2021年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

2020年04月15日号のレビュー/プレビュー

兼子裕代『APPEARANCE』

発行所:青幻舎

発行日:2020年1月25日

1963年、青森県生まれで、アメリカ・カリフォルニア州オークランドで作家活動を続ける兼子裕代は、2009年に原因不明の脳症で体調を崩した。病気から回復後、「子どものエネルギーに憧れを抱いたのと同時に、その危なっかしさや脆弱さに共感を覚え」て、友人の音楽家が教えていた子どもたちが歌う姿を撮影し始めた。その後、子どもだけではなく大人が歌っている様子にも惹きつけられるようになって被写体の幅が広がり、2017年8月には、個展「APPEARANCE──歌う人」(銀座ニコンサロン)を開催した。今回、青幻舎から刊行された写真集は、同シリーズから62点を選んでまとめたものである。

「歌う人」はその行為に没入することによって、その人の無防備な魂のようなものを露わにする。兼子は、彼らを注意深く観察することによって、「被写体の顔に不意に現れる、感情の発露の瞬間」を捉えようとした。そのことによって、「歌う人」たちのキャラクターがくっきりと浮き彫りになっているように感じた。被写体の多くは、兼子が暮らすオークランドやサンフランシスコで撮影されており、巻末の「図版リスト」の解説をあわせて読むことで、彼女の交友関係の広がりを確かめることができる。つまり、この作品は兼子自身の生の見取り図にもなっているということだ。

最初のうちは、6×6判の真四角のフォーマットで撮影していたが、次第に横長の画面の写真が増えてくることも興味深い。「被写体の周辺をより取り入れるようになった」ということだが、そこにも兼子の意識が、「歌う人」本人だけでなく、彼らを取り巻く社会環境にまで拡大していったことが見えてくる。

関連レビュー

兼子裕代「APPEARANCE──歌う人」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年09月15日号)

2020/03/08(日)(飯沢耕太郎)

SDL:Re2020

会期:2020/03/08

せんだいメディアテーク[宮城県]

毎年、3月は仙台で会おう、というかけ声のもと、全国から2000人以上の学生が集まり、卒業設計日本一決定戦を開催する「せんだいデザインリーグ(SDL)」。このイベントは、せんだいメディアテークの年間行事のなかでもブロックバスター的な動員を誇るものだ。しかし今年は開催直前に、新型コロナウィルスの感染防止のため、イベントの自粛を安倍首相が全国に呼びかけたため、いったんは中止を検討していた。2011年は、審査日の後に東日本大震災が発生したため、展示がダメージを受けたが、今回は展示だけでなく、審査そのものがなくなる可能性があった。

しかし、なんとかこの危機を違うかたちで受け止め、可能な方法により代替企画を急いで構築し、実験的な「SDL:Re2020」(せんだいデザインリーグ2020卒業設計日本一決定戦 代替企画)が開催された。せんだいメディアテークの5階、6階を埋めつくす、数百の模型と図面の展示は中止し、その代わりにネットで作品データを送ってもらい、それをもとに無観客の状態で審査員が議論するというものだ。「人が集まってはいけない」というのが厄介であり、スタッフの人数も制限したことが特筆される。



「SDL:Re2020」の運営をめぐる会議風景

急遽、スタイルが変わった企画に対し、200余の作品が集まった。従来に比べると、大幅に応募数は減ったわけだが、逆に言えば、作品ひとつあたりにかけられる時間が増えたことは、悪くなかったように思う。出品数が600を超えたときなどは、どうしても瞬間的に多くの情報を伝達する模型に頼ってしまう。だが、今回は模型がなく、じっくりと作品のファイルを読み込む審査だった。そのせいか、時間の中で変化していくタイプの作品が多く残ったかもしれない。



