artscapeレビュー
2017年05月15日号のレビュー/プレビュー
フランス絵画の宝庫 ランス美術館展
会期:2017/04/22~2017/06/25
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]
パリ東部に位置するシャンパーニュ地方の最大都市ランスの美術館から、17-20世紀の絵画を借りてきたもの。シェイクスピア劇を絵画化した画中劇ともいうべきドラクロワの《ポロニウスの亡骸を前にするハムレット》と、同じくシェイクスピア劇に取材したシャセリオーの《バンクォーの亡霊》は、どちらも小さいながら佳品だ。驚いたのは、革命期に描かれたダヴィッドによる《マラーの死》がひっそりと展示されてること。でもこれは再制作のひとつで、オリジナルはベルギーにあるという。そして最後のセクションに展示されているのが、レオナール・フジタの作品の数々。フジタは晩年ランスにノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂を建立して内壁を飾り、死後この礼拝堂に夫人とともに(40年以上の時差はあるが)埋葬された。その縁で、フジタの旧蔵作品や資料など2千点余りがランス美術館に寄贈されたというわけ。1920-30年代の作品もあるが、大半は戦後、それも最晩年の礼拝堂を飾る壁画のための素描や習作で占められている。それらには聖性も崇高さも感じられず、ただキッチュでグロテスクなばかりだが、なにがあろうと筆を折らず最後まで描き続けた点は見事というほかない。
2017/04/21(金)(村田真)
新宮晋の宇宙船
会期:2017/03/18~2017/05/07
兵庫県立美術館[兵庫県]
風や水といった自然の力で動く彫刻で知られる新宮晋の個展。新作を中心とした約15点の作品に加え、ドローイングや野外でのプロジェクトの映像も紹介された。
新宮の作品は、「動く彫刻」としてのモビールを大型化させ、複雑な構造計算と厳格な幾何学的形態により、風力や流水の力で生き物のように動き続ける。風車やヨットの帆を思わせる形状に張られた、薄いポリエステルの布が、風を捉えて回転する。風を受けた草原のように、刻々と表情を変える白い布の一面の連なり。シャワーのように降り注ぐ水を受け止め、満たされると重みでひっくり返り、複雑な軌跡を描いて運動し続けるステンレスの杯。二度と同じ動きを繰り返さない、複雑で繊細な揺らぎに満ちた運動は、床や壁に落ちる影や金属が反射する光の美しさもあいまって、いつまで見ていても飽きない魅力にあふれている。
だがそれらが、「美術館」という空間で展示されるとき、魅力的な運動は、空調の操作や調整、扇風機の配置、流水装置の設置といった人工的な補助に支えられてもいる。「エコ」という思考と実践を、(技術的な実用化や産業面での開発ではなく)造形的な美しさにおいて追究する新宮作品だが、作品にとって美術館は「自然」的環境か? という問いをはからずも提起していた。
2017/04/23(日)(高嶋慈)
開館記念展「未来への狼火」
会期:2017/04/26~2017/07/17
太田市美術館・図書館[群馬県]
ちょっと遠いし、規模も大きくなさそうだし、話題にもなってないけど、なんとなく美術館と図書館が一体化している点に惹かれて行ってみた。そもそも美術館(ミュージアム)の原型のひとつはミューズを祀る古代の神殿ムセイオンにあり、特に有名なアレクサンドリアのムセイオンは、美術館というより数十万巻の本を収めた図書館付きの研究センターみたいなものだったらしい。また初期のミュージアム、例えばロンドンの大英博物館にしろ、現在ドクメンタの主会場として知られるカッセルのフリデリチアヌム美術館にしろ、当初は美術館(博物館)と図書館の合体した施設だったというから、この2つは単に相性がいいというだけではない、それ以上の深いつながりがあるはずなのだ。
都内から東武伊勢崎線で約2時間は遠いが、駅のすぐ近くというのはありがたい。平田晃久設計の建物は、複雑な形をしているうえ屋上に植栽があるため、外からだとどんな構造なのかつかめない。中に入っていくと、どうやらいくつかの箱状の建物がガラス張りの外壁で囲まれた構造のようだ。大ざっぱにいうと、金沢21世紀美術館のかたちを崩して縦に伸ばした感じか。その箱が展示室になっていたり図書室になっていたり、また箱と箱との間の通路にも美術書や絵本が満載の本棚が並んでいたりする。そして外壁に沿ってスロープがあり、昇っていくと2階の中央に出る。そこに螺旋階段があって3階へと続く。つまり螺旋状に上昇していく仕掛けだ。これはひょっとして、つい先日見た「バベルの塔」の縮小版? いや、ボルヘスに倣えば「バベルの図書館」か? 規模こそ小さいものの、迷宮好きには魅惑的な建築だ。こんな美術館・図書館が子供のころ家の近くにできたらさぞかし喜んだだろうなあ、太田市民がうらやましい。あえて難をいえば、本にとっても迷宮好きにとっても明るすぎることか。
