artscapeレビュー
2015年07月15日号のレビュー/プレビュー
Vienna Biennale 2015: ldeas for Change
会期:2015/06/11~2015/10/04
MAK(オーストリア応用美術博物館)、クンスト・ハレ・ウィーン、応用美術大学、ウィーン建築センター[オーストリア、ウィーン]
MAK(オーストリア応用美術博物館)は、ウィーン・ビエンナーレ2015のメイン会場であり、「変革のためのアイデア」を全体テーマとし、「フューチャー・ライト」「マッピング・ブカレスト」「不揃いの成長」などのテーマ別の展示を行なう。あいちトリエンナーレ2013のダン・ペルジョブスキ、ワリッド・ラードも参加している。「不揃いの成長」展のパートは、年末にMoMAで見た企画の巡回であり、同館の学芸員のペドロがキュレーションしたもので、成長する超巨大都市に対する建築家たちの提言を紹介する。これと並ぶように、ウィーンの未来を考える、スマートライフ・イン・ザ・シティ2051のアイデア集が展示されていた。ただ、MAKの白眉は、やはり世紀末から20世紀初頭の家具・工芸のデザインの常設展示である。ワグナー、オルブリヒ、モーザー、ホフマン、ロースほかの作品をまとめて鑑賞できるからだ。また影でさまざまな椅子のシルエットを見せる通路を設けた歴史主義/アールヌーボーの美しい展示手法は、昔と同じままだった。
写真:左=《MAK》、右上から「フューチャー・ライト」、「マッピング・ブカレスト」、「不揃いの成長」、スマートライフ・イン・ザ・シティ2051のアイデア集
2015/06/20(土)(五十嵐太郎)
ハンス・ホライン《ハース・ハウス》/オットー・ワグナー《アンカーハウス》/アドルフ・ロース《ロースハウス》
[オーストリア、ウィーン]
竣工:1990年/1895年/1910年
シュテファン大聖堂の横の広場では、ちょうどデモが行なわれていた。これに対峙するハンス・ホラインの《ハースハウス》は、意図的に仮面としてファサードの表現を行なう。ただし、内部の衣服売り場に関しては、特筆すべきことがない。シュテファン大聖堂周辺では、お約束のホライン、ロースなどの店舗をめぐる。大きな建築のごく一部の小さな路面店で、半世紀前、一世紀前のインテリアだが、いまも現役で残っているのは、日本では考えられない。またワグナーの《アンカーハウス》は、足下を鉄とガラスで軽く包む。《ロースハウス》は、王宮の向かいながら、上部は装飾を排除する。ところで、今回はウィーン市内でも、ショッピングモール的な施設が増えている印象を受けた。
写真:左上から、ホライン《ハースハウス》《シュリン宝石店I》《シュリン宝石店II》《レッティ蝋燭店》、右上ら、《シュテファン聖堂》(2枚)、ロース《アメリカン・バー》、ワグナー《アンカーハウス》、ロース《ロースハウス》
2015/06/20(土)(五十嵐太郎)
ゴットフリード・ゼンパー+カール・フォン・ハーゼナウアー《美術史博物館》
[オーストリア、ウィーン]
雨が振り出し、当初の予定を変え、屋内にとどまることができる、ゴットフリート・ゼンパーによる《美術史博物館》へ。これも外観より内部の装飾密度が圧倒的に高い。1階は彫刻や工芸で、右がエジプト、古代ギリシア、ローマ、左が教会と宮廷の作品である。2階は国別のヨーロッパ名画を展示し、天井の高いメインギャラリーと、それに平行する小さなサブギャラリー群によって空間が構成されている。
2015/06/20(土)(五十嵐太郎)
Ludwig Goes Pop
会期:2015/02/12~2015/09/13
mumok[オーストリア、ウィーン]
続いて、mumokへ。これも外と内の印象が違い、入るとファサードの皮膜性を露わにする空間が視界に広がる。「Ludwig Goes Pop」展は、ポップアートの教科書のような展示である。当時のアーティストとロックの関わりから、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」やローリング・ストーンズなどのアルバムジャケットも紹介する。むしろ印象に残ったのは、ウィーン・アクショニズムの展示企画だった。知識としては彼らの過激な身体表現を知っていたが、これだけまとまった映像と写真で見るのは初めてである。ぐちゃぐちゃ、エログロ、自傷、裸体、内蔵、スプラッタ、糞尿まみれ。彼らの活動を超えるのは大変だろう。若き日のアブラモヴィッチの姿もあった。
2015/06/20(土)(五十嵐太郎)
Konohana's Eye #8 森村誠「Argleton -far from Konohana-」
会期:2015/06/05~2015/07/20
the three konohana[大阪府]
書籍や新聞などの印刷物や辞書といった情報媒体から、一定のルールに従って、ある文字を修正液で消したり、カッターで切り取った作品を制作してきた森村誠。個展タイトルの「Argleton(アーグルトン)」とは、2008年にGoogleマップ上で発見された実在しないイギリスの町のこと。現地の店舗などの情報が書き込まれたことで、この架空の町が実在するかのような状況がインターネット上に出現した。本個展で森村は、関西圏の地図、分譲住宅のチラシ、タウンページといった様々な情報媒体を素材に用いて、断片の接合と情報の消去という操作を加えることで、「架空の町」を出現させている。
出品作のなかでも秀逸なのが、《OTW》(「on the way」の省略)と題されたシリーズ。地図の断片をJRの路線だけが繋がるように縫い合わせ、それ以外の路線や文字情報は全て修正液で白く塗りつぶされている。「on the way(途中で)」というタイトルが示すように、この架空の地図作成の作業はまだ未完成であるようなポーズが取られている。縫い合わされた地図は刺繍枠にはめ込まれたままであり、糸の通った針がぶら下がっているのだ。それは、想像の世界をどこまでも延びていく夢の線路という楽しげな連想を誘うとともに、不動産事業や土地開発、マイホームの夢とともに際限なく拡大していく郊外の姿を思わせ、情報の更新や修正によって現在の地図が将来的には「虚構」へと転じていく可能性を示唆する。
だが、インターネット上の情報とは異なり、白い修正液の消し跡は、何らかの情報の削除を視覚的痕跡として残してしまう。「図」として浮かび上がる路線の背後に存在する、白い点の連なりや、血管のように絡まり合う白い線。それらは、もう一つの架空の地図を亡霊のように浮かび上がらせるとともに、情報の削除や隠蔽という行為が行なわれたことを(不在によって)物語る。それは、例えば軍事関連施設の情報が消された地図のように、権力による情報管理をほのめかす。あるいは、近代以降の鉄道網の整備や拡張もまた、経済的発展とともに軍事的要請と強く結びついていた。そうした視点から《OTW》シリーズの作品を見たとき、国家の領土という巨大な身体を流れる血管として、人や物質を運搬する鉄道網が張り巡らされ、そのほかの周囲の情報はすべて隠されていくという不穏さを感じてしまう。
手仕事の繊細さや法則性の発見の面白さに加えて、情報の不確かさや更新にともなう虚構との境界線の曖昧さ、さらには地図や鉄道網をめぐる情報管理への言及を潜ませた展示だった。
2015/06/21(日)(高嶋慈)