artscapeレビュー
2019年07月15日号のレビュー/プレビュー
四國五郎展─シベリアからヒロシマへ─
会期:2019/04/26~2019/07/20
大阪大学総合学術博物館[大阪府]
ソーシャリー・エンゲージド・アートの世界的潮流、国内的には3.11以降の反核運動や、アートと社会運動の接近といった観点から、近年再評価の進む画家、四國五郎(1924-2014)。「シベリアからヒロシマへ」という副題が示すように、広島で生まれた四國は、シベリア抑留を経験し、帰郷後に弟の被爆死を知り、峠三吉らと反戦文化運動に詩画人として参加した。街頭でゲリラ的に展示した、詩と画からなる『辻詩』や、峠三吉の『原爆詩集』をはじめとする数々の書物やサークル誌、『絵本 おこりじぞう』などの表紙絵や挿絵を手がけるとともに、自身のシベリア抑留体験を元にした絵画や「ヒロシマ」を主題化した絵画を制作した。また、1974年にNHKが「市民が描いた原爆の絵」を募集した際には、自らの被爆体験を描くよう番組内で呼びかけを行なった。本展では、現存する『辻詩』8点すべてが展示されるとともに、油彩作品、表紙絵や挿絵の原画、それらを用いた書籍やサークル誌、シベリアから密かに持ち帰った極小の豆日記など各種資料が展示された。
本展を通覧して、考察すべきポイントとして浮上したのは、1)「意図的な時空の混在」と主体性の回復の願望、2)「ヒロシマ」の表象とジェンダーの問題、3)戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性、の3点である。
まず、1)異なる時空を意図的に混在させて描く絵画の「嘘」は、四國自身の「主体性」の位置付けや回復の願望と密接に関わっている。例えば、後年の1990年代になって描かれた、シベリア抑留体験を絵画化した作品群では、捕虜として連行される光景や埋葬者を運ぶ光景を「写生する私」が、同一画面内に描き込まれる。「写生する私」の周りには、同じくスケッチする者やカメラを構えた者、ただ眺める者も描かれており、約50年という時間的隔たりと歴史としての客観化を冷静に承認する。一方、そこには、西洋古典絵画において「絵筆とパレットを手にした自画像」を画中に描き込む操作が、画面全体の支配者として画家自身を特権的に位置付けるように、非人間的な状況から、「見る主体」としての(尊厳の)回復が企図されている。
一方、「ヒロシマ」の絵画群では、時空の撹乱の操作は別の意味を帯びてくる。例えば、《「ヒロシマ」写生する兄弟》では、川面に映る原爆ドームの反映像を背に、キャンバスに向かう四國と弟が並んで描かれる。弟は被爆時を示唆する国民服を着た若い青年像であり、彼の向かうキャンバス裏面には「1945.8.6」という日付が描かれている。対して四國は老年にさしかかっており、キャンバス裏には「1996」という制作年が描かれる。「1945.8.6」で静止したままの時間と、約50年後の「現在」とのありえない混在。それは、凍結した過去の時間をトラウマ的に抱えたまま生きる、サバイバーとしての事後の生の時間感覚を視覚化したものだと言える。
だが、弟を原爆で失ったとはいえ、四國自身は直接原爆を経験した訳ではない。そうした非当事者性の負い目を抱えつつ「ヒロシマ」を描くことのジレンマを表わしたのが、死者の「名札」に自らの名前を描き込むことで、「死者たちとともにある」ことを表明した絵画作品である。原爆資料館に展示された「被爆死した少年の制服」や、《ヒロシマの母子8月6日午前8時00分》において母と並ぶ幼い少年の胸に付けられた名札には、「四國五郎」と描かれており、彼は異なる年齢層の少年の姿を借りて、(絵画というフィクションのなかで)既に死者となり、あるいはわずか15分後には死者の世界に入るのだ。
だがここで、展示された「被爆死した少年の制服」の隣にはセーラー服の少女が立ち、幼い少年は弁当包みを抱えた母親と並ぶように、ジェンダーの対比構造が四國作品に通底することに注意しよう。「(固有名を与えられた実体的存在としての)犠牲者」として描かれる男性表象は、「(被爆死した)弟」と「(フィクションとしての)四國自身」に限定される一方、「匿名的な犠牲者」「平和への希求」として大多数を占めるのは、少女像(+鳩や折り鶴)と母子像である。匿名性や普遍化は、「無垢なる犠牲者」「ピエタの変奏としての犠牲のイメージ」と結びつき、2)「ヒロシマ」の絵画表象を駆動させるジェンダーの力学について再考を促す。