さて、その美術館スペースで開館記念として開かれているのが「未来への狼火」。出品は、太田市内で採取した土を使って壁に泥絵を描く淺井裕介、写真家で隣の桐生市出身の石内都、太田市で育ったアーティストの片山真理、太田市出身の詩人で朔太郎とも親交のあった清水房之丞、前橋市出身で太田市をパノラマ風に描く藤原泰佑ら9人。いずれも太田市か群馬県とゆかりがあるか、その土地に関係する作品をつくる作家ばかり。こういう開館記念展ではしばしば地元で知られたローカルな作家と、全国区または国際的に活躍するグローバルな作家が同居することになり、評価基準がチグハグになりがちだが、なぜか今回そんな齟齬はあまり感じなかった。もとより小規模な展覧会なので各作家の紹介が限られていることもあるが、それ以外にも、展示室が3つに分かれているため、その間の厖大な図書をながめ、時に立ち読みし、再び作品を見ることになり、いい具合に気が散るからではないか。もちろんこれは美術館としては問題だが、ここは「美術館・図書館」であり、美術作品に集中できないことを前提として展覧会を鑑賞するべきなのだ。そういう意味ではこれまでにない展覧会が生まれるかもしれない。
2017/04/24(月)(村田真)
「羽永光利一〇〇〇」
会期:2017/04/28~2017/05/28
NADiff Gallery[東京都]
羽永光利(1933~99)が1960~70年代に撮影した前衛美術家や舞踏家の写真群は、当時の状況をタイムカプセルのように保存した貴重な記録であることは間違いない。今回の展覧会の冒頭に掲げられた、寺山修司と横尾忠則が新宿三丁目の末廣亭の前にいる写真を見ただけで、あの沸騰していた時空間にいきなり連れて行かれるような気がする。ハイレッド・センター、ゼロ次元、状況劇場、ダダカン(糸井貫二)、大野一雄──伝説的なアーティスト、パフォーマーたちが繰り広げるアートシーンの熱気は、今となってはこれらの写真から感じとるしかない。
羽永がこれらの稀有な瞬間を捕獲することができたのは、彼が筋金入りの報道写真家だったからではないだろうか。写真週刊誌「FOCUS」の創刊(1981)に立ち会ったという彼は、目の前の出来事に感情移入することなく、冷静かつ公平に見通す視点を備えていた。やはり同時代に前衛美術家たちを撮影していた平田実の写真と比較しても、その客観性は明らかである。展示されていた写真のなかには、反戦デモや街頭のスナップなど、美術シーンとは直接関係のない写真も含まれているが、そのことが逆に時代状況を大きく俯瞰する視点に繋がっているように見える。
今回の展示は、グラフィック・デザイナーの松本弦人が企画・発行する「一〇〇〇本シリーズ」の5冊目として『羽永光利一〇〇〇』が出版されたのに合わせたものだ。これまでに『町口覚』、『東京TDC』、『宇川直宏』、『中平卓馬』と続いてきた、文庫本、1000ページというスタイルの「一〇〇〇本シリーズ」も、巻を重ねるたびに充実したラインナップになってきた。この枠組みで、もっと見てみたい写真もたくさんある。ぜひ続編の刊行を期待したい。
2017/04/28(金)(飯沢耕太郎)
石黒昭 大理石絵画
会期:2017/04/07~2017/05/06
ロコギャラリー[東京都]
ヨーロッパではしばしば建物の壁に大理石模様が描かれているのを見かける。一種のだまし絵なのだが、日本のトリックアート美術館の出し物とは違い、フェイクなのに堂々として恥じる様子がない。石黒はこの大理石模様を描く職人だったが、いまではそれを美術作品として制作している(それ以外の絵も描くが)。その「大理石絵画」は表面がツルツルのうえ模様が緻密に描かれているため、どう見ても大理石そのもの。今回はそんなリアルな大理石絵画に加え、大理石模様を抽象表現主義的に発展させた新作も発表している。これは美しい。たしかに大理石といわれれば大理石のようにも見えるが、しかし青、赤、緑とカラフルで、しかも霜降り肉のサシのように画面全体を覆う白い絵具が盛り上がっているので、本家本元の大理石から逸脱しようとしているようにも見えるのだ。これはもはや大理石のフェイクであることをやめ、「大理石絵画」という新たなジャンルとして自律しつつあるのかもしれない。
2017/04/28(金)(村田真)