「SDL:Re2020」の審査風景

当初、20まで作品を絞り込んだ後は、シンポジウム形式で議論する予定だったが、審査委員長の永山祐子らの強い要望によって、暫定日本一、二、三を決めることになった。結果としては、アナログな産業系の建築が多いことも今年の特徴だったが、そうした傾向を象徴するかのように、海苔と塩の生産施設が暫定日本一に選ばれた。直接対面の質疑は叶わなったが、ネットを通じて、各地にいるファイナリストとやりとりをすることはできた。大勢の観衆の前で舞い上がるプレゼンテーションをよく見ていたので、学生もリラックスしながら質疑に応えたのが印象に残った。今年の実験は、おそらく来年再開される「SDL」の方法にも影響を与えるだろう。



「SDL:Re2020」の配信風景

参考サイト:せんだいデザインリーグ2020(SDL) http://sendaisendai.sun.bindcloud.jp/

2020/03/08(日)(五十嵐太郎)

若だんさんと御いんきょさん『鞄』

会期:2020/03/06~2020/03/08

THEATRE E9 KYOTO[京都府]

安部公房の戯曲『棒になった男』(1969)の第1景『鞄』に対して、3人の演出家がそれぞれ演出した3本を一挙上演する企画。演劇ユニット「若だんさんと御いんきょさん」によるシリーズ企画第2弾であり、昨年は第2景『時の崖』が上演されている。演出違いの3バージョンを見比べることで、戯曲に対するアプローチや解釈の振れ幅が浮き彫りになり、ひとつの戯曲の多角的な鑑賞を通して、多様な読みや上演可能性に開かれた創造的な器としての戯曲のあり方が立ち現われる。


『鞄』は、夫が家の中に置いている鍵のかかった不審な旅行鞄をめぐって、気味悪がる「女」(妻)と「客」(女友達)が交わす会話劇。不審な物音や呟き声を立てる鞄の中身について、女は虫かミイラかもしれないと妄想し、「何をしていてもこの音がまとわりつく」と嫌悪する。女友達がヘヤピンで鍵をこじ開けようとするが、生きているかのように奇妙な物音がして二人は飛び退く。行動の決断力も責任も持とうとしない女は、友人の自尊心を刺激して開けさせようとしたり、どこかに捨ててきてほしいと頼み、心理的な駆け引きが展開されるなか、錠前の外れる音がする。「あとは、あなたの心の錠前だけね」と言い残して友人は去るが、女は鞄に鍵をかけ、夫の帰りを待つあいだ、ラーメンの出前を注文する。


リアルな手触りの会話劇から、「鞄」のもつ不条理性を立ち上げるにあたり、「鞄」をどう解釈し、どこまで具現化/抽象化するか。この最大のポイントをめぐり、三者三様のアプローチが分かれたことが興味深い。実物の「旅行鞄」を舞台上に持ち込んだのは、合田団地(努力クラブ)。エスカレートする苛立ちとディスコミュニケーションの閉塞感が出口を求めて暴走していく回路が、「会話劇」だが対話相手と向き合わず、二人の女優それぞれが客席に向けて放つモノローグ的な発話の掛け違いとして提示された。感情を喪失したような平坦な棒読みやひきつった笑いの肥大化は生理的嫌悪感をかき立て、対人的な感情の出力がコントロールできない、非人間的な狂気へ近づいていく。「ほかにも苛立たせる物音はあるのに」と言う友人が列挙する「飛行機や車の轟音、風の音」は効果音として流れるのだが、「食事は毎日あげているの?」「家の中で来る日も来る日もこの音に悩まされている」といった台詞は、「具現化されていない音」、すなわち赤ん坊の泣き声を想起させ、妻に一方的にのしかかる育児の負担を暗示する。二人の女の背後で所在なさげにテーブルに座っていた男は、「ヘヤピン」を腹に刺され、女たちの感情の暴発が乗り移ったかのようにうめき声を発し続け、遂に自壊して「鞄」に変容を遂げる。女たちもまた、座っていた椅子にそれぞれ旅行鞄を置いて立ち去り、「鞄」からはなおも機械的な発声の声が聞こえ続ける(ように見える)。自分自身が「怖れや不安」の対象と同一化し、非人間性の塊と化す戦慄的なラストであると同時に、「本来そうではないもの」が「そうであるフリ」をする齟齬を最大化して提示することで、「演劇」へのメタ的な身振りともとれる。



