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2017年09月15日号のレビュー/プレビュー

第10回ヒロシマ賞受賞記念 モナ・ハトゥム展

会期:2017/07/29~2017/10/15

広島市現代美術館[広島県]

第10回ヒロシマ賞を受賞したモナ・ハトゥムの個展。本展のために制作された新作インスタレーション《その日の名残》は、ハトゥムのこれまでの作品にもしばしば登場する、テーブルと椅子、ベッドなど、家庭内の親密な空間を想起させる家具が、炎に焼かれて黒焦げの残骸と化したもの。他にも、政治的な抑圧や人種差別への抵抗を表現した初期の身体パフォーマンスの記録、おろし金など調理用品を巨大化して家具に見立て、見る者を身体感覚的に脅かす彫刻作品、また立方体やグリッド、床面に敷かれた正方形などミニマリズムの視覚言語を用いつつ、傷みの感覚や疎外、監禁、不安定な流動性などを喚起させる作品など、代表的な作品がコンパクトにまとまっている。日本初の本格的な個展ということで、ダイジェスト的で見やすいが、(通常はコレクション展に充てられる小さい方のスペースでの開催ということもあり)展示全体としてはやや物足りなさが感じられた。
一方、通常は企画展のスペースで開催されたコレクション展「光ノ形/光ノ景」は、「光と影」をテーマにしたもの。自然界の光や人工的な灯り、光学現象などを扱った作品のほか、夏という季節柄、「原爆の閃光/焼きついた影/復興と再生の光」といったストーリーに沿って展開する。ただハトゥム展との関連性を持たせるのであれば、ミニマリズム、パフォーマンス、フェミニズム、中近東の作家などを配した方が、ハトゥム作品の文脈がより厚みを持って提示されたのではないか。

2017/08/02(水)(高嶋慈)

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ますたにゆたか「さんぽのとちう」

会期:2017/08/01~2017/08/26

ふげん社[東京都]

1967年、東京生まれのますたにゆたかは、やや特異な出自の持ち主である。本人はあまり触れられたくないのかもしれないが、祖父は植田正治で、彼はその長女の和子さんの子息になる。いまは植田正治写真事務所の責任者として、展覧会や写真集出版の企画にもかかわっている。中学生のころ、「オリンパスOM-2nを祖父からもらい」、撮影・プリントした写真を見せて「褒められてまた、少しいい気に」なったという思い出を持つ彼は、しばらく写真からは離れていたが、2011年ごろから「モノクロ写真を再開」した。今回は昨年に続く2度目の個展で、フランス各地を「思い向くまま、気の向くまま」に撮影したモノクロームのスナップショット、23点展示されていた。
彼が植田正治の孫だと知っていると、どうしてもお互いの作品を比較したくなってしまう。特に今回はフランスで撮影された写真が並んでいるので、植田正治が1972、73年のヨーロッパ旅行の成果をまとめた名作写真集『植田正治小旅行写真帖 音のない記憶』(日本カメラ社)がすぐに頭に浮かぶ。たしかに、ますたにと植田正治の写真はよく似ている。端正な造形感覚、的確なフレーミング、巧みな間の取り方、犬、猫、看板、オブジェなど街の片隅の「小さな」存在に向ける視線のあり方など、祖父から孫へと受け継がれたものは多い。何よりも被写体をネガティブに突き放すことなく、柔らかに受け止め、品よく画面におさめていくあり方は、ほぼ同質といってよい。ただ、そのことをあまり強く意識しすぎないほうがいいだろう。独自性を性急に求めると、彼本来ののびやかな撮り方ができなくなってしまうからだ。「植田正治らしさ」をうまく取り込みながら、楽しみつつ自分の写真の世界をつくっていけばいいのではないだろうか。その片鱗は、DMに使われた、列車の窓に顔を寄せた少女のクローズアップにすでにあらわれてきている。ちょっとミステリアスな気配を感じさせる、そんな写真をもう少し見てみたい。