最後に、3)戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性について指摘したい。「実際には見ていない、実体験ではない」光景を、迫真のリアリズムでもって描き出し、見る者の心を揺さぶる―ここに、右/左、戦意高揚/反戦の方向性こそ正反対だが、戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性をみてとった時、震撼せざるをえない。四國の「再評価」にあたり、「ヒロシマ」の表象史を社会運動との関わりから捉え直す視座とともに、情動を動かすイメージの力が政治と結託するポリティクスと、そこに内包されたジェンダーの問題について、改めて問われるべきだろう。
2019/06/15(土)(高嶋慈)
淡江大学建築学科卒計展
松山文化創園地区[台湾、台北市]
ほぼ3ヶ月連続で台北を訪れることになったが、今回はアドバイザーとして関わった忠泰美術館の「人間自然─平田晃久個展」が目的ではなく、淡江大学の建築学科の卒業設計展に関連したレクチャーで招待された。会場は日本統治時代に建てられた旧煙草工場をリノベーションし、さまざまなデザイン関係の展示やイベントを行なう「松山文化創園区」であり、伊東豊雄によるホテルも建つ。ここでは《台湾デザインセンター》が拠点を置き、プロダクト、ファッション、グラフィックなどの企画展を行なう《台湾デザインミュージアム》も入っている。なお、「松山文化創園地区」の背後には、1930年代の巨大な鉄道施設の再生計画の敷地が隣接し、将来も変化が続きそうなエリアだ。
淡江大学で教鞭をとる平原英樹、柯純融、鄭晃二先生と会食し、たずねたところ、毎年、学生の自主企画で卒計展や講演会を行なっているらしい。通常は建築家を呼ぶみたいだが、筆者の著作がすでに台湾で何冊か翻訳されていることで、今回声がかかったようだ。もっとも、2051年までの未来のどこかに自らのプロジェクトを位置づける全体テーマを設けたり、各作品をトランプの図柄にしたグッズも制作するなど、さまざまな仕掛けを施し、ただ単に模型や図面を並べるだけの展覧会にはなっていない。
こぢんまりとした提案になりがちな日本の学生に比べると、未来志向のデザインが多く、こなれた空間の操作をみると、設計のレヴェルもかなり高い。今後の活躍が期待される。また会場が広いこともあり、十分なスペースをとりながら、1/1のモックアップやデジタル・ファブリケーションのインスタレーションを展示し、しかもゴーグルを使って仮想空間を体験する作品まで楽しむことができた。
さて、講演では「窓から建築を考える──歴史、美術、漫画、そして映画」と題し、10年間におよぶ東北大学五十嵐太郎研究室による窓学リサーチ・プロジェクトの研究成果を語った。その後、日本の卒計との違い、窓に関連するプロジェクト、すぐれた造形のデザインなどに触れながら、学生のいくつかの作品を講評した。
2019/06/15(土)(五十嵐太郎)
塩田千春展:魂がふるえる
会期:2019/06/20~2019/10/27
森美術館[東京都]
まだ40代のアーティスト、塩田千春の代表的な作品を網羅した大規模な個展。最初の大きなギャラリーに入ると、2015年のヴェネツィア・ビエンナーレで発表したのと同じく、何艘かの舟(ただし骨組みのみ)から無数の赤い糸が宙に広がるインスタレーション《不確かな旅》に圧倒される。1本の赤い糸といえば男女間のつながりを暗示するが、これだけ大量にあると、舟から立ち上る炎か血しぶきにも感じられる。
会場を進むと、焼けたピアノと客席から黒い糸が立ち上る《静けさの中で》、古い木枠の窓を重ねた《内と外》、たくさんの古いトランクを赤い糸で吊るした《集積─目的地を求めて》など、大がかりなインスタレーションが次々と展開していく。半分くらいはどこかで見たことあるが、しかしコンセプトやタイトルは同じでも、素材やサイズや形状は多少なりとも違うわけで、これらを同じ作品と見ていいのだろうかと疑問が湧く。ひと言で言えば「リメイク」ということだろうが、じゃあリメイクばかりで回顧展は可能なのか、ましてや本人がいなくなったらリメイクできるのかと、インスタレーション作家ならではのジレンマに直面する。見る分には別に構わないけどね。
初期の活動も紹介されていた。5歳のときの「ひまわり」の絵はご愛嬌として、学生時代の油絵はド・スタールばりの抽象画で、時代遅れではあるけれどなかなかの力量だ。その隣にパフォーマンスの記録写真があるのだが、これがサイズといい赤い色といい油絵とよく似ている。思いがけないアナロジーにうなってしまった。
2019/06/19(水)(村田真)
大日本タイポ組合展 文ッ字─いつもの文字もちょッと違ッて見えるかも─
会期:2019/04/20~2019/06/30
町田市民文学館ことばらんど[東京都]
大日本タイポ組合は、1993年の結成以来、非常にユニークな活動を続けてきた2人組のタイポグラフィユニットである。1990年代半ばからちょうどパソコンが普及し始め、一般の人々の間にもタイポグラフィに関する認識が広まった時代背景が、彼らの活動をさらに後押ししたように思う。そんな彼らの集大成ともいえる展覧会が開かれた。その展覧会名からしてユニークだ。チラシを見るとわかるが、「文ッ字」を縦書きにすると、「文学」という文字が浮かび上がる。会場が町田市民文学館ことばらんどということから、「文字」と「文学」との字形の共通点を探り、命名した展覧会名なのだ。