合田団地演出『鞄』 [撮影:manami tanaka]


一方、「主導権を奪おうと互いに牽制し合う二人の女の駆け引きに、実効的な支配力を及ぼし続ける男」という構図を採用したのが、河井朗(ルサンチカ)。河井演出では、俳優の身体性や動きの抽象化により重きを置き、静かな緊張感のなかに粘着質の生理的な体感の生々しさがじわじわと迫ってくる。対面して左右対称やユニゾンで動く2人の女は、自己の鏡像か分身のようにも見え、「彼女たちにはその存在が見えない」男は、異物として疎外されている/侵入してくる。押さえた発話や身振りの浮遊感のなかに、引力と斥力、磁力のような見えない力の作用や流れを可視化する手つきが洗練されていた。



河井朗演出『鞄』 [撮影:manami tanaka]

田村哲男による演出は、3本の中では最も戯曲に忠実でありつつ、ジェンダー転倒という変化球を投げてきた。だが、その仕掛けによって新たな解釈の端緒を開きつつ、最終的に自ら閉じてしまっていた点が惜しまれる。田村演出では、「妻」役をあえて男優が演じることで、関係性は定位せずにつねに揺らぎ続ける。彼らはゲイカップルなのか? あるいは「私たち、昔はうまくいってたじゃない」と言うシーンでは、バイセクシュアルとして女友達とかつて恋人関係だった可能性が浮上する。さらに、「女言葉でしゃべるが外見は男性」を字義どおり受け取るならば、この「妻」はMale to Femaleのトランスジェンダーという見方も成立する。そこでは、彼/彼女を悩ませ脅かす「鞄から聞こえる異音」は、ホモフォビアあるいはトランスフォビアの謂いとなる。



田村哲男演出『鞄』 [撮影:manami tanaka]

「仕事の帰りが遅い夫」を待ちながら女友達とおしゃべりして抑鬱を晴らそうとする、「家庭内で夫を待つ妻」。それをあえて男優が演じることで、(50年前という時代差に埋め込まれた)ジェンダー描写の偏向が露わとなる。その偏向は、「ゲイカップル」がヘテロセクシュアルのカップルを前提とした性別役割分業を踏襲していることや、トランスジェンダーがどこまでジェンダー規範や性別役割分業を内面化するのかといった問いの喚起によって、より浮き彫りとなる。

だが、ラストシーンでは、背後のスクリーンに「森友・加計学園」「マイクロプラスチック」「CO2排出量」「グレタ・トゥーンベリ」「非正規雇用」「子供の貧困」「原発再稼働」といった単語が次々と投影され、「鞄」の中身が「現代社会の時事問題」に短絡的に限定されてしまう(そこには「LGBTQ」に関する単語は不在である)。関係性の揺らぎ=想像力を投企できる演劇的余白や、セクシュアリティ・ジェンダーをめぐる問題圏、クィアな読解につながる萌芽はあったものの、掘り下げられないまま、「大きな事象」の羅列の中に拡散してしまったことが惜しまれる。



田村哲男演出『鞄』 [撮影:manami tanaka]


関連レビュー

若だんさんと御いんきょさん『時の崖』|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年05月15日号)

2020/03/08(日)(高嶋慈)

平本成海展 narconearco

会期:2020/02/18~2020/03/14

ガーディアン・ガーデン[東京都]

平本成海は昨年の第20回写真「1_WALL」展のグランプリ受賞者。受賞記念の個展として開催された本展には、平本の自宅に毎日届く新聞(地方紙)に掲載された写真をピックアップして加工、コラージュした作品が並んでいた。コラージュ作品は、その日のうちにSNSにアップされる。今回展示された「narconearco」に付された記事は、たとえば次のようなものだ。「このうち境内入り口に設置された一台に、17日23時50分ごろ、目出し帽を被った不審な人物が本殿に入っていく姿が映っていた。燃やされた発光如来が納められていた厨子には、ナルコネアルコのようなものでこじ開けた痕跡があったことが分かっている」。

