artscapeレビュー

2017年06月01日号のレビュー/プレビュー

宮廷装束の世界

会期:2017/04/01~2017/05/27

学習院大学史料館[東京都]

「衣冠束帯」や「十二単」と呼ばれる公家・女房装束は、もともと律令制とともにその原型が大陸からもたらされ、日本独自のものに変化してきた。しかしながら武家の伸長と公家社会の衰微、応仁・文明の乱によりその伝統はいったん途絶してしまう。その後、江戸時代になり社会の安定が回復されると、装束の再興がはかられた。明治に入り宮廷服には洋装が導入されたが、宮中の祭祀や儀礼など大礼における儀服として、装束は継承されている。ただし、このような歴史的背景もあり、一般には「古式ゆかしく」とも形容される装束は決して平安時代のままのものではないことに留意したい。
もとより装束は衣服としての機能的な役割以上に着用者の社会的身分、職掌、年齢などを可視化する装置であり、、近代の装束であっても差異がそのような意味を持っていることに変わりはない。それゆえ、この展覧会を見れば、近代の皇室における華麗な装束の数々を通じて、制度の歴史とその変容、位階による違いなどをうかがい知ることができる……はずだが、じっさいにはとても難しい。なにしろ装束を着付ける際の技術や知識の体系は「衣紋道」と呼ばれる複雑なもので、それも山科流、 倉流というふたつの流派でそれぞれ仕立や着装法に違いがあるというのだから。
出品作品中でとくに興味深く見たのは「大正大礼調度及装束裂等貼交屏風」だ。これは羅および有職織物で重要無形文化財保持者に指定された喜多川平朗が記録・参考用として所蔵されたもの。これらの織物の織り、文様にも複雑な決まりごとがあるのは想像に難くない。他方でこうした複雑な制度の保持と継承には、皇室における日本の伝統文化や国産品の保護という役割もあるそうだ。[新川徳彦]

2017/05/17(水)(SYNK)

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ベルギー奇想の系譜展 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

会期:2017/05/20~2017/07/09

兵庫県立美術館[兵庫県]

15世紀後半から16世紀初頭に活躍したヒエロニムス・ボスから、現代のヤン・ファーブルまで、約500年間にわたり脈々と受け継がれてきたベルギーの奇想画の系譜をたどる展覧会。第1章では、ボス、ブリューゲル(父)、ルーベンスなど主に16世紀の作品が登場し、第2章では、ロップス、クノップフ、スピリアールト、アンソールなど、19世紀末から20世紀初頭の象徴主義を中心とした作家が並んでいる。そして第3章はデルヴォーやマグリットなどのシュルレアリスムから、ブロータールス、パナマレンコ、ヤン・ファーブルなど現代の作品までが。ルーベンスを奇想画に入れるのか?と思ったし、現代作家は何でもありな感じがしないでもないが、ベルギーの美術に一貫した流れがあるのは間違いない。奇想画というのは洋の東西を問わずどこの国でもあるものだが、担当学芸員によると、ベルギーはその傾向が抜きん出ているという。理由を訊ねたところ「ベルギーは19世紀にやっと独立国になったが、それまでの過程で何度も支配者が変わり、戦争が起こるなど複雑な歴史を抱えている。その影響が芸術表現に現われているのではないか」とのこと。あるいは、英仏独という大国に挟まれ、各国の文化が流入しやすい地理的特性が、奇想画の系譜を生み出したのかもしれない。ベルギー名物といえばビールとチョコレートだが、美術史においても独自の存在感を示していたのだなと、改めて思った。

2017/05/19(金)(小吹隆文)

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プレビュー:アンキャッチャブル・ストーリー

会期:2017/06/11~2017/07/17

瑞雲庵[京都府]

路上で見つけた拾得物を丁寧に配置し、言葉と組み合わせるなどした作品で知られる牛島光太郎、私小説的な風景画(しかし本当に自身が体験したものかは謎)を描く田中秀介、ふと出会った「わからない」言葉やイメージから、ドローイング、写真、旅、リサーチ、パフォーマンスを展開する阿児つばさの3人展。企画者はキュレーター/アートコーディネーターの武本彩子。現代は無数の発言、発信、ストーリーが世の中に溢れているが、SNSの炎上のように、発信する側も受け取る側も言葉を安直に扱い、無残にもてあそぶ傾向が広まっている。「わからない」ものを簡単に「わかる」ようにしない彼らの作品を通して、いま、われわれが取るべき態度について再考しようというのが本展の趣旨である。シリアスなテーマ設定だが、3人の作家は企画者の意図ですら、するりとかわしてしまうかもしれない。真面目に、でも肩をこわばらせずに彼らのメッセージを受け止めたい。

