artscapeレビュー
2017年05月15日号のレビュー/プレビュー
佐藤翠展─Reflections─
会期:2017/03/31~2017/04/23
六本木ヒルズA/Dギャラリー[東京都]
作品は大別して2種類あり、例のクローゼットやシューボックス(下駄箱とは似て非なる)をモチーフにした大きめのキャンバス画と、鏡の表面に花を描いた小さめの作品群だ。どちらも銀色を使っているのが特徴的で、特にキャンバス作品のほうはあらかじめ彩色した上に銀で「地」の部分を塗り、服や靴を「図」として浮き上がらせている。ふつうは地塗りの上に図を描くものだが、ここではその関係が逆転している。鏡のほうは、モネの睡蓮のようなタッチを生かした花から、抽象パターン化した花までさまざまあるが、いずれも部分的に塗り残すことで鏡としての機能を保たせている。全面を塗りつぶしたら鏡に描く意味がなくなるからな。しかしこの場合、鏡の上に描かれた花が図なのか、鏡に映る自分が図なのかという大きな問題に直面するはず。ともあれ、こちらにも銀が使われているが、もともと鏡と銀は相性がいいというか、鏡の原料には銀などが使われているくらいだから同根といってもいい。おそらく画材に鏡と銀を選んだのは同時期か、どちらかがどちらかを呼び寄せたのだろう。とすると、キャンバス画の銀は鏡の代用かもしれず、やはり地と図の関係は逆転しそうだ。
2017/04/07(金)(村田真)
開館10周年記念展 キース・ヘリングと日本:Pop to Neo-Japonism
会期:2017/02/05~2018/01/31
中村キース・ヘリング美術館[山梨県]
八ヶ岳山麓にある中村キース・ヘリング美術館が開館10周年を迎え、この“落書き小僧”と日本との接点を探る企画展を開いている。そもそも中村ってだれ? なんで八ヶ岳にキースの美術館が? と疑問に思うかもしれない。30年ほど前、医薬品開発支援を手がけるシミックホールディングスのCEO中村和男氏が、ニューヨークの店頭で偶然キース・ヘリングの絵を見かけてひと目惚れしたのが始まり。以来キースの作品ばかりを集め、10年前に故郷の山梨県に美術館を建てるまでになったのだ。赤い外壁が目立つ建物の設計は北川原温。山腹の傾斜をそのまま生かして、暗い闇の部屋から光に満ちた明るい部屋へと徐々に上昇していく仕掛けだ。
今回の展示は、1983年に初来日して以来日本で制作した作品を中心にしたもの。巨大な招き猫の表面いっぱいにドローイングしたものや、パルテノン多摩で500人の子どもと共同制作した壁画(公開は期間限定)、墨で描いて軸装したドローイングなどもある。この墨のドローイングは83年の作品で、ぴあ株式会社のコレクション。じつはその前年の暮れ、ぴあに在籍していたぼくはキースを取材するため急遽ニューヨークに飛ばされたのだ。わずか10日足らずだったが、昼は彼のアトリエで取材し、夜は地下鉄のグラフィティ描きやギャラリー巡りにつきあい、とても貴重な体験をさせてもらった。今日は10周年記念座談会があり、そんな話もした。
2017/04/08(土)(村田真)
PHOTOGRAPHER HAL「Flesh Love Returns」
会期:2017/04/03~2017/04/09
Place M[東京都]
PHOTOGRAPHER HALは2004年頃から「カップル」を中心に撮影するようになった。最初は狭いバスタブで撮影していたが、そのうち寝具収納用のビニールパックに2人を封じ込めるというアイディアを思いついた。ほぼ真空状態の中で抱き合っている「カップル」の姿は、メタフォリカルであるとともに、視覚的なインパクトも強い。今回のPlace Mの写真展では、2015年以降に撮影した新作を集成した写真集『Flesh Love Returns』(冬青社)から31点を選んで展示していた。
以前の同シリーズと比べてみると、「カップル」の周辺の環境をしっかりと写し込んでいる。今回の撮影に際して、HALは「カップルを彼らにとって一番大切な場所で撮影する」というコンセプトを貫いた。「一番大切な場所」をあらかじめ彼らに選んでもらい、そこに機材を持ち込んで撮影したのだ。当然、部屋の中だけでなく野外での撮影も多くなり、制約の多い公園や街頭での撮影は困難を極めたという。その甲斐があって、2人の関係のあり方を観客に想像させる回路がとてもうまくできあがっていて、見所の多いシリーズとして成立していた。