つまり、地方新聞の写真と記事を基にしたフェイク・ニュースを作って、個人的な回路で流通させるというアイディアである。記事も写真も洗練された手つきで作られていて、視覚的なエンターテインメントとしても十分に楽しめる。ただ、「ナルコネアルコ」とは何かということを突き詰めようとすると、出口のない迷路に入り込んでしまう。

「1_WALL」展の審査員のひとりの増田玲は展覧会に寄せたコメントで「どうやら受信者として指定されているらしい私たちに期待されているのは、個々のイメージの謎を解くことではなく、それらを謎として受けとる私たちの思考そのものを観察することなのではないか」と書いている。それは確かにその通りなのだが、もし「ナルコネアルコ」をめぐる不条理な事件が、互いに結びついて、より大きな「謎」として提示されていけば、平本の作品世界はもう一回り広がりと深度を増すのではないかと思う。もうひとつ、会場にはコラージュ作品が並んでいるだけで、テキスト(記事)は省かれていた(リーフレットに一部掲載)。やはり画像とテキストが一体化したインスタレーションのほうがよかったのではないだろうか。

2020/03/09(月)(飯沢耕太郎)

油津商店街

[宮崎県]

菊竹清訓が設計した《都城市民会館》の保存問題が最初に起きて以来なので、およそ10年以上ぶりに宮崎県を訪れた。もっとも、新型コロナウィルスの影響で、見学しようと思っていたほとんどの公共建築が閉鎖されていた。坂倉準三による色タイルが印象的な《宮城県総合博物館》(1971)、岡田新一による石材を多用する重厚な《宮崎県立美術館》(1995)、安井建築設計事務所による列柱廊をもつ《宮崎県立図書館》(1987)などである。



岡田新一による《宮崎県立美術館》の外観


そこで宮崎駅から約1時間半の遠出をして、日南市の油津に足を運んだ。あまり知らなかったが、町おこしで注目されている、有名な商店街がある。駅舎は真っ赤に塗られ、「Carp」の文字も刻まれており、日南市に半世紀以上キャンプを張っている広島東洋カープを応援している街だった。また駅前を歩くと、閉ざされたままの店舗は多いが、途中の駅に比べると、はるかに店の数が多く、かつてここが港で栄えていたこともうかがえる。40年前までは、マグロ漁や杉材の積み出しで賑わっていたらしい。


真っ赤に塗られた油津駅舎


日南市の市街地活性化事業によって、2013年に木藤亮太がテナントミックスサポートマネージャーに選ばれ、ここで暮らしながら、様々な空き店舗の活用を実践している。カフェのリノベーション、ABURATSU GARDEN(コンテナ群による小店舗)、IT企業を誘致したオフィス、ゲストハウス、レコードを自由にかけるコミュニティ・スペースなどだ。



商店街に誘致された油津のカフェ



ABURATSU GARDENの様子

他にも油津では、2017年に《ふれあいタウンIttenほりかわ》(商業施設+医療介護施設+子育て支援センター+市民活動のスペース+居住施設)が誕生し、運河沿いの堀川夢ひろばでイベントを行ない、街の歴史や見所を説明する看板を設置している。建築のプロジェクトとしては、多世代交流モールのコンペが行なわれ、設計者に水上哲也が選ばれ、2015年にオープンした。鉄骨造のスーパーマーケットの1スパンを減築によって間引くことで、二分割し、あいだに中庭を設け、両サイドをそれぞれ多目的スタジオなどの集会スペースと飲食スペースに変えたものである。油津では、点を線に、そして面に広げようとしている街づくりが進行中だった。



運河沿いの堀川夢ひろば



多世代交流モールの中庭



こちらも多世代交流モールの中庭(水上哲也:設計)

2020/03/10(火) (五十嵐太郎)

2020年04月15日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