artscapeレビュー
2017年09月15日号のレビュー/プレビュー
《和歌山県立近代美術館・博物館》《念誓寺本堂》《和歌山市民図書館》
[和歌山県]
黒川紀章の《和歌山県立近代美術館・博物館》を見る。正直、あまりに多過ぎて、どうかと思う黒川建築もなくはないのだが、これはよかった。しかも同じ建築家が隣接する2つをともに手がけているので、デザイン上の相互関係も生まれる。いずれも展示室ではあまり変わった冒険をせず、逆にそれ以外の空間はポストモダン的な造形で遊びまくっている。和歌山県立近代美術館では、コレクション展と、夏の子ども向け企画として「すききらい、すき?きらい?」展を開催中だった。前者は地元縁の作家のほか、休館中の滋賀県立近代美術館から借りた戦後アメリカ美術、おはなしとアート特集など、もりだくさん。後者は好き嫌いの価値観を揺さぶる企画である。この館は屋外の彫刻展示も面白い。そして和歌山県立博物館は、企画展「のぞいてみよう! えのぐばこ」が江戸時代の2人の画家、真砂幽泉と桑山玉洲を取り上げ、その作品と絵の具箱を紹介する。ここも2階に熊野古道に関する屋外展示がある。なお、ガラスによる円弧の先端部分にあたる吹抜けのカフェは、素晴らしい空間なのだけど、誰も足を踏み入れないのがもったいない。
相田武文による念誓寺本堂は、ユニークな現代の仏教建築だ。最初に出迎えるゲート型のヴォリュームもさることながら、壁にぎっしりと埋め込んだ瓦の列が独特の表情をかもし出す。よく知られた素材だが、見たことがない使い方をすると、きわめて効果的になる。小さな開口部がある足下に水をはりめぐらせ、光や風をとり入れる。堂内は木の格子パターンであり、振り返ると象徴的な円形の窓が目に入るという仕かけだ。
岡田新一の《和歌山市民図書館》は、天窓からの光と吹抜け、正面のステンドグラスが特徴である。移民資料やそれに関連する絵画作品も収蔵していた。ところで隣の市立博物館はクラシックな造形だけに、前日に見た黒川建築のパターンと同様、これも岡田新一の設計かなと思ったが、結局、確認できなかった。
写真:左上=《和歌山県立近代博物館》 右上=《和歌山県立近代美術館》 左上2番目=《和歌山県立近代美術館・博物館》模型 左下2番目・右中=《念誓寺本堂》 左下=《和歌山市民図書館》 右下=《和歌山市立博物館》
2017/07/28(金)(五十嵐太郎)
《和歌の浦アート・キューブ》《和歌山県庁舎》《和歌山県庁南別館》《和歌山県民文化会館》
[和歌山県]
和歌山へ。下吹越武人が手がけた《和歌の浦アート・キューブ》は、海沿いの不老橋(江戸期の石造のアーチ橋)を渡った先に建つ。敷地に大きなヴォリュームひとつ置くのではなく、さまざまなサイズのキューブを分散させ、それらをブリッジでつなぎ、回遊性を与える。空中の立体的な路地のほか、キューブの隙間、銅板のテクスチャーなど、心地よい空間体験をもたらす。もっと人通りが多い場所ならば、さらにアクティビティが増すだろうが、あいにく海辺であり、そのぶん2階のカフェからの眺めはよい。
市内に戻り、内田祥三らによる《和歌山県庁舎》と、道路を挟んで高松伸らの《和歌山県庁南別館》《和歌山県民文化会館》などをまわる。1930年代、70年代、2000年代と異なる時代の建築が並ぶ風景は興味深い。それにしても、市庁舎やミュージアムも近くに集中しており、見事にお城のまわりに主要な公共建築がかたまっている。
写真:上2枚=《和歌の浦アート・キューブ》 中2枚=《和歌山県庁南別館》 左下=《和歌山県庁舎》 右下=《和歌山県民文化会館》
2017/07/28(金)(五十嵐太郎)
「ひろしま瀬戸内から始まる学校建築」展 トークイベント
会期:2017/07/29~2017/08/02
ヒルサイドテラス[東京都]
「ひろしま瀬戸内から始まる学校建築」展/宇野享CAn×土井一秀×内藤廣×五十嵐トークイベント@ヒルサイドテラス。現在、広島の県知事は建築に力を入れているらしく、グローバル時代の実験的な教育を掲げ、島に建てる全寮制の中高のプロジェクトが、展示とトークイベントを通じて、東京でお披露目会を行なうことになった。その結果、コンペの審査員と設計者が、現在の進捗状況とヴィジョンを語る面白い会が実現する。展示でも紹介されていたように、設計の指針となる考え方には、亡くなられた小嶋一浩のファースト・コンセプトも組み込まれていた。確かに、この学校が実現したら、すごいと思わせるプログラムとデザインであり、完成が楽しみだ。
2017/07/30(日)(五十嵐太郎)
日本の家 1945年以降の建築と暮らし
会期:2017/07/19~2017/10/29
東京国立近代美術館[東京都]
最初の3セクションの密度が異様に高く、このテンションで最後まで突っ走るなら、最高傑作の展覧会ではないか! と思いきや、4番目の「住宅は芸術である」で転調し、後半は原寸で再現された清家清の住宅を中心に、むしろ華やかでポップな展開となった。企画の監修に塚本由晴が入ったからだと思われるが、「日本の家」というニュートラルなタイトルな割には、東工大の建築家の系譜を強く感じる。実際に数えてみたが、建築家も作品数も多い。またキャプションの解説なしの作品が多いので、初心者は予習が必要かもしれない。
2017/07/30(日)(五十嵐太郎)
広島平和記念資料館(東館)常設展示
広島平和記念資料館(東館)[広島県]
広島市現美のモナ・ハトゥム展と合わせて、広島平和記念資料館へ。今年4月にリニューアルされた東館の展示を見る。インタラクティブなタッチパネル式の展示・情報検索システムや、デジタル技術を駆使した映像展示が「目玉」となっている。特に、真っ先に観客を出迎える後者は、廃墟となった広島市内のパノラマ写真が取り囲む中、円形の都市模型にCG映像がプロジェクションされるというもの。被爆前の木造家屋が立ち並ぶ市街地の様子が上空からの俯瞰で映し出される。現在の平和記念公園がある中州にも、もちろん建物が密集している。川を行き交う船も見え、聴こえてくる蝉の鳴き声が「平和な朝」を演出する。カメラが地上へ近づき、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)付近へズームインする。原爆投下地点の「目標確認」の擬似的なトレース。次の瞬間、カメラは急速に上空に戻ると、投下されたリトルボーイとともに急下降する。閃光、爆風によって一瞬で吹き倒される建物、そして一面を覆う爆発の火炎と煙。だがそこに炎に焼かれる人影はいない(人間が「いない」無人空間であるかのように描かれる)。ならばこれは、「ここに(自分たちと同じ尊厳をもった)人間はおらず、実験場である」と見なすことで原爆を投下しえた米軍の視点に同一化しているのではないか。
カメラのめまぐるしい急上昇/急下降、「映像酔い」を起こさせるほど視覚に特化した体験。CGをふんだんに盛り込んだアクション映画やゲームを思わせる娯楽性さえ孕んだ、スペクタクルとしての可視化。「過去の見えづらさ」「接近の困難」をたやすく凌駕してしまうそこには、「表象の透明性」への疑いは微塵もない。結局のところ、制度化された展示空間の中で、私たちは、誰の視点に同化して見るよう要請されているのか? この反省的な問いの欠如こそが問われている。
2017/08/02(水)(高嶋慈)