このように大日本タイポ組合の手にかかると、平仮名や片仮名、漢字、数字、アルファベットの垣根を越えて、元の文字がいったん解体され、新たな文字が再構築される。その手腕たるや、お見事としか言いようがない。そもそも平仮名や片仮名、漢字、数字、アルファベットとさまざまな文字を扱う日本語自体、外国語と比べると非常に特殊である。その特殊性ゆえに、彼らのような自由な発想が生まれるのだろう。
例えば新元号が発表された4月1日、使命感にかられ、ほかの仕事もそっちのけで約5時間かけて仕上げたという、一見「令和」と読める作品。目を凝らして見ると、文字のところどころが分割されていて、少しだけ不自然な箇所が見て取れる。さらによく観察すると、こう読める。「ヘイセイオツカレ」と。時間はかかるが、なぜ読めるのかというと、上から下へ、左から右へと、漢字の書き順に沿って新たな文字が配列されているからだ。彼ら曰く、どんな文字をつくるにあたっても、このルールは最低限守るようにしているのだという。本展ではほかに、片仮名を新たな漢字のように組み立てた印章文字、滑らかな平仮名の線を生かして動物たちを描いた絵本、アルファベットを解体して同義の漢字と動物の線画へと展開した作品、「米寿」などに倣い、漢字を数字に分解することで各年齢に相応しい「寿」を考案した作品など、ありとあらゆる手法による文字作品が展示されていた。
もともと、日本語の文字の起源は誰もが知るように、象形文字として生まれた漢字から平仮名がつくられ、片仮名がつくられた。そう考えると、何かの形から新たな文字を生み出すことは、実は理にかなった行為とも言える。本展を観た後には、街にあふれるいろいろなものが文字に変換されて見えるというマジックにかかった。
公式サイト:https://dainippon.type.org/mojji/
2019/06/21(杉江あこ)
国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展
会期:2019/06/11~2019/09/23
国立西洋美術館[東京都]
国立西洋美術館で「松方コレクション展」て、珍しくもなんともないじゃん。と思ったら大間違い。現在の松方コレクションは、かつて松方幸次郎が集めた全コレクションのごく一部にすぎないのだ。今回は開館60周年記念ということで、その幻の全貌に迫ろうというもの。
簡略に言うと、松方コレクションは川崎造船所の社長だった松方幸次郎が、第一次世界大戦で莫大な利益を得、そのお金を使ってヨーロッパで買い集めた全1万点を超す美術コレクションのこと。そのうち日本に輸入した1万点に及ぶ(浮世絵8千点を含む)作品は、大戦後の不況に関東大震災も重なって散逸。これを「旧松方コレクション」という。一方、ロンドンに残した約900点(従来300点余りといわれていたが、版画1点1点を数えれば900点以上)は倉庫の火事で焼失し、パリの約400点のみが残ったものの、紆余曲折を経て第二次大戦後フランス政府に没収されてしまう。この約400点がサンフランシスコ講和条約締結後、美術館を建てるという条件つきで返還されることになり(フランス側は「寄贈」を主張したため「寄贈返還」という曖昧な表現となった)、これを受け入れる国立西洋美術館が建てられたというわけ。しかも重要作品はフランス政府に抜かれたため、引き渡されたのは375点だった。二度の大戦に振り回された激動の20世紀前半を象徴するコレクションといえる。
同展では、この未曾有のコレクションがいかに形成され、散逸していったかを、収集したロンドンとパリの画廊や協力者、二度の大戦との関わりなど8章に分けてたどっている。出品は、モネの《舟遊び》(1887)やロダンの彫刻群など開館当初の「松方コレクション」、マネ《自画像》など散逸した「旧松方コレクション」、クリヴェッリ《聖アウグスティヌス》(1487/88頃)など「旧コレクション」から買い戻した作品、ゴッホ《アルルの寝室》(1889)など寄贈返還時に抜かれた作品、そして近年フランスで再発見されて初公開となったモネ《睡蓮、柳の反映》(1916)まで、150点以上に及ぶ。
ところで、松方コレクションといえば印象派のイメージが強いが、意外にも海戦画をはじめとする戦争画が相当数あることに驚いた。でも考えてみれば、松方は造船所の社長だし、第一次大戦中にヨーロッパを訪れたし、最初に買った作品がのちに最大の協力者となるブラングィンの造船所の絵だったから、意外でもなんでもなく、むしろ当然のなりゆきだったのかもしれない。あまり常設展で見た覚えはないけど。
2019/06/21(金)(村田真)