのデザインII デザインアーカイブ 50s-70s:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2014/11/13(木)(SYNK)

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小松原智史 展 エノマノコノマノエ

会期:2014/11/01~2014/12/21

the three konohana[大阪府]

大阪芸術大学在学中の2013年に、「第16回岡本太郎現代芸術賞展」特別賞を受賞した小松原智史。筆者はこれまでに彼の展示を何度か見たことがあるが、いずれも会期中に公開制作を行なう形式だった。公開制作は、有機的フォルムを直感的に描き、増殖させる彼の作風に適している。しかし、本展は画廊空間で完成作品を見せるオーソドックスな個展だ。果たしてどれだけのものを見せてくれるのだろう。期待と不安半々で出かけたのだが、その結果はこちらの期待を軽く上回るものだった。作品は大小さまざまで、最大の作品は極端に横長の画面を天井から円環状に吊るし、円環の内部に入って鑑賞するパノラミックなものである。他には、絵がキャンバスからはみ出て壁面にまで侵食した作品、レリーフ状の作品、半ば立体化した変形画面の小品と、それらを組み合わせた立体作品、そして初挑戦の小品などであった。本展により、小松原は通常の個展でも十分勝負できることを実証した。彼の今後の活躍が非常に楽しみだ。

2014/11/14(金)(小吹隆文)

2014年12月01日号の
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