2017/05/20(土)(小吹隆文)

プレビュー:田嶋悦子展 Records of Clay and Glass

会期:2017/06/10~2017/07/30

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

陶とガラスにより生命感に満ちた造形をつくり出す田嶋悦子。1980年代は、兵庫県立近代美術館の「アート・ナウ」やギャラリー白で行なわれた「YES ART」など、当時の関西現代美術界における重要展で、カラフルかつ巨大な陶オブジェを発表していた。しかし1990年代以降は、装飾性を削いだミニマルな作風へと移行、やがて陶とガラスを組み合わせた独自の表現にたどり着いた。筆者は、いまは無き大阪の番画廊を中心に彼女の作品をコンスタントに見てきたが、美術館での鑑賞経験は乏しい。広大な展示室で田嶋がどのような展示を見せてくれるのか、いまから楽しみだ。なお本展では、陶とガラスを組み合わせた代表的なシリーズ《Cornucopia》のほか、1980年代から新作までのインスタレーションを中心とした15点が出展される予定だ。

2017/05/20(土)(小吹隆文)

どうぶつえん vol. 6

会期:2017/05/21

代々木公園[東京都]

ダンスを「舞台芸術」のひとつのジャンルとみなし、確固とした芸術的価値をそのなかに見たいというのならば話は別なのだが、ダンスは「舞台芸術」として劇場の枠に囲い込んでおかなければならないものではない。例えば、駅のコンコースやビルの空き地に場所を見つけて踊るストリートのダンサーたちは、ダンスの舞台はストリートにもあると思っているわけだ。ストリートを舞台と見立てた途端、ダンスは街中に侵入し、街のアレヤコレヤの物事と対立したり、融合したりして、劇場のスポットライトの前ですましているのとは別の相貌をあらわにすることだろう。しばしばストリートを稽古場にしてきたAokidが休日の代々木公園を上演の舞台にしたことは、そう捉えてみれば、自然なチョイスなのかもしれない。ここでは、カップルが、家族が、友人たちがシートの上で寝そべり、あちこちで沖縄の三線やら、ウクレレやら、サルサや合気道やヨガのレッスンが行なわれている。新緑のめざましい、乾いた風の吹く午後、すべての人がリラックスしている。Aokidと仲間たちは、原宿寄りの入場門から出発し、移動を繰り返しながら、ダンスやインスタレーションやパフォーマンスなどの出し物を披露していった。彼らの上演は一括りにしてしまえば、どれもゆるい。このゆるさは、しかし、目に飛び込んでくる、見せようとしていない出し物以外の人々の営みと、柔らかく重なることを可能にしている。キメキメに踊れば、周囲から際立つだろうが、それはこの場に劇場を拵えあげるだけだ。そう考えると、この試みは、人が自由に活動している公園とアーティストの上演活動とをつなぐチャレンジのように映る。とはいえ、このゆるさは、換言すれば、周囲の人々の営みへと観客の視線が遊んでしまうのを許す。自然の美しさも相まって、上演以外の見所となるコンテンツが、公園には無数にあり、どれを見たら良いのかわからなくなる。このことは、芸術を見ているはずが、気づくと自然の景観に魅了されているという、大地の芸術祭など北川フラム系の地域アートを鑑賞する際にしばしば起こる現象に似ている。では、代々木公園の勝ちかといえば、単純にそうではないはずで、上演を見るという目的もなく、ただ移動しているだけでは、代々木公園を鑑賞するという隙も生まれてこなかったろう。とはいえ、観客のなかで地と図の反転が頻繁に生じている環境であるということは、自覚しておいた方が良い。その意味では、代々木公園という空間そのものを鑑賞の対象として積極的に取り上げる出し物があったら面白かったのでは、と思った(しかし、三時間とされていた上演の最後の30分ほどを筆者は未見)。Aokidのほか、三木仙太郎(アート)、関川航平(アート)、鈴木健太(アクト、メディア) 、清水恵美(行為)、飯岡陸(キュレーター)、福留麻里(ダンス)、猫道(詩人、spoken words)が出演・演出した。

2017/05/21(日)(木村覚)

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