今回は日本だけでなく、オランダ、ベルギー、香港でも撮影している。さらにいろいろな場所に撮影範囲を広げるのも面白そうだが、逆に地域や集団を限定していく方向もありそうだ。作品が発するポジティブなエネルギーを大事にしつつ、さらに次の展開を考えていってほしい。なお、冬青社から作品57点をおさめた同名の写真集が刊行されている。
2017/04/09(日)(飯沢耕太郎)
大塚勉「ある日・2016年11月16日・晴れ・福島」
会期:2017/04/01~2017/04/30
大塚勉は「Incognito」(1986~87)、「地の刻」(1992~93)など、印画紙を池や沼に長期間沈めて、画像を思いがけない色やフォルムに変容させるシリーズを発表してきた。東日本大震災以後に制作した作品も、最初の頃は、銀塩抽出現像という特殊な技法を用いてプリントしたり、郡山市深沢の酒蓋公園の池に印画紙を沈めたりするなど、以前の延長のような作品だった。ところが、2015、16年にGallery Photo/synthesisで開催された個展「断たれた土地」、「川の臭い」の連作では、ストレートな撮影、プリントを試みるようになる。今回の「ある日・2016年11月16日・晴れ・福島」の展示では、その傾向がさらに強まってきていた。
タイトルが示すように、今回のシリーズは2016年11月16日に「福島県楢葉町・常磐線木戸駅周辺の一日の記録」として撮影されたものだ。大塚は大事故を起こした福島第一原子力発電所から南に約17キロ、避難地域との境界線近くにある楢葉町をゆっくりと歩きつつシャッターを切っている。展示された26点の写真に写っている風景は、その歩行の軌跡をなぞるように、微妙に重なり合いながら並んでいた。大塚が、なぜこの日にこの地域を撮影したのかというについては、偶然の要素が多く含まれているようだ。だが、当然ながらその制作のプロセスには、その土地にまつわりつく時間と記憶が畳み込まれてくる。「震災後」の風景の変質を、写真を通じて確認していくユニークなシリーズとして育ちつつあるのではないだろうか。震災時に土地の液状化で大きな被害を受けた千葉県浦安市(大塚の出身地でもある)を撮影した「断たれた土地」、「川の臭い」とあわせて、今後の展開を注意深く見守っていくべきだろう。
2017/04/09(日)(飯沢耕太郎)
露口啓二『自然史』
発行所:赤々舎
発行日:2017/03/01
これまでは、自身が住んでいる北海道の風景を中心に撮影してきた露口啓二だが、今回赤々舎から刊行された写真集『自然史』では、その撮影範囲が大きく広がってきている。北海道の沙流川と漁川の流域、空知地方の炭坑跡だけではなく、東日本大震災の被災地(岩手県、宮城県、福島県)、福島原子力発電所事故による帰還困難区域、同区域の境界線の周辺、その外側の居住制限区域と避難指示解除準備区域、さらに露口の生まれ故郷である徳島に近い吉野川流域にまで視線を伸ばしているのだ。
このシリーズもまた、先に紹介した大塚勉と同様に、東日本大震災を契機として、変質していく風景のあり方を、写真を通じて探究・定着しようとする取り組みといえる。だが、露口のアプローチは、あくまでも個人的、偶発的な写真撮影の行為を基点とする大塚と比較すると、『自然史』というタイトルにふさわしく、より客観的、包括的であり、厳密な方法論に裏打ちされたものだ。注目すべきなのは、緻密に組み上げられたカラー写真の画面のそこここで繰り広げられている、自然と人工物の争闘のすがたである。漁川の「本流シチラッセ」の河岸に散らばっている食器類や酒瓶、夕張市近辺の炭鉱地帯の廃屋、福島の帰還困難区域に凶暴なほどの勢いで生い茂っていく植物群など、露口の写真のあちこちに、複雑に絡み合う自然と人間の営みの断面図が、上書きに上書きを重ねるように錯綜しながら露呈している。
ただ、写真に地名、あるいは「N37°35' E140°45' 12"_2016」というふうに、緯度/経度をキャプションとしてつけるだけでは、そこに写しとられた重層的な時空間の構造を明確に伝えるのはむずかしい。露口は旧作の「地名」(1999~2004、2015に再開)のキャプションに、アイヌ語の音に即した和語の地名と、その元になったアイヌ語の地名とその原義を併記したことがあった。この「自然史」の連作においても、そのような、より広がりを備えたテキスト操作が必要になってくるのではないだろうか。
2017/04/12(水)(飯沢耕太郎)