2017/08/02(水)(飯沢耕太郎)

ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス

会期:2017/08/04~2017/11/05

横浜美術館+横浜赤レンガ倉庫1号館+横浜市開港記念会館[神奈川県]

2001年に始まったヨコトリも6回目。国際展の歴史の浅い日本では一番の先輩格だが、そんな威厳を微塵も感じさせないのは、いつまでたっても足元がふらついているからだ。振り返ってみて、これほど会場が定まらない国際展も珍しい(もちろん毎回開催都市を変えていく国際展は別だが)。1回目は横浜パシフィコ+赤レンガ倉庫など、2回目は山下埠頭3、4号上屋、3回目は新港ピア+日本郵船海岸通倉庫など、毎回会場選びに苦労していた。主導権が国際交流基金から横浜市に移った4回目から、ようやく横浜美術館がメイン会場として使われるようになったが、サブ会場は日本郵船海岸倉庫、新港ピア、そして今回の赤レンガ倉庫と一定していない。
会場が定まらないと安定感に欠けるが、逆に美術館がメイン会場として固定してしまうとまた別の問題が出てくる。それはさまざまな意味で美術館の企画展に近づいてしまうということだ。ディレクターはほかの国際展と同じく毎回異なっているが、4回目以降は逢坂恵理子館長が展覧会を統括してきた。それはそれで悪くないが、今回は3人いるディレクターのうち逢坂館長と柏木智雄副館長が美術館の人で、外部からは三木あき子のみ。また、実際に展覧会をつくるキュレトリアル・チーム11人中9人が同館学芸員に占められているので、国際展というよりゲストキュレーターを招いた美術館の特別展といった趣なのだ。おまけに2週間に一度だが休館日も設けられ、ふだんの美術館とあまり変わらない。さらに参加アーティストも毎回ほぼ減少していて、今回は39組。第1回の109組に比べると約3分の1だ。やはり国際展というのは非日常的な時空を味わえる一種のお祭りだと思うので、ウンザリするほどの質と量で迫ってほしかった。横浜市のイベントというにとどまらず、日本を代表する国際展を目指すならば。
でも本当のことをいえば、見る者にとってそんなことはどうでもよくて、いかに展覧会を楽しめるかが重要なのだ。今回はタイトルが「島と星座とガラパゴス」というもので、自己と他者、個人と社会といった関係における「孤立と接続」がテーマといっていいだろう。こうしたテーマだと国家や宗教、戦争、差別、難民などを扱うポリティカルな作品が多くなりそうだが、これは世界的な傾向だ。もっとも目立つ美術館正面の外壁と円柱に飾られたアイ・ウェイウェイの救命ボートと救命胴衣を使ったインスタレーションは、まさに難民問題を扱ったポリティカルな作品。さすがアイ・ウェイウェイと思う反面、いくら目玉アーティストだからといってこんな目立つ場所に設置すると、色彩がハデなだけに建築の装飾にしか見えなくなってしまう。もっと効果的な展示場所はなかったのか。アイ・ウェイウェイは館内にもう1点、磁器でつくったカニの山を出しているが、タイトルの《He Xie》はこのカニの名であると同時に、中国語で「検閲」を意味するネットの隠語「和諧」と同音であるという。いかにもアイ・ウェイウェイらしいが、しかし中国語を理解しない者にとって解説がなければ単なるカニの山だ。
今回いちばんおもしろかったのは、レーニンの肖像画をベースにしたザ・プロペラ・グループの連作。旧ソ連時代に描かれたレーニン像を集めて頭部に糸で“植毛”し、ディカプリオ主演の映画の1シーンに見立てている。例えば《映画『インセプション』のコブに扮するレーニン》とか、《映画『タイタニック』のジャック・ドーソンに扮するレーニン》とか。いわば社会主義のシンボルを資本主義の走狗ともいうべきハリウッド映画に転換させているのだが、そんなことより、ハゲ頭のレーニンに髪を生やすとディカプリオになるという驚き! これは笑える。これと似たものに、クリスチャン・ヤンコフスキーの連作がある。そのうちのひとつは《重量級の歴史》と題されたもので、ワルシャワにある社会主義の遺産というべきモニュメントを重量挙げの選手たちが持ち上げようとしている写真と映像だ。このようにポリティカルな主題をシリアスにではなく、笑いに包んで提供する。これが成熟した社会の成熟したアートというものだ。
もうひとつ、これは個人的な趣味でもあるが、身の回りのあらゆるものを一つひとつキャンバスに描いて室内を再現したドン・ユアンの作品がおもしろかった。テーブルや椅子、窓、花瓶、靴、照明、料理まで、それぞれ1枚ずつキャンバスに描いて生活空間のように並べているのだ。あらゆるものが情報化される現代において、あらゆるものを絵画化しようというアナログかつアナクロな試みといえる。ほかに、開港期の横浜にスポットを当てたサム・デュラントや、横浜出身の岡倉天心をクローズアップした小沢剛など地元ネタにも惹かれるものがあった。逆につまらなかったのは、いっぱいあるが、ひとつ代表的なものを挙げれば、カールステン・ヘラー、トビアス・レーベルガー、アンリ・サラ&リクリット・ティラヴァーニャによるコラボレーション。4人とも人気アーティストなのでなにをやるかと期待したら、かつてシュルレアリストたちが展開したゲームにならい、リレー方式で制作した版画を展示しているのだ。本人たちは楽しかったかもしれないが、4人も集まってこれかよ、というのが正直な感想だ。きっとアートフェアに出したら高く売れるだろう。国際展は美術館の企画展でもなければアートフェアでもないのだ。


