artscapeレビュー
2015年02月01日号のレビュー/プレビュー
加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2015
会期:2015/01/10~2015/01/18
デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]
画家の加川広重が東日本大震災の被災地を描いた巨大絵画を神戸で展示することにより、阪神・淡路大震災を経験した人々が当時を思い出し、同時に今困難な状況にある人たちと思いを共有しようとするプロジェクト。加川のほか、建築家・宮本佳明の《福島第一原発神社》の展示、写真家・山岸剛の個展をはじめとする写真展、コンサート、ダンス、パフォーマンス、トーク、ワークショップ、朗読、映画上映など多彩なイベントが行なわれた。筆者自身、まさかこれほど大規模なイベントだとは知らずに会場に赴き、その充実ぶりに驚かされた。会場のデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)は、デザインを基軸にした市民の交流と実践と情報発信の場として2012年に開設された施設だが、こうしたプロジェクトの現場として機能しているならつくった甲斐があるというものだ。
2015/01/11(日)(小吹隆文)
布の絵画BORO──美しいぼろ布
会期:2014/10/03
アミューズミュージアム[東京都]
「ぼろ」とよばれる、着ふるされ、擦りきれ、縫いあわされた布の展覧会。青森の民俗・民具研究家、田中忠三郎がおよそ40年間にわたって収集したコレクションからの出品である。「ぼろ」とは、青森の山村、漁村、農村で江戸時代から何世代にもわたって使い継がれてきた布のこと。収集をはじめたのは昭和40年代というから、そこから垣間見えるのはほんの数十年前まであった日本人の衣生活である。
寒冷の地青森では、布はひときわ貴重な生活物資であった。気候上、布になるような繊維は麻しか栽培できない。絹や羊毛はもとより、木綿ですら庶民にとっては容易にえがたいものであった。冬の夜、家族が身を寄せあって裸で包まって寝る夜具「ドンジャ」は、縞柄や型染めのさまざまな布が重ねて継ぎ当てられて、中綿代わりの麻くずとあわせると14キロもの重さになる。座布団やクッション、敷き布団の代わりに用いられた「ボドゴ」。継ぎはぎだらけのその表面には擦りきれて原型を失った布が繊維状になってへばりついている。メリヤスや木綿、毛織物や絹などありとあらゆる布きれが寄せ合わされた肌着は、着る者の体に馴染んでこなれ、まるで一枚の表皮のような生々しい存在感を漂わせている。向こう側が透けて見えるほどに、薄く、柔らかく、くたくたになっても、布はまだ生きていて、丁寧に縫いあわされることで幾度となく再生されるのである。
アミューズミュージアムは田中忠三郎コレクションを主要な収蔵品に、2009年、東北からの玄関口だった上野、浅草寺の二天門前に開館した。コレクションのなかには重要無形文化財や有形民俗文化財もあるにもかかわらず、展示ケースに入れるのではなく、手に取るほどに間近に見ることができるよう工夫された展示も魅力である。[平光睦子]
2015/01/11(日)(SYNK)
フジイ フランソワ展
会期:2015/01/12~2015/01/24
Oギャラリーeyes[大阪府]
日本の伝統絵画と現代の技法・素材を折衷し、付喪神や百鬼夜行といったアニミズム的世界を描くフジイフランソワ。約2年ぶりの個展となる今回は、大作の屏風絵をはじめ多数の作品が出品され、作家の充実ぶりがうかがえた。長らく待った甲斐ありだ。まず見るべきは茶碗と筆と琵琶の付喪神が登場する屏風絵だが、菊と目玉尽くし、椿と目玉尽くし、物の怪が取りついた櫛尽くしの3点も見応えあり。また、定番の和菓子シリーズも安定の出来栄えだった。
2015/01/12(月)(小吹隆文)
シャレにしてオツなり 宮武外骨・没後60周年記念
会期:2015/01/10~2015/02/11、2015/02/14~2015/03/01
伊丹市立美術館[兵庫県]
宮武外骨は、江戸時代に生まれ、明治から大正、昭和にかけて活躍した反骨のジャーナリスト。官憲による度重なる弾圧を、媒体を次から次へと創刊することでかいくぐり、何度逮捕されても決して体制に飼い慣らされることなく、鋭い批判精神によって政府や資本家を糾弾した。本展は、外骨が手がけた『滑稽新聞』や『スコブル』、『面白半分』といった印刷物をはじめ50点弱の資料を展示したもの。比較的小規模とはいえ、外骨の批評的活動のエッセンスが凝縮した好企画だった。
すでによく知られているように、外骨の活動は批判的なジャーナリズムを中心にしながらも、決してそれだけにとどまらなかった。吉原の遊女たちの言葉づかいをまとめた『アリンス語辞彙』、賭博の歴史について体系的に論じた『賭博史』など、その射程は言語論や史学にまで及び、じつに広範囲なフィールドで活躍した。とりわけ後者は、賭博、すなわち博打の定義から由来、種類などを詳細に解明した画期的な書物で、この分野における古典として読み継がれている。
この本の執筆を持ちかけたのは、民俗学者の折口信夫だった。外骨によれば、その際折口は「賭博のことを書いた本は古来ひとつもないが、これも国民性研究のひとつとしてぜひなければならぬ物で、あなたのような人がやるべきことだろうと思います。われわれの如き教職に携わっている者共は、賭博研究の専門書がないので、いつも困ることがあるのです、あなた一流の編纂式でやってくださいませんか」と言ったという。ここに認められるのは、アカデミズムの研究者の限界と、その穴を充填しうる在野の研究者との、ある種の補完関係である。
「歴史は民衆生活の表裏を基礎とした叙述でなくばならぬ」。賭博が表なのか裏なのかはさておき、民衆生活に根を下ろしていることは、いまも昔もさして変わらない。重要なのは、その事実を歴史研究の主題として対象化した慧眼と、それを実行に移した行動力である。アカデミズムであれ在野であれ、はたして美術史は、その2つを持ちえているだろうか。
2015/01/12(月)(福住廉)
松尾勇祐 木彫展「箱庭ラプソディ」
会期:2015/01/13~2015/01/25
ギャラリーモーニング[京都府]
現在30代半ばの若手彫刻家ながら、祇園祭綾傘鉾の鶏像を担当し、昨年の「京展」では市長賞を獲得するなど、目覚ましい活躍を見せる松尾勇祐。これまで主に百貨店の美術画廊で活動してきた彼が、初めて街中の画廊で個展を開催した。作品はすべて木彫で、新作の小品12点と過去の動物彫刻が多数。新作はどれも半身像で、ほとんど素材そのままの下部から始まり、上部に行くほど緻密な表現になる。なかには動物とダブルイメージの作品もあったが、総じて表現力が高く、しかも安定感が感じられる。実力のある作家なので、今後も街中の画廊での個展を続けてほしい。
2015/01/13(火)(小吹隆文)