左=ザ・プロペラ・グループ《映画『J・エドガー』のJ・エドガー・フーバーに扮するレーニン》。
右=ドン・ユアンのインスタレーション「おばあちゃんの家」シリーズ。窓も椅子も照明もすべて絵画。

2017/08/03(木)(村田真)

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ねぷた祭

[青森県]

平川の新市庁舎コンペの審査後、弘前に移動し、ねぷた祭を見たが、初めての経験である。まず驚かされるのは、歩道で場所とりを行ない、勝手に椅子を置き、市民が観覧している公共空間の使い倒し方だった。ねぷたのパレードは車道を使うわけだが、歩道を占拠し、観客席に変容させるプログラムの書き換えである。そしてヤンキー魂溢れる、ねぷた群のダイナミックな可動デザインは、まさにヤンキーバロックだ。下手な現代美術よりも迫力があり、しかも圧倒的な大衆性を獲得している。

2017/08/05(土)(五十嵐太郎)

《康楽館》《立佞武多の館》

[秋田県]

秋田の小坂町に入り、明治時代の康楽館へ。これまでにも類似した芝居小屋はいくつか見学したが、外観が和洋折衷のタイプは初めてかもしれない。が、なによりも30年前に補修した後、毎日、芝居を上演し、生きた施設として活用していることに驚く。これはかつて鉱山の厚生施設だったが、その繁栄ぶりが想像できる。なお、近くに移築した3階建て、中央に螺旋階段をもつ洋風建築、小坂鉱山事務所も関連施設だった。
五所川原の立佞武多の館へ。80年ぶりに復元し、復活した巨大なねぷたの祭のための展示施設である。なるほど、立ち姿のねぷたが20m超えなので、本当にデカイ! 大阪万博のときのデメよりも大きく、5階建てのビルが動くかのように街に出撃するのだろう。この施設は最初にエレベータで最上部まで上がり、螺旋スロープでねぷたのまわりをぐるぐると降りる。出動時は跳ね橋のように、スロープの一部が途切れ、大きな壁が開き、3体が外に向う。まるでロボットの秘密基地ではないか。

写真:上3枚=《康楽館》 下2段目2枚=《小坂鉱山事務所》 下2枚=《立佞武多の館》

2017/08/06(日)(五十嵐太